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『日の名残り』 (カズオ・イシグロ 著)~失った宝物を探す旅~

こんにちは、エエメエちゃんです(^^)カズオ・イシグロの「日の名残り」を読みました。

最近小説が面白くなってきて、本屋さんに入った際、今まではあまり足が向かなかった小説コーナーで作品を探すことが多くなってきました。

本を読んでnoteに感想を書くというセットにすると、読書の幅と奥行きが広がって一段と楽しいですね。

本文に入る前に、先回と今回の読書感想の間にすごくささやかなシンクロがあり、どうしても誰かに言いたいので聞いてください。w

以前に紹介した外山滋比古先生の「50代から始める知的生活術」の中に、とても印象的だった「残照夢志」という言葉がありました。
“残照”とは、日が沈んでからも雲などに照り映えて残っている光のことです。

そして、先回の記事をnoteに書いている時に、同時進行で読んでいた本の題名が今回の「日の名残り」でした。
偶然にも、どちらも沈みゆく太陽と人生の晩年を重ね合わせた表現だったんです。
まったく違う本だけど、なぜか繋がっている。
大したことはないんですが、こういう小さなシンクロニシティってなんだか嬉しいし、目に見えない導きを感じます。

さて、カズオ・イシグロ氏は、2017年にノーベル文学賞を受賞したイギリスの作家です。
「日の名残り」は1989年に刊行され、英国最高の文学賞、ブッカー賞を受賞した作品。

次はなんの小説を読もうかな~、と行きつけのブックオフwで物色していた際に目に飛び込んできたカズオ・イシグロの名前。
なんとなくフィーリングで読むことに決めました。

物語は主人公の執事スティーヴンスの一人語りで終始進んでいきます。
その語り口調は、英国貴族に仕える一流執事らしく大げさなほどかしこまっていて、逆に可笑しくなるほどです。
最初は違和感がありつつも、読み進めるうちにだんだんクセになってきて、
その口調が心地よくなってきます。
最終的にすっかり、誇り高く誠実なスティーブンスのファンになってしまいました。
ラストは本当に切なくて、胸の奥からこみ上げる感情を噛みしめながら、物語の中の彼と一緒に泣いている自分がいました。

読み終わって私が一番受け取ったメッセージは「囚われからの解放」。
この視点で私なりに感じたことを伝えてみたいと思います。


◎あらすじ(ネタバレあり)


第二次大戦後のイギリスにて。
ダーリントンホールで働くイギリス人執事のスティーヴンスは、新しく仕えたアメリカ人の主人から、ドライブ旅行にでも行ったらどうかと提案を受けます。

最初は乗り気ではなかったものの、同時期にかつて(戦前)女中頭として一緒に働いていたミス・ケントン(今はミセス・ベン)から、またダーリントンホールに戻りたいともとれる手紙が届き、人手を探していたことから、彼女をスカウトするためのドライブ旅行に行くことにしました。

ずっと狭い世界で生きてきたスティーブンスにとって、この旅の道中で出会う風景や人々からの刺激は、執事としての自分の人生の回想を促すものとなりました。

ダーリントン卿という素晴らしい主人に長年仕え、ひっきりなしに訪れる主要な人物たちへのおもてなしや、華々しい国際会議の場での仕切りなども完璧にこなし、品格を重んじ、執事として勝利し続けてきた過去の輝かしい記憶が次々と蘇ります。

しかしそれと同時に、光が作り出す影の側面もあぶり出されることになり、今まで信じてきた世界が少しずつ揺らいでいく現実とも向き合うことになっていきます。

ドライブ旅行4日目、海辺の町のホテルの喫茶室で、最も信頼できる同僚であったミス・ケントン(ミセス・ベン)との再会が叶います。
美しく年をとった彼女でしたが、昔のような内面のきらめきはもう感じられません。長年連れ添った愛する夫との生活、愛する娘。その娘にはもうすぐ子供が生まれると言うのです。

スティーブンスが思い描いていた、また昔のようにダーリントンホールで共に働く、という余地はまったくありませんでした。

しかし別れ間際ミセス・ベンから、彼女が長い間スティーブンスに同僚以上の想いを持っていたことを打ち明けられます。

執事の仕事に徹するスティーブンスにとって、同僚との恋などは考えることさえあり得ないことでしたが、その告白を聞いた時、胸が悲しみでいっぱいになりました。

海辺のベンチに座り、美しい夕日を眺めるラストシーンでは、晩年不幸だったダーリントン卿に想いを馳せます。
そして物語の中で初めて、心の中を吐露し涙するスティーブンでしたが、たまたま隣に座っていた男から、前を向くようにと励まされます。

そして最後は、新しいアメリカ人の主人を驚かせるべく、苦手なジョークの腕を磨く決意をし、執事としての矜持を見せて物語の幕が閉じます。

◎スティーブンスの囚われ

スティーブンスは「執事の品格」をとても大事にしています。
「執事の品格」とは、決して自分の内面の感情を表に出さないこと、です。

彼が尊敬してやまない執事の一人は、自分の父親でした。
(晩年の父に引導を渡してしまったのは彼だったが)
なぜか小説の中には母親の存在が出てきません。
想像するに何らかの原因で彼の前からいなくなり、文中では存在を無視せざるを得ない関係性だったのでしょう。
そしてスティーブンスには兄が一人いたようですが、彼が少年のころに南アフリカ戦争で戦死したとあります。

つまり彼にとって唯一残った肉親が執事の父親であり、執事という仕事で最も価値があることが、人前で自分の感情を出さないこと、だったのです。

ボロを出さないことによって“完璧”であろうとする。
スティーブンスの囚われは、完璧でない自分は愛されないという怖れだったのではないかと想像します。

◎スティーブンスがダーリントン卿に物申す選択肢はあったのか?

スティーブンスにとって、ご主人様であるダーリントン卿の言葉は絶対でした。
卿から、屋敷で働いている2人のユダヤ人メイドの解雇の指示を受けた時、彼は反論もせず言われた通りにしました。(ミス・ケントンは解雇に大反対しましたが)

内心では長年一緒に働いていた仲間を、ユダヤ人というだけで解雇する愚かさを分かっていたにも関わらず。

かつては屋敷内で国際会議が行われるほど、政治の中枢に関わっていたダーリントン卿でしたが、戦前に一時期だけ加担してしまったドイツへの宥和政策のせいで戦後は評価が地に落ち、哀れな晩年を過ごすことになってしまいました。
もしも一番近くで仕えていたスティーブンスが自分がどうなろうと構わずにダーリントン卿に諫言(かんげん)していたら、あるいは何かが変わっていたのかもしれません。

その後悔をずっと心に秘めていたスティーブンスがラストで泣きながら吐露したセリフです。

「ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。お亡くなりになる間際にはご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道をお選びになったのです。
私は...私はそれだけのこともしておりません。私は選ばすに、信じたのです。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」

「日の名残り」より

“一人の人間としてのスティーブンス”と、 “品格ある執事としてのスティーブンス”は長い間ずっと同一化されていました。
執事として主人の言葉は絶対ですが、一人の人間としては・・・。
自分のことを客観視できないのが人間です。
過去を振り返ったときに、あの時こうしていればということはできますが、渦中は難しいですよね。

◎ミス・ケントンの恋心に気づけなかったのは、自分が崩れてしまわないための防衛反応!?

いかなる時も感情を表に出さず、完璧に職務を全うすることだけを考えている執事のスティーブンスと、女中頭として能力が高いものの、自己主張が強く、感情豊かで負けず嫌いのミス・ケントンは、衝突することも多々ありました。

大体はスティーブンスの無神経な言動に対して、ミス・ケントンが感情的に反応して言い返すというパターンでしたが、その言い合いをお互いに楽しんでいるように読者には感じられていました。
おまけに毎夜反省会と称して行われていた“ココア会議”。
絶対お互いに好きじゃん!っていう感じです。w

でもあまりにも自分に心を開いてくれないスティーブンスに業を煮やし、ミス・ケントンは好意をもってくれているミスター・ベンと会うようになっていきました。
スティーブンスはますます執事の仕事に没頭する日々を送っていきます。

ある日、ダーリントンホールでとても大事な会合が行われることになりましたが、ちょうどその日、ミス・ケントンは休みを取り、出かけました。
そしてミスター・ベンからの結婚の申し込みを受け入れました。

屋敷に帰ったあと、そのことを、会合の世話で忙しく働いているスティーブンスに伝えますが、スティーブンスは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに祝福し、あなたの後を継ぐ女中頭を早く見つけるために最善を尽くします、と答えて自分の仕事に戻ってしまうのです。

真夜中、執事としての業務でワインを酒蔵に取りにいったスティーブンでしたが、ミス・ケントンの部屋のドアからあかりが漏れ、彼女がまだ起きていることに気がつきました。

さよう、私の記憶に深く刻み込まれておりますのは、やはり、あの瞬間のことだったに違いありますまい。
私は両手にお盆を持ち、廊下の暗がりの中に立っておりました。そして、心に確信めいたものが湧いてくるのを感じておりました。この瞬間、ドアの向こう側で、私からほんの数ヤードのところで、ミス・ケントンが泣いているのだ...と。それを裏付ける証拠は何もありません。もちろん、泣き声などが聞こえたわけではしません。
が、あの瞬間、もし私がドアをノックし、部屋に入っていったなら、私は涙に顔を濡らしたミス・ケントンを発見していたことでしょう。当時も今も、そのことは信じて疑いません。

「日の名残り」より

ドアノックしろよ~!って思いますがw、これはほんのひとときの出来事。

その日のスティーブンスは世界の動向を左右する大事な会合の仕切りを任されており、執事人生の集大成とも言える仕事の最中にいたのですから仕方ありません。

ただこの瞬間、彼は内側では、ミス・ケントンの彼に対する想いに気づいていたはずだと思います。
そしてドアをノックして部屋に入り、涙に濡れる彼女の顔を見た瞬間に自分の感情を抑えることができなくなってしまうことにも。

◎「夕日が一日でいちばんいい時間なんだ」

美しい夕日が見えることで有名な海辺のスポットでベンチに座り、今まで信じて疑わなかった一流の執事としての自分の人生が、本当は無価値なものだったのではないかと打ちひしがれるスティーブンス。

大好きなダーリントン卿は逝き、新たなアメリカ人の主人の元で一生懸命努力しているものの、昔のような水準の仕事は出来なくなってしまい...。
その時、彼の言葉を横で聞いていた男が言います。

「わしに言わせればあんたの態度は間違っとるよ。後ろばかり向いてるから気が滅入るんだよ。昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休む時が来るんだよ。わしを見てごらん。隠居してから楽しくて仕方がない。・・・・」
「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間だっていうよ。

「日の名残り」より

横にいた人、いいこと言うね~!
タイトルの「日の名残り」を表しているシーン。作者が1番伝えたいことがここにありますね。

◎人生を価値あるものにするのは自分次第

いかなる場面でも自分の内側の感情を表に出さない執事としての品格。
確かにそういう執事は一流だと思います。

ですが「品格」という言葉に逃げ込み、本当の自分と向き合うことをしなければいずれ支障が出てくるのも事実です。

執事でなくとも、仕事にのめり込み過ぎて、家庭を顧みなかったお父さんが定年と共に熟年離婚されてしまう、というケースも世の中には少なからずありますから。

でも気が付いたときに、方向転換すればいいのです。

スティーブンスは初めて自分の感情を吐露したことによって、長い間手放せなかった囚われから解放されたんだと思います。
すぐに前向きになって、アメリカ人の主人とのコミュニケーションを良くするために、決意新たにジョークの練習をしようと意気込みます。

勉強熱心な彼のことですから、試行錯誤しながら変てこなジョークを身につけw、愛される存在になっていく姿が目に浮かぶようです。

以上、
最後までお読み頂き有難うございました!(^^)!

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