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桜木花道という発明「THE FIRST SLAMDUNK」感想

スラムダンクの映画を見たので、個人的な感想をしたためておきます。すでに出ているインタビューなどをあまり読んでいないので齟齬があるやもしれませんが、どうぞよしなに。


私が見終わって一番最初に出た感想は「原作者が監督・脚本でなければできない大ナタだ……」というものだった。

今回の映画化は、インターハイ2回戦の湘北VS山王工業の試合に、宮城リョータの過去に関する短編を回想として盛り込み、彼を主軸にした物語として再編集するというものだった。つまりは、主人公を桜木花道から宮城リョータに切り替えている。そのため、そこに関わらないものはかなり削がれた。というよりは「宮城の視点、または第三者のカメラから感知できないものを極力描写しない」という状態。

これだけのファンを抱えた作品で、それも今まで映像化されたことがないストーリーを同じタイトルでアニメ化するにあたって、こういう整理の仕方をするというのはかなり斬新ではないだろうか。作者以外の脚本家だったら怖すぎてできなかっただろうなと思う。

また、宮城にスポットを当てたのもすごい。個人的には、宮城リョータは湘北スタメン5人の中で、最も「主人公」という概念から離れたキャラクターであったように思う。もちろんそれぞれがワキとして噛み合うことで群像としての面白さが出ているのだが、赤木や三井の過去や葛藤や成長はストーリーとして単品でかなりの濃さがある。流川はもともと(かなり性格に改変があるとはいえ)読み切りで主人公として設計されたキャラクターだ。宮城リョータの、チーム唯一の2年生で司令塔、問題児な後輩と先輩とをつなぐ彼の造形は、主人公級の癖が強いメンバーをチームとして成立させるために割かれた部分が多かったように思う。中間管理職的な俯瞰は魅力でもあった。

実際、彼を主人公に据えるには、単行本31巻には収まらなかった量の回想ストーリーが必要になった。

足された部分は、一言で言ってしまえばかなり重く、苦い。

宮城の過去を通して見る山王戦は、かなり色彩を変えたものになった。スラムダンクという作品は、漫画の段階では描く世界のスケール感をかなり割り切って調整しているように思う。取捨選択がされていて、そこに各家庭の事情は入ってこない。鮮明に描かれたのは沢北栄治という、1試合でラスボスとしての厚みと説得力を出す必要があったキャラクターだけと言っていい。その選択があのテンポ感や読者の集中力を生んでいる。

また、「母」という概念が持ち込まれたことも作品のカラーに大きく関わっているように思う。スラムダンクという作品は母親という存在が希薄だ。逆に「父」は濃く描かれている。この作品に出てくる「親父」たる監督たちは、みんな基本的に人格者、頼れる大人として登場する。だからこそ、大人が事実上不在だった翔陽、豊玉は敗北する。映画に登場する宮城の母は彼らに比べれば不安定だ。当たり前である。夫と息子をほぼ同時に亡くしてんだぞ。

これに関しては、作者も読者も共に年齢を重ねたことが大きいのではないかと思う。高校生から見た大人と、大人から見た大人はかなりずれがある。子供のころ、大人というのはもっとどっしりと、ちゃんとしているものだと思っていた。本当はもっと地続きで、もっと複雑だ。かつて漫画を楽しんで、今、映画を見に行く世代には、そのあたり抜きで高校生たちを見るのはもう難しいのかもしれない。というか、そろそろそこにちゃんと思いをはせるべきなのかもしれない。

宮城にとって、母にとって、バスケは単純でない、愛憎が絡み合ったものになってしまった。高校生が受け止めるには、あまりにも苦いものであるように思う。それを経て、しっかりとバスケが好きだということを抱きしめられるようになるまでを描く物語に、作品の文脈は切り替わった。「バスケットは好きですか?」という問いは、ざらりとした質感を持ったものに変わる。


だからこそ、私は映画を見て、桜木花道という男の主人公性を改めて噛み締めずにはいられなかった。

今回、漫画にあった桜木のモノローグの多くが省かれた。いわば、視聴者は作中の桜木の周囲にいる人物たちと同じ目線で桜木を見ることになった。はっきり言ってめちゃくちゃなヤローである。机に飛び乗って勝利を宣言し、メンバーにカンチョーをする。その行動の裏側に、本当はけっこう繊細なバランスの情緒があることを、読者だけが知っている。

過去の描写もほとんどなく「察して」というレベルにとどめ、家族構成も幼少期の姿も未来の姿も分からず、ただ、今現在だけのために走っている。それでも、読者はそこにきちんと説得力を見出せる。

桜木花道がバスケが好きだと言い切れるようになるまでの物語、という軸でスラムダンクを捉えれば、今回の映画ではその着地点のシーンが描かれていないということになる。作中最大級の名場面をカットする大きすぎる改変である。もしかしたら、あの宮城の回想を挟む中でそれをやっても、相対的に彼の気持ちが軽く見えてしまうということはあるのかもしれない。

それでも、だからこそ読者は、そして作中の登場人物たちは桜木花道のことを愛しているのかもしれない。「そんなに簡単じゃないよ」「お前は単純でいいよなぁ」と苦笑しながら、まぶしく見つめてしまうのかもしれない。

もちろん、彼が本当の本当に屈託がない人間というわけではないということを知りながら。そこをうまく隠し通してくれるから、我々は安心して桜木花道を笑い、憧れている。我々がどんなに年を取っても、きっと桜木はいつまでも、栄光時代にいてくれる。




今日はここまで。ありがとうございました。

公開前にはこういうやつを書いていました。



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