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結局、札幌が大好き。

この街しか知らない。

札幌で生まれ、そのとなり町の田舎で育った。小さなころから札幌がとなりにあって、地平線の向こうにうっすらとJRタワーが見えた。

JRタワーは当時の札幌市内で最も高いビルで、地上38階建て。当時の私からすれば、人間が作った最も巨大な建造物はあれだ、と思っていた。

天気がよければ銀色の屋根の札幌ドームも見えた。遠くにぼんやりとその存在が確認できた。

夜になると、オレンジ色に光る札幌テレビ塔が、ちんまりと見えて、幼心おさなごころに私は「いつかあそこに行くんだ。札幌で働くんだ」と考えていた。


強く念じていれば、それは実現する。


月に行こうと思わなければ、
人間は月に行けない。

黄色いワンピースを着ようと思うからこそ、
黄色いワンピースを着られる。

病気を治そうと強く願うから、
規則正しい生活をするようになる。


札幌で暮らすんだ、
と強く念じたから、私は札幌にいる。




札幌はすばらしい。

とても都会的で、自然にあふれ、人もやさしい。どの店でお刺身を食べたって、当たり前に冷えていて美味しく感じられる。


本州と比べれば、歴史は150年しかないから「日本」という国の成り立ちを近くには感じられない。だけれど、明治からの歴史は感じ取ることができる。そういう建物が多くある。


四季の境目がはっきりしていて、
夏と冬のちがいは、男と女くらいにちがう。


日本経済の中心にいる、という誇りはないかもしれないし、テレビに出ているような有名人は街を歩いていないけど、この街ならではの良さがある。



札幌で最も好きな場所はどこですか?


もしも、こういう質問をされたら、
私は迷うことなく「時計台」だと答える。



小学校低学年のとき、両親に連れられて札幌の街中を歩いた。あこがれの札幌。ちいさな私のおおきな目標、札幌。時計台の存在は知っていたものの、小学校に入るまで見たことはなかった。



はじめて時計台をみた私は、その荘厳さに圧倒され、お父さんに質問した。

「ねぇ、おっとう。なんでみんな、時計台を見ても驚かないの?」

父さんは笑ってた。




大学生のとき、といっても大学には7年ちかくいたから、もう24歳になっていたのだけど、私は札幌市内の広告制作会社でアルバイトをしていた。

コピーライター見習いとしてバイトしていたのだ。バイトというか、インターンか。お給料はもらっていなかったから。


社内で、札幌の観光地をまとめたWebポータルサイトを作るプロジェクトがあった。札幌市内の代表的な建物、ビアガーデンなどのイベント、雪まつりなどについての特集をするのだ。



先輩コピーライターから言われた。

「イトーくん、何か書きたいスポットはあるかい?」

「なら……時計台について書きたいです」

迷いなく、時計台のことを書こうと思った。


あこがれの時計台。

だれも驚かない中で、私だけが圧倒された時計台。

書きたかった。


書く前には調査をしなければならない。
時計台についての特集を書くのだから、時計台の歴史を紹介したいではないか。当時24歳の私は、時計台の歴史をまったく知らなかった。



ここで豆知識を授けよう。
8年前に調べて、今でも覚えている豆知識だ。



時計台は、当時、札幌農学校の演舞場だった。
いまでいう体育館的な場所である。

明治のころはいまほど時計が普及していなかった。

時計台は時間の数だけ鐘がなる。現在もだ。
3時なら3回。8時なら8回。12時なら12回。

いまでこそビルの谷間にある時計台だが、当時はビルもなくひらけていたので、その鐘の音は札幌中に響いていて、近くの住民に時間を告げていたとかいないとか。

ほかにも豆知識があるんだけど、それを書くと長くなりすぎるのでこのへんでやめておく。



24歳のとき、私はこの先の自分の未来をうれいていた。

自分はおそらく広告の仕事をしていくんだろうと思っていたが、なにをどうしたらいいのかわからなかった。

札幌駅のとなりの紀伊國屋書店に行っては、デザイン本がまとめられた本棚の前で立ち読みし、キャッチコピーに関する本を立ち読みした。




その観光ポータルサイトに、自分が書いた文章がはじめて採用されたとき、私はとてもうれしかった。

小さなころに見ていた時計台についての記事である。お父さんに見せたような見せていないような。



そのポータルサイトは、実はいまも生きていて、当時24歳の私が書いた時計台についての記事はいまだに読める。私の名前もクレジットされている。インターン扱いだった私に気を遣って、先輩コピーライターが名前を載せてくれたのだ。


いま改めてその文章を読んでみると、とても恥ずかしい。お世辞にも上手だとは言えない。でもあのころ、悩みながら一生懸命書いた記憶がありありと思い出せる。




札幌市には「市民憲章」がある。どこの街にもあるとは思うけど。同じ札幌市民でも、知ってる人はごくわずかだと思う。

でも私は、この憲章の「前章」に書かれている一文が大好きだ。時計台の鐘の音を聞くと、たまにこの前章を思い出す。


札幌市民憲章にはこう書いてある。

<札幌市民憲章>

前章:
わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。


1章:
元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。

2章:
空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。

3章:
きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。

4章:
未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。

5章:
世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。


だから、


札幌にお越しの際は、ぜひ時計台を見てほしい。
ここはがっかりスポットでもなんでもない。


きちんと知れば、絶対に驚くはずで、
もっと札幌を好きになるよ。


<あとがき>
時計台は中に入ることができます。コロナのころは無料開放していましたが、いまは入館料いくらなんだろう。数百円とかのはずです。中には札幌の歴史と時計台の歴史の博物館のようになっていて、いまでも専門の時計技師があのメンテナンスをしてるはず。今日も最後までありがとうございました。

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