見出し画像

そのまま飲み込みたい【ミラベルと魔法だらけの家】

エンタメをそのまま分かりたい。

ある程度成長すると、映画とか小説とか、そういう物語に「メッセージ性」「テーマ性」みたいなことを感じ取れるようになってくる。意識的に探しているのか、無意識に感じられるようになっているのか、もうわからない。

たとえ話的に挙げるんだけど、最近見ていてそういうことを思ったのは、「ミラベルと魔法だらけの家」。

簡単に説明すると、一族みんなが何かしらの魔法の力を持っていて、それを活かして村のみんなの役に立っているおうちに生まれた、何も能力を持っていない女の子・ミラベルが主人公のお話です。ミュージカルで映像もカラフル綺麗で面白いし配信で見られるのでみんな見よう。

ミラベルは自分が何も持っていないことがコンプレックス。そんな中で、孫が何の力もないことを受け入れられないおばあちゃんと衝突したり、気丈になんでもないことのように振る舞ったり、やっぱりあがいたり、いろいろ頑張る話。なんだけど、ここがディズニーのしっかりしてるところで、実はすごい魔法が使えてハッピーに見える兄弟たちも、みんなからの期待が実はプレッシャーになっているなどけっこうしんどい中で生きてるんだってことが明らかになったりする。一族はこうでなきゃ!という理想を強く持って強権的にふるまうおばあちゃんも、根っこはみんなを守りたいという気持ちからだったことが分かったりする。

いや、もうあらすじ読んだだけでみなさんご理解いただけたかもしれないんですけど、めちゃくちゃ「テーマがわかる」話なんですよ。ああわかる、わかるよねって思う。自分に得意なことがないっていうコンプレックスだったり、誰かの役に立ちたいのにその力がないって気持ちであったり、逆にみんなから良い子を求められる重圧であったり、もしくは愛しているが故に誰かを苦しめる家庭の構造であったり。わかるわぁ……なのよ。それらにある程度答えをくれて、そしてある程度結論をこちらに任す。非常にまじめに作られている。

なんだけどさぁ……こういうのに「わかる」って言うのって、この映画の本当の楽しみ方なのか?とは思うわけ。

これって、単純にマドリガル家という一族と魔法とのお付き合いの仕方の話じゃん。それをそれだけで理解する、ということはできないのか?

なんかこう、「わかるわぁ」と言った途端に色褪せてるものがある気がしてるのよ。見えなくなっている妖精がいる。

だってよぉ、私が思う「わかり」なんて、せいぜい「私はちゃんと門限を守るいい子だって思われてるんだからちゃんとしなきゃ!本当はお願いしたら夜遅くまでライブに行ってもいいって許してもらえるのかもしれないけど、どうしても言い出せないな」ぐらいのやつなのよ。決して「私は牛を5頭持ち上げられる力があるから皆から頼られるのは当たり前だしそうすべきだと思う!でももしもそれでも防げない、頼ってくれる皆を守れないことが起きたらどうしようって心配でずっと心が晴れない」とかいうレベルのやつじゃないんだよ。全然違うだろ。

それを、はいはい、周囲の期待から来るしんどさね、って名札付けて同じカテゴリに一緒に入れて終了にして良いのか?ということ、ずぅっと思っている。

でももう、ははぁこれは昨今の毒親問題を投影していますな、みたいなことを考えずに物語を鑑賞するのが難しくなっていて、それがずっと気になっている。いやでも、そういうテーマ性や批評性があるってことはすごい価値なんだよ、それは間違いないんだよ、でも、何だかなぁ。映画の質ではなくて自分の態度を省みてしまう。

そのまま飲み込みたい。そのまんま感じ取りたい。でも、それはとても難しい。なぜなら私の世界に魔法はないし、家族がみんな何かの魔法を持っていたりすることは絶対にないから。それがもらえなかったミラベルの絶望や苦しみを本当に理解することはできないと思う。

だからちょっとスケールを下げて、ああ、わかるわぁって言う。つまりは想像力不足なのか?この、格を落としてでもわかろうとする努力と、わからねぇな、で放置する怠慢、どちらを選ぶのが誠実な態度というやつなんだろうかと、エンタメだけでなく何かにつけて考えている。


今日はここまで。ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?