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~読書&映画の時間『望み』~

自分の息子が被害者か加害者か、どちらを望むか。

本を読んでいるときも、そして映画でも、決して正解のない、そして答えの出ない問いかけをずっとされている気分だった。

原作を読んだ上で映画を観たので、ふたつを絡めながらレビューしたいと思う。どの役者さんも本当に素晴らしかったけど、岡田健史さんと清原果耶さんの演技がキラッキラと光っていた。

Story                                                                             建築デザインをしている一登は、妻と息子、娘の4人暮らし。いたって普通の家族だった。ある日、高一の息子・規士の友達が遺体で発見される。規士は事件が起こった日から行方不明になっていた。加害者でもあっていいから生きていてほしいと思う妻と、息子はそんなことをするはずがないと思う一登。家族はどんどんバラバラになっていく。自分の息子は加害者なのか、被害者なのか--。

息子はそんなことをするはずがない、と信じる父親・一登を堤真一さんが、加害者でもいいから生きていてほしいと願う母親・喜代子を石田ゆり子さんが演じ、堤幸彦監督がメガホンを取った。

一見どこにでもいるような家族の石川家。原作の一登は気難しくていかにも子どもに煙たがれる父親、という感じがしたのだけれど、堤さんが演じることによって一登が少しなめらかになっているような気がした。テーマ的にどうしても暗くなってしまうのだけれど、冒頭の堤さんの演技に救われるというか、本当に普通のどこにでもいる家族なんだな、ということが感じられた。

石田さんの演じる喜代美の感情の揺れ幅に何回も涙してしまったし、結末を知っていながらも、苦しさで胸がいっぱいになった。普段の石田さんは可憐でかわいらしいイメージだけど、演技となれば一変する。女優さんって本当にすごい、と思う一瞬だ。

キーパーソンである息子・規士は「中学聖日記」で先生に一途に思いを寄せる高校生役を演じて話題となった岡田健史さんが演じた。岡田さんは「中学聖日記」を観てからずっと気になっていた存在。規士役を岡田さんが演じると聞いてハマらないはずがないと思って、ほぼほぼ岡田さん目当てで観にいった。

思った通り、岡田さんの演じる規士は素晴らしかった。岡田さんの隠し持つ危なっかしさや不安定な感じと、本当はきっと良い子なんだとこちら側に信じさせてくれるような優しさが絶妙。決して口数が多い役ではなく、出番も少なめではあるけれど、圧倒的存在感を放っていた。

規士の行動を軸に物語が進んでいくため、観る側としては、規士が出演していないシーンでも顔が思い浮かんだり、規士が何を考えていたかを予測したりする。そこでぼんやりとした存在であってはいけない役だと思うのだけれど、岡田さんの存在感はすごかった。一言、二言で規士の存在を観ている側の心に植え付けてくれる。そして私は、どうか何にも関係していないでくれ、ひょっこり「ただいま」って帰ってきてくれ、と結末を知りながらも願わずにはいられなかった。

そして石川家に欠かせないもうひとり、妹の雅を清原果耶さんが演じる。清原さんはあらゆる作品で観る機会があって、とんでもない女優さんが出てきたな、と思っていたけれど、やっぱりとんでもない女優さんだった。
かわいいんだけどどこか生意気で、どこか自分本位。あの年代特有の揺らぎを演じるのが本当に上手だと思った。特に喜代子と言い合いになるシーン。感情のぶちまけ方が本当にあの年代の子そのもので、ぐっときた。

原作ではあるシーンで「ごめんねお兄ちゃん」というシーンがあるのだけれど、それが観れなかったのは少し残念だったな。けど、逆に原作にはないエピソードが散りばめられていて、そこに兄と妹の関係性がありありと浮かんできたのでよかった。個人的には本当に序盤の、規士と雅が一緒に登校して、規士が雅の頭をはたくシーンが大好き。本当になんてことない、忘れてしまうようなシーンだけど、あそこがあるとないとでは大違いなのではないかと思う。

そして、これは映画ならではなんだけど、写真の演出が本当にずるくて、「ずるい、、、」と声に出しそうになりながら観た。文字で読んだものが、映像になって、想像でしかなかった人が動いていて、話している。作品の実写化はやっぱり賛否両論あるけれど、私はそれを体現してくれる実写化が好きだし、作る人たちや役者さんをリスペクトしている。原作と実写両方を楽しむことで、それぞれがそれぞれを補完してくれる感じも好きだし、醍醐味だと思ってる。

「信じること」とは

原作を読んでいて、どうしても規士の心の綺麗さや、素直さ、優しさを願ってしまった。私の望みはもちろん、どこにも関わっていないでくれというものだったけど、どうしても、一登側の気持ちになった。規士のことを何も知らないくせに、それでも「規士はやっていない」と思ってしまうし、望んでしまう。

映画「星の子」のイベントで、「信じることとは?」という質問に、芦田愛菜さんはこう答えた。

人を信じるということは、その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまってることなのではないか。だからこそ人は「裏切られた」とか言うけれど、それはその人の見えなかった部分が見えただけであって、そのときに「それもその人なんだ」と受け止められる揺るがない自分がいることが信じられることなのではないか。

規士はやっていない、と信じることは、望むことは、逆を言えば、規士が被害者で、もうこの世にいないかもしれないということ。結末以外でも涙を流す箇所が山ほどあったけれど、フィクションとはいえ私に涙を流す資格なんてないのではないかと思いながら読んだ。涙を流していいのは、規士のことを本当に知っている人で、その上で自分の気持ちに従って信じている人だ。

それは現実でも同じで、外から事件を見ている世間というものが、どれだけそこに介入すべきかという疑問も生まれた。意見を持つことは大切だけど、真実を知る前に決めつけで物事を受け取って、解決してしまうのではなく、フラットな目を持っていたいと思った。


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