見出し画像

多読の方法 ~多読のための環境を整える

 本稿では僕が実践している「多読の方法」「多読環境の作り方」について書こうと思う。実践している…とは言っても、別に強く意識してやっているわけではない。昔から習慣になっている日常の読書行動をそのまま紹介するだけだ。先に断っておくが、「多読のすすめ」なんてものを書くつもりはない。僕自身は月間30〜50冊、年間500冊以上の本を読む「多読家」で「乱読家」であり、それが自分の人生を楽しく豊かにしてきたと思っているが、万人が僕と同じであるとは全く思っていない。しかし、本をたくさん読みたいという人はそれなりにいるだろうし、様々な理由でそれが実行・実現できない人も多いかもしれない。そういった人のために、僕が実践している多読法を紹介する。中には「何をバカな」という方法もあるかもしれないが、実際に僕が実践しているのだから笑って無視して欲しい。

 また、本稿はあくまで一般の健常者が読むことを前提として書いたものだ。社会には視覚障害者を始めとする「読書に困難を伴う」人が大勢いる。車椅子生活で高い書棚に手が届かない人も数多く存在する。何よりも、先だって「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央氏の「…本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた…」という言葉は、あまりにも重い。長年の多読生活を続けてきた自分が身体面でも経済面でも恵まれた状況にあることを自覚した上で、今後の国の政策の変化やIT技術の進歩が、ハンディキャップを持つ人々の読書環境を大きく改善していくことを切に願う。


1.多読のための環境を整える 

■速読だけが多読実現の手段ではない

 まず「多読をしたくても実行できない」という人の中で、実行できない理由として一番多いのは「読書のための時間がとれない」だろう。そうなると最も簡単な解決法は、限られた時間の中でより多くの本が読める「速読」ということになる。これについては本稿とは別に、「本好きが語る読書ライフ」の中で僕がどうやって速読しているかについて書いた。参考になるかどうかわからないが、一応読んでみて欲しい。
 ともかく「たくさん本を読むためには、たくさん時間を遣う」…という点が、多読実行のための大きなネックとなる。限られた時間でたくさんの書籍を読むためには「速読を身に付ける以外の方法がない」との結論に至る人もいるかもしれない。確かに、速読は多読のための大きな武器になる。
 しかし本稿で書こうとしている多読法は、速読技術に重点を置いた話ではない。速読云々以前に、「多忙な日常生活の中でより多くの読書時間を作り出す」ためにやるべきことがあるという話だ。さらに、多読のためには、「読書時間を作る」以外にも「多読のための環境を整える」「面白い本を効率よく探す」など様々な切り口がある。これらの点に留意して読書環境の改善に臨めば、例えそれほど速く本が読めなくても、「たくさんの本を読む」ことはできる。

■身の回りを本で埋め尽くす

 多読のためには、自宅はもとより、オフィスでもその他の立ち寄り先でも、そして毎日持ち歩くバッグの中でも、許される限り身の回りを本で埋め尽くすことが大切だ。そして後述するが、スマホの中にも大量の電子書籍を収納しておくべきだ。
 自宅はもう、本で埋め尽くすのみだ。収容力のある使いやすい書棚を活用すれば、6畳間ぐらいの部屋の壁の2面を天井まで本で埋めることで、文庫・新書中心なら3~5000冊ぐらいはストックできるはず。また、リビングなど自分がいつも座る場所の周囲にも、大量の本を置いておこう。また、一般的なサラリーマンが会社に大量の本を保管するわけにはいかないと思うが、それでも机の引き出しの2つぐらいは本で埋めておこう。机の上にも文庫本5~10冊ぐらいなら、常時置いておけるはずだ。こうして常に身辺を本で埋め尽くすことで、読書量は必然的に増えるはずだ。

■良い書棚を探す

 大量の本を効率的にストックするためには「良い本棚」が必要だ。「良い本棚」の定義は難しいが、空間の無駄がなく大量に収容できて、背表紙が見やすく、書棚自体の背が高いことが基本条件だ。特に、屈間の無駄をなくすためには奥行きがあまりないことが絶対条件となる。むろん「見栄え」と「強度」も大事な要素だ。実はこうした条件に合致する本棚は意外と少ない。当たり前の話だが、いくら「部屋を本で埋めつくす」とは言っても、日本の住居環境は基本的に狭い。例えば3LDKで65~70㎡の居住空間に家族で住んでいる場合、自分の書斎兼仕事部屋とリビングぐらいしか書棚を置ける場所はない。いずれの部屋にもベランダに面した窓があって、出入り口のドアがあるとすれば、大きな書棚を複数設置できるのはせいぜい仕事部屋の壁2面とリビングの壁1面、後は隙間的な幅の狭い書棚をいくつか設置するぐらいだ。これは実際の僕の20代後半~50代までの居住環境で、この限られたスペースで常時5千冊以上の本をストックしてきた。
 より具体的には、仕事部屋に幅900mm、棚が10段の書棚を壁面1つに4つ設置し、もう1つの壁面に2つ(うち1基はA4サイズの本が収納可能な奥行230mmで8段)設置、合計6つの本棚を置いている。幅900mmの書棚で文庫本または新書が1段に平均60~70冊、10段で650冊程度収納できる。6つの本棚で文庫本・新書中心なら3500冊以上が収納できる計算になる。実際にはハードカバーや厚みのある本、大型の本も多いのでここまではいかないが、同じ書棚をリビングの壁2面に2つずつ合計4つの本段を置き、ここでも2000冊近い本を収納している。そして、かつては子供部屋にも自分用の書棚を2つ置いていた(子供が独立した現在は自由に使っている)。加えて幅が200mm程の隙間書棚を家庭内の数か所に設置している。これらの書棚は各段の高さを可変設定することで、サイズの異なる書籍を無駄なく収納できるようしている。さらに、縦に本が並んだ各棚の上面までの隙間にさらに横置きでかなりの数を置ける。こうしたやり方で、ほぼ5〜6000冊、時期によってはそれ以上の数の本を自宅に収納してきた。
 そして高さが2m以上あり、格段の高さを自由に設定することができ、そして奥行きがない頑丈な書棚(幅900mmで10段、奥行170mm)を探すのにけっこう苦労した。むろん書棚は強度も重要である。そして耐震にも気を遣う。さらに僕の場合は自営業なので、オフィスに本棚をたくさん設置して、自宅と同数以上の本をストックしている。だから、ずっと1~1.5万冊の本をストックし続けてきたことになる。 

■同居人の理解を得る、多読に理解がある同居人を選ぶ

 さほど広くもない自宅に幅900mm×10段の書棚を10基以上、計5千冊以上の本を置き、なおかつ時には机の上やリビングのテーブル、床面にも本を積み上げる状況もある…となると、家族がいる場合は当然だが同居人の理解が必要になる。本が大量にあること自体が「邪魔」とか「片付けの対象」としか見ない相手とは絶対に同居できない。加えて勝手に書棚をいじられるのは非常に困る。書棚内の本の位置を固定することで、目的の本を素早く探し出せるようにしているからだ。
 既婚で配偶者が「大量の本は邪魔」と考えるタイプの人間の場合、多読環境を作ることは絶対に不可能になる。もし独身である場合は、本が嫌いな相手、大量の本を邪魔者扱いする相手とは絶対に同居・結婚しないことが重要だ。既に結婚していて、もし同居の相手から本のストックについて苦情が出たら…、そんな相手とは別れるしかない。
 余談だが、「断捨離」とか言うおかしな言葉の信奉者や、モノを持たないことを美徳とする「ミニマリスト」なんて、「多読家の敵」だ。ミニマリストが多量の本を嫌うのは、火を見るよりも明らかだ。僕は、「モノの所有欲の大きさ」と「知的好奇心の多寡」には相関関係があると考えている。だから、「ミニマリスト=知への冒涜者」だと思っている。僕自身は、本に限らず「モノに囲まれている」環境が好きだ。カメラや無線機、ラジオなど、様々なモノを捨てずに大量に持っている。可能な限り(場所的、経済的に余裕がある限り)、集めたモノを捨てないように努力している。

■本はまとめて購入する

 効率的な多読のためには、「未読本のストック」をたくさん常備しておくことはとても大事だ。書店で面白そうな本を何冊か見つけたら、迷うことなく全部買ってしまおう。書店へ行く時間も貴重なのだから、本は1冊ずつではなく効率良く数冊まとめて購入しよう。その時点で読みたい本ではなくても、いずれ読みたくなりそうな本なら、前もって買っておこう。仕事が多忙な時など、いつも書店に立ち寄れるとは限らない。そんな時、オフィスや自宅に、まだ読んでいない本のストックが大量にあれば安心できる。実際に僕は、未読本のストックが常に数十冊はある状態を維持し続けている。また、本は購入した順に読んでいく必要はない。次々と新刊書が出る中、より面白そうな本から読んでいけばいいだけだ。

■本は捨てない、売らない

 読み終わった本はむろん、途中で読むのをやめた本があっても、絶対に処分してはいけない。当たり前の話だが、読み終わった本の中にはもう一度読みたくなる本があるかもしれないし、途中で読むのをやめた本はもう一度続きを読みたくなるかもしれない。読了してつまらないと思った本でも、5年後、10年後に読み直せば面白いと思うかもしれない。本は、処分しないでひたすら溜め込む…これが正しい愛書家・多読家のとるべき道だ。

■出来る限り小型の本を読む(電子書籍の活用)

 僕が普段、趣味で読む本の70%以上は文庫または新書サイズの本だ。ハードカバーを読む割合は、全体の20~30%に過ぎない(昔はもっとハードカバーの割合が高かった)。理由は簡単。お金の問題ではなく、小さくて軽い本ならいつも数冊をカバンに入れて持ち歩けるからだ。カバンを持たずに歩く時でも、文庫本ならマウンテンパーカのポケットに入る。嬉しいことに、最近は文庫や新書の種類が急激に増えた。ハードカバーが文庫化されるまでの期間も短くなった。また、学術書の文庫化も進んでいる。文庫本だけを読んでいても、十分に読書対象は広い。
 ともかく大量の本を読むためには、常時数冊の本を携帯していることが必要だ。電車の中などで1冊読み終えた時には、すかさず次の本を読み始めなければならない。「移動中に読む本が無くなる」ことを何としても避けるべきだ。また、電車で吊革に掴まって立って読んでいる時など、大きくて重いハードカバーは読みにくい。移動中に快適に読書をするためには、絶対に小さめの本がいい。
 
 さらにこの話の延長として「電子書籍の有効利用」がある。僕は最近、かなり電子書籍を読むようになった。おそらくここ数年、新規に購入する本の半分近くが電子書籍だ。リーダーとしてスマホ、10型タブレット、そしてkindle paperwhiteを併用している。僕は長年、常時2~3冊の本をバッグに入れて歩いていたが、年齢とともに体力がなくなり、この書籍数冊分がプラスされるバッグの重さがつらくなってきた。スマホなら1台に何百冊の本でも入れておける。実際に僕のスマホの中には、既読・未読を併せて常に1千冊以上の本が収録されている。ただし、こちらで書いたように電子書籍は速読には向かないし、電子化が遅れる新刊書も多い。それ以前に、電子化されない書籍も未だ多い。一方で電子書籍には、「老眼に優しい(書体やフォントサイズを変更できる)」「大量にストックしても場所を取らない」という大きなメリットもある。実際にここ数年、書棚を増設せずに済んでいるのは、電子書籍のおかげであることは確かだ。ちなみに、現時点で電子書籍の蔵書数は2000冊以上になっている(もっと多いかもしれないが把握しきれていない)。また、本の「サブスク」を利用する手もある。僕もサブスク(kindle unlimited )の会員になっているが、あくまで仕事上必要になった本に限って利用している。「趣味で読む本」「面白そうと思った本」は、基本的に購入するようにしている。本は、所有することに意味がある…と考えているからだ。加えて、サブスクには新刊書や専門書などで読みたい本がほとんどない。これは図書館と同じだ。電子書籍やサブスクのメリット、デメリットを勘案した上でなおかつ、「紙の本の購入」中心の読書生活はやめられない。

2.面白い本を探し出す

■高い頻度で書店に立ち寄る

 本をたくさん読むためには、「面白い本」を読まなければならない。「我慢して読む」とか「勉強のために読む」というスタンスでは、本を多読することは不可能になる。そして面白い本を読むためには、面白い本を探さなければならない。そのためには、高い頻度で書店を訪れる必要がある(後述するが図書館はダメだ)。まずは、「行きつけの書店」を作ること、それも蔵書数が多い大型書店を行きつけにすることが重要だ。毎日立ち寄る書店ならば、書籍の配列やらジャンル別の書棚の位置などがわかっている。当然新刊書も素早く探すことができる。
 とは言っても、多忙な毎日の中で書店回りに時間を割くのは大変かもしれない。僕の場合、通勤途中のターミナル駅の構内にある2軒の小型書店も、高い頻度で文庫本の新刊書と雑誌を購入する場所となっている。この2軒の書店のどちらかには、ほとんど毎日朝夕の2回は訪れます。だいたい5分ほど。ハードカバーや専門書を見る場合は、オフィス近くの大型書店が行きつけだ。ここは夜10時まで営業しているから、週に数回はオフィスからの帰りに訪れる。
 その他、仕事で都内各所を回っている時でも、駅構内または駅周辺の大型書店に、かなり頻繁に立ち寄る。新宿ならこの書店、渋谷ならこの書店と、主要なターミナル駅に行きつけの書店がある。ちなみに昔から仕事や私用で良く訪れる名古屋や大阪、神戸などにも行きつけの書店がある。ともかく「ちょっとでも時間があれば書店に立ち寄る」という習慣を身に付けることが大事だ。

■面白そうな本を探し出す嗅覚を身につける

 ともかく本は、ジャンルを問わず内容が面白くなければ読む気がしない。読み慣れた作家の新刊書以外で、「読んで面白い本」を見つけるには、一種の「嗅覚」が必要だ。僕は他人の書いた「書評」をほとんど読まないし、ベストセラー書も無視する。タイトル、帯のコピー、本文後の後書きや解説の立ち読み、書店の店頭でパラパラとめくった内容(これが一番重要)…などから、素早く面白そうな本を探し出すには、ある種の「熟練」「年季」が必要だ。すれっからしの読み手である僕ですら、10冊に1冊以上は失敗する。面白そうだと思って買ってきても、読み始めたら面白くなかった…ということはしょっちゅうある。効率的に面白い本を見つける…、こればかりはかなりの金額の無駄な出費という痛い目にあって身に付けるものかもしれない。 

3.読書スタイルを根本から変える 

■つまらない本は読まない、途中でもやめる

 タイトルを見て面白いと思って買った本、後書きを立ち読みして面白いと思って買った本、いつもの作家の新刊なので絶対面白いと思って買った本…、こうした本を読み出しても、何となく興が乗らないことがある。三分の一ほど読んだところで、その先の内容が読めてしまうこともある。こうした場合には、あっさりと放り出すべきだ。1冊の本を終わりまで読む…ことにこだわる必要は全くない。例え冒頭から10ページしか読んでいなくても、あと30ページで読み終わるところまで来ていようと、ともかく「つまらん」と思った瞬間に、読むのをやめることをお勧めしたい。人生は短い。しかし、読まなければならない面白い本は、きっと何百万、何千万冊も残っている。仕事の合間の貴重な時間を割いて本を読むのだ。つまらない本を無理して読んで、時間を無駄にすることはない。高いお金を出して購入して読み出した本を、「いつでもやめる勇気」を持つべきだと思う。

■結末を先に読む

 先に書いたように、途中まで読んでどうしても面白くないと思ったら、そこで読むのを止めてさっさと次の本へと移行するのが正しい多読法だ。が、しかし…、もしかすると最後に劇的な結末が待っているかもしれない。最終章に、その本の面白さのエッセンスが詰まっているかもしれない。そんな時には、ミステリーだろうが冒険小説だろうが、思い切って結末を読んでしまおう。結末を読むことで、途中で投げた本のストーリーの概略もわかるし、もしかすると意外に面白い結末で、いったん投げた部分から読み出す気力が沸いてくるかもしれない。気が短くなった僕は、最近ではミステリーや小説の結末を先に読むことが非常に増えた。それはそれで構わないと思っている。本当に面白い本はそんな読み方をしないし、結末を先に読む本はしょせんその程度の本…と割り切ればいいのがだから…
 
 ところで、結末を先に読む…という話になると、もっと別の意味もある。「結末を先に読んでから本を買う」という本の購入法の話だ。本を購入する時点で、立ち読みで結末を読んでから買うかどうかを決めるというやり方である。これは僕が昔から日常的に実践している。
 例えば最近購入した「黒い海 船は突然、深海へ消えた」(伊澤理江:講談社)という本がある。2023年の大屋壮一ノンフィクション賞の選ばれた作品だから読んだ人も多いだろう。「沈みようがない状況で突然、深海へ消えた中型漁船」の謎を追ったノンフィクションだ。「日本の海難史上、まれに見る未解決事件 その驚くべき真実」という帯のコピーを見たとき、これは「自衛隊か米軍の潜水艦との衝突の可能性」を追った作品ではないかと思った。だから書店の店頭で真っ先に最終章の結論部分を読み、思った通りの内容であることを確認してから購入した。その上で最初から読んだが、予想通り非常に面白かった。こういう買い方も、ある意味で「結末を先に知って読む」ことの延長にあると思う。

■同時に複数の本を平行して読む

 1冊を読み終わるまで次の本は読まない…と決め付けることはない。ある本を読んでいる途中でも、もっと面白そうな本を購入したら、そちらの方から先に読めばいい。例えば専門書や学術書など読むのに時間がかかる本を数日または1週間以上掛けて読み続けながら、それと並行して短時間で読める本を毎日読了していく…といったスタイルだ。
 僕なんかは、毎月順次刊行される本で楽しみにしている本が出た時など、その時に読んでいる本を途中でやめても、そちらの本を読むことがよくある。読み終わったら、また前の読みかけの本を読了すればいい。
 僕は、だいたい3~4冊ぐらいの本を同時並行で読んでいるのが普通だし、もっと多い数の本を同時に読む状態もある。この「複数の本を同時並行で読む」というやり方は、僕以外にも実践している人は多いと思う。

■瞬時に意味がわからない部分は飛ばす

 これはかなり誤解を持たれそうな読み方だ。だって、意味がわからない部分を飛ばして読んだら、本全体の内容を理解できないではないか…という反論を多く受けそうである。
 確かに、ウィトゲンシュタインやソシュールなんて著者が書いた本を読むとなれば、じっくりと読まなければその内容は理解できないかもしれない。しかし、段落レベルでの文意・文脈をある程度掴んだ上で、1つ2つの単語や短いパラグラフの意味が瞬時にわからなかったからといって、そこにこだわっていたら先に進むのが遅くなる。わからない部分を飛ばすといっても、あくまで「章全体を読んで書かれている内容の本質は理解する」ことが前提だ。その上で、部分的にわからないところは、後からじっくりと読み直して、理解を深めていけばよい。意味がよくわからなかった部分も、その後の内容を読むことで「あそこはこういう意味だったのか…」と理解できる場合もある。
 僕は、学術論文を書くためとか仕事の資料として必要だから読んでいるとかの事情でなければ、読書には「いつでもやめる勇気」と同時に「適当に飛ばす勇気」が必要だと思う。さらに、「わからない部分を飛ばす」ことによって、読書に勢いがつく…、というのも大きい。難解な本こそ、勢いをつけて一気に読了することが重要だ。そして、飛ばした部分は後でもう一度読んで理解すればいいだけの話だ。 

4.ライフスタイルを変える 

■書籍購入に惜しみなくお金を遣う

 書籍をたくさん読むためには、書籍を購入しなければならない。当たり前の話だが本を購入するにはお金がかかる。文庫本だって、最近は平均1000円以上だ。新書も1000円を超える(僕が必死に本読んだ70年代初め頃は、岩波文庫が★1つ50円、岩波新書が150円だった)。文庫本だけを月に50冊購入しても、5万円前後は必要になる。加えて時々ハードカバーを購入し、さらに雑誌も購入するとなると、月に最低でも6~7万円の書籍代が必要だ(これは電子書籍でも同じ)。この6~7万円の金額を高いと考えるか安いと考えるかは、当然ながら収入額、可処分所得の金額によって変わる。だから、誰もがこれだけのお金を使えるとは限らない。そういった現実を十分に理解した上で、あえて言う。「事情が許す限り本にお金を使え」と…。要するに「覚悟」の問題である。

 書籍代を節約するために、図書館で借りるとか古書店で購入する…というのは、基本的に選択肢に入らない。まず図書館は、暇がある人じゃないと行けない。また新刊書が入るのが遅い点は致命的だ。図書館は比較的文庫本や新書の蔵書が少ないのも、「面白そうな本を見つけたらすぐ買う」…という購買行動には向かない。さらに決定的なのは、大半の図書館は蔵書数が少な過ぎるという点だ。例えば東京・練馬区に住んでいる僕の場合、近くにある数か所の練馬区立図書館の蔵書数は概ね10万冊以下だ。一方で池袋にある職場の近くの大型書店のジュンク堂は、蔵書数120万冊だ。同じ池袋の三省堂書店は、蔵書数80万冊。近くにある豊島区中央図書館の蔵書数ですら20万冊に過ぎない。結局、多忙なビジネスマン生活をしながら、「面白そうな本を片っ端から読む」ためには、新刊書中心に書店で購入する以外に方法がない。それには、お金がかかるのは当然だ。
 それなりにいい給料をもらっているビジネスマンでも、月に7~8万円なんて書籍代はとても出せない…という人も多いだろう。でもそういう人は、もしかすると住宅ローンなんかを払っているかもしれない。また、子供が2人いて授業料の高い私立学校に通わせているかもしれない。毎晩仕事の帰りに飲み屋で一杯やっているかもしれない。高額な車を頻繁に買い替えているかもしれない。こうした人なら、何か一つを我慢すれば書籍代は捻出できるはずだ。人生は、何かにお金を遣えば、代わって何かをあきらめなければならないものだ。僕のように借家生活・預貯金ゼロで、書籍にお金を注ぎ込みめば多読生活は可能なはずだ。もし、持ち家にも、趣味にも、子供の教育にも十分なお金を遣い、なおかつたくさんの本を読みたいのなら、もっと働いて稼ぐべきだ。

 そして先にも書いたが、本をたくさんストックするためには、広い居住区間を必要とする。広い居住区間こそが、都会生活では最もコストが掛かるものの1つだ。例え一人住まいでも、狭いワンルームマンションでは書棚を置くスペースは非常に限られる。頑張って広めの1LDKに住めば、本をスっトックするための環境は大幅に向上する。これを実現するためには、頑張ってお金を稼ぐ以外に方法はない。 故立花隆氏のように、大量の書籍収納を目的とした自宅兼書庫ビルを建築するというのが理想なのだが…

5.読書時間を捻出する

■通勤時間を含む交通機関に乗っている時間を活用する

 まずは、小見出し通りのごく当たり前で面白くもない話からだ。最近通勤電車の中で周囲の人を眺めていると、老いも若きも約7~8割の人がスマホの画面に見入っている。たまたま隣に座った人、隣の吊り革に掴まっている人の画面が見えることがあるが、ゲームをやっている人、youtubeなどの動画を見ている人、マンガを読んでいる人、LINEの操作をしている人…の4種のパターンが多いような気がする。余計なお世話だが、せっかくスマホを眺めているのだから、スマホで読書をすればいいと思うのだが…
 僕の通勤時間は片道30分ほどだが、うち電車に乗っているのは正味で片道15分前後だ。この往復30分という乗車時間は貴重な読書時間だ。ちょっとしたミステリーや新書ならこれで読了できる。さらに僕は、週に数回は、打ち合わせなどの目的で都内中心に外出する。これまた貴重な読書時間であり、電車や地下鉄に往復1時間も乗れば、やはり1冊読了することが可能だ。
 遠距離出張となると、もう読書三昧の時間を過ごす。新幹線で大阪まで行けば、3時間弱の片道分の乗車時間で割と難しめの本を1冊、軽い文庫本なら2~3冊は読むことができる。出張帰りの新幹線で缶ビールを飲みながらミステリーを読む…、これは至福のひと時だ。ともかく、多読実現のためには、公共交通機関での移動中にはスマホやタブレットで読書をする習慣を身に着けよう。

■日常生活の中に読書時間を作り出す

 日常生活の中も、けっこう読書時間を捻出することができる。ただし、トイレで読む、入浴しながら読む、食事しながら読む、そして歩きながら読む…などはお勧めしない。少なくとも、僕はこれらの行動はけっしてとらない。。
 
 そして極めつけは、「ながら族」に徹する…やり方だ。僕は自宅のリビングでくつろいでいる時、常に読みかけの本を手許に置いている。そうすることで、TVドラマを見ながら、スポーツ中継を見ながら…、本を読んでいる。むろん、面白い映画やドラマの本編を見ながら読書するのは無理だ。しかし、民放TVで放映する映画やドラマなら、CMの時間がある。2時間の放映枠の映画には、合計すると15分以上のCM放映枠がある。その時間を有効に活用するのだ。スポーツ中継を見る時間も、読書に使える。サッカーなど「いつ点が入るかわからないスポーツ」は、基本的に目を離すことができない。とは言え、ハーフタイムの15分は読書時間に使える。最も時間を作りやすいのが、野球や相撲など「定期的に止まっている時間」があるスポーツだ。野球ならイニングの交替時、相撲なら立ち合いまでの時間を定時的に読書に使える。ボクシング中継だってラウンド間には1分のインターバルがある。12ラウンドまでやる場合には11分の読書時間を作り出せる。野球中継なんかは、最初から最後まで真剣に見る必要はない。贔屓のチームが守備側に回ったときや、だらだらと試合が続く時には、すかさず読みかけの本の続きを読めばいい。

■本を読まない時間を作る

 これまでに書いてきたこととは矛盾するような話だが、「本を読まない時間」をしっかりと作ることも大事だ。先に書いたように僕はTVを見ながらでも読書をするが、一方で「絶対に本を読まない時間」もある。要するに「メリハリをつける」とうことだ。僕は決して「寸暇を惜しんで」本を読んでいるわけではない。
 まず、当たり前の話だが友人と話している時間、居酒屋で飲んでいる時間は、絶対に本を読まない時間として貴重だ。そして、僕は旅行が好きだ。遊びで旅行に行く時には、基本的に本を読まない。列車に乗っている時間でも、車窓からの風景を楽しむ。出張で新幹線に乗る時には本を読むが、遊びで新幹線に乗る時は弁当を食べながらビールを飲む時間を楽しむ。現地のホテルでも基本的に読書はしない。これは海外旅行でも国内旅行でも同じだ。いつでもどこでも読書をする…のではなく、あくまで「日常生活の中で読書する」のだ。非日常を楽しむ時間には、絶対に本を読まない。こういうメリハリは重要だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?