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粘れない

今月の俳句を提出したぞい。

いつもギリギリだけど、破ってはいないし、それにこういうものって早すぎるのも良くないと思うのでこれでいいはず。はず。

こういう、「考えたらもっと良くなる可能性があるもの」と締切の関係って難しいですよね。

理屈上、製作に時間をかけるか試行回数をこなせばより良くなるはずなんですよね。絵でも文でも何でも。だからそれを分かっていてしないのは怠慢と言うことができる。

でもそのうえで、ここだ!というところで見切る能力というものも腕前に含まれるわけですよね。その思い切りみたいなもの自体が作品の格を上げることすらある。

そのへん、非常に難しい。

私はわりと、見切りが早い方だと思う。悩んでいていつまでも完成しないんです、ということは多くなく、だいたいまぁいっか、となる。もっとやれただろと思うことの方が多い。

学生の頃のテストもそんな感じだった。時間切れになることはまずなく、時間を余らせていた。特に成績が良くない教科でさえも。

こういう踏ん切りとか諦め、こだわり、執念や根性とかって、先天的なものなんでしょうかね。もちろん、こういう構造がわかってからは締切ギリギリまで良いものにならないか考えてみるのだけれど、それも正直なところただのポーズなんじゃない?という自分への疑念は拭いきれない。自分は本当に、本気で粘っているんだろうか?


今日はここまで。ありがとうございました。

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