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[書評]20歳の自分に受けさせたい文章講義

ぼくたちは日本語をあつえているのか

「会わないと伝わらないから、出社してもらってもいい?」

新型コロナウイルスの感染が日本で確認されてから、およそ2年。
多くのひとは、働き方をはじめとしたライフスタイルそのものを変えることを余儀なくされただろう。

程度の差こそあれ、大半の人は”リモートワーク”というものが
自分の生活へ強制的に実装されたと認識している。

いろんな活動が制限されて退屈な日々がつづく一方で、
自宅で労働が完結することは、「思いのほか」なんて表現では収まらないほど快適であり、感銘を受けた人はきっとぼくだけではないだろう。

そんなとき、上司からのこんな一声に頭を抱えたことはないだろうか。
「やっぱり、テキストじゃ思いは伝えられなし、直接話さないとコミュニケーションとれないよね。来週から出社に戻そうか。」

ぼくたちは生まれてこのかた、日本語を用いて生きてきた。
社会にでて働いている以上、最低でも20年そこそこの日本語キャリアを積み上げてきた、いわば日本語のエキスパートである。

にもかかわらず、日本語を書くとなると途端に手が止まってしまう。
書き言葉では、ほんの些細なコミュニケーションすらままならない。
普段から文章を書く習慣がない人は、とくに思い当たる節があるのではないだろうか。(かくいうぼくも、この記事を書く手は止まってばかりだ。)

だから、などと言うわけではないが、改めて言葉で思いを伝える大切さと難しさを実感した今だからこそ、「書くこと」を学ぶことは、小手先のノウハウを学ことよりもよほど大切なことだと思う。

そこで今回は「嫌われる勇気」の著者、古賀史健さんが15年のライター人生で培ってきた文章術(話し言葉から、書き言葉へ翻訳する技術)を詰め込んだ本書、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」をご紹介したい。

文章は「リズム」で決まる

では早速、そもそもいい文章、読みやすい文章とはなんなのか。

筆者曰く、それは「リズムのよい文章」であるという。
いきなり完全感覚的な”リズム”などというワードが登場し、身構えるひともいるかと思うが、ここでいうリズムとは、決して感覚的でも直感的なものでもない。

リズムとはすなわち、論理展開である。

文章のリズムをつけるために、
句読点の打ち方や音読したときの印象も、もちろん大切な要素だ。

しかし、リズミカルな文章の根底にあるものは、
論が美しく継がれ、淀みなく流れること。
なにに課題を感じ、どんな主張をし、その理由と根拠が明確に語られている。そんなふうに、思考が頭の中でコロコロと転がって加速していくような流れが肝なのだ。

どれだけ句読点を正しく打っても、
主張や観念をこねくり回すだけではリズムは生まれない。

文章の面白さは「構成」で決まる

話をもう一歩すすめよう。
読みやすい文章をどのように書けばいいのか。
リズムをつくるために、どのように論理展開すればいいのか。

本書では、映画・アニメなどの映像表現を参考にして
文章をカメラワークとして捉える方法がオススメされている。

下記が、物語の流れと文章の構成、そして視野の位置の関係だ。

①導入=序論=客観(俯瞰)のカメラ
②本編=本論=主観のカメラ
③結末=結論=客観のカメラ

ずっと主人公だけを映していても、状況が飲み込めない。
いきなり本論に入られても、前提や状況がわからない。

映像表現と照らし合わすことで、文章で描写すべき目線の距離感をつかめる画期的な考え方である。さらにこうしてみると、いかにぼくたちが誤った構成で文章を書いてきてしまったのかも、とても腹落ちさせられる例えではなかろうか。

「自分の頭でわかったこと」以外は書くな

ここまでの内容を肝に命じるだけでも、
今までとは見違えるほど骨のある文章を書くことができるだろう。

しかし、その強靭な骨に肉をつけ、
豊かな文章を書くために、決して忘れてはならないことがある。

それはとにかく自分の頭で「わかる」ことが重要だという。
「最後になにを当たり前のことを言ってるんだ」と思うだろうが、
ぼくたちは自分の頭でわかっていることしか、自分で書くことができない。

時間の制約、あるいは怠慢により浅い理解のまま無理に書こうとすれば、
借り物の専門用語や他人に使いまわされた表現でしか語ることはできない。そうやって書かれた文章はどこか芯がなく、そしてわかりにくい。

結局のところ、題材の論理が理解できていないのだから、
先にお話した論理をうまく組み立てることすらできるはずがない。

一つ一つの題材に、膨大なインプットの時間を設けることは非常にめんどくさい。ただ、一流の仕事を成し遂げるためにはこのめんどくささを避けて通ることは絶対にできない。

あの宮崎駿も、下のような言葉を残している。

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どんなに輝かしく、クリエティブな仕事でも面倒くさい瞬間はあるのだ。
過激な働き方を推奨するわけではないが、結局いいものというのは1秒でも長くこの面倒くささと向き合ったかで決まると考えざるを得ない。

まとめ

すべての文章が、クリエイティブや表現のためであるわけではない。
あくまで文章は自己表現以外にも、コミュニケーションのツールであり、
その用途は人それぞれだろう。

それでも文章を通じてなにかを伝える、そして相手の行動を変えるために、この本をつうじて今一度「日本語を書く」ということに向き合うことは、
他者とよりよくつながるきっかけになるのではないかと、ぼくは思う。

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