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シネマ愚考録02 「月」 自らの怠慢と偽善を許せるかという問いかけ

シネマ愚考録では、僕が鑑賞した映画をネタバレを恐れず思ったことや考えたことを書き綴ります。
あらすじの紹介や物語の解説はあえてしないが、どうかネタバレにはご注意ください。


令和5年10月13日に公開されたこの作品は、公開3日目の朝からミッドランドシネマ名古屋空港で鑑賞。

(C)2023「月」製作委員会

最近、大活躍の磯村勇斗くんが何やらとんでもない役をやるとの噂を聞き、調べてみてたどり着いたのが、選民思想的な思想により自らの勤めた障害者施設の利用者を何人も殺害してしまったという本当にあった事件の犯人を描くこの問題作。

メンタルがやられないよう、パーカーのフードを目深に被って膝を抱え、心を硬く閉ざして鑑賞したが、胸糞ながらもどこかに心の救いを得られるようなラストに、ホッとしながら帰途に着いた。

◆概要やあらすじについては、公式ホームページや予告動画をご参照のこと。


感想レーダーチャート

「月」の僕的評価は、50点満点中43点。
(内訳 世界観 8点 、脚本 10点、演出 9点、キャラ 9点、満足度 7点)

ざっくり感想

独特なカメラワークやなんとも嫌な話題で不穏な空気を醸しつつ、登場する人物たちの重たい空気感をリアルに描いたこの作品。
理想と現実の間で悩みながら、独善的な正義を振りかざして堕ちていった「さとくん」と悪を抱える矛盾に苦しみながらもなんとか前を向こうと思えた「洋子」が対照的だが、どちらの心境も考えるととても苦しくなるので、頑張って無感情を通そうとしながら鑑賞した。

もし「障害者施設のリアルが描かれていた」と言えるのであれば、これは社会問題としてあまりにも重すぎる。
あまりにもセンシティブなので正直に言って直視しがたいが、これから父になる可能性があると思っているひとりの男として、ちょっとくらってしまった。

映像作品としてもかなりの大作だったと思うし、見てよかったと思う。
が、もう1度見るのは遠慮したい。

ベストキャラ

さとくんが実在の人物だったことが、あまりにも衝撃的でなかった。
夢に敗れ、実はまともな感性を持ちながら、理不尽な環境に身を置き、狂っていった過去に想像がついてしまった。


愚考01 僕は第2のさとくんになり得るのか

(C)2023「月」製作委員会

とんでもない事件を起こした「さとくん」の登場シーンは、施設利用者へ自分の描いた紙芝居するための練習として、お話前に吹くハーモニカの愉快げな音色が不穏で暗い夜の施設に響いていた。

この映画を見る前から相模原障害者施設殺傷事件をテーマにした作品であることは知っていたので、この人物がどのように出てくるのかということには注目していたのだが、ここでは「闇の中で腐っていない青年」のように僕の目には写った。

自分の正義や道徳心を持ちながら、それに反する行動を許容される、もしくはそのような実態のある団体に属することは、精神的にかなり負担をくらうことであり、これにもやもやしている状態は、突飛な考えや思想に侵されやすい状態なのではないかと思う。

現在、僕は職場で広報業務を担当しているが、組織としての取り組みがあまりにもできていないと感じており、これをなんとかしようと広報担当となってからの2年半、他部署の職員を含めた声掛けなどの地道なことから広報の仕組み作りに奮闘してきた。
しかし、なんとも手応えのないどころか、広報業務は事業を回す「ついで」以下である実態に変化はなく、これを変えるために、義務を盾にした暴力的な業務の押し付けを行うしかないと定期的に考えてしまう。

上司からは「理想と現実を見比べて、今何ができてどこまでやれるのかを見通すことが必要だ」と諭されたが、要は諦めも重要だということである。

ちなみに諦めにはもうひとつの向きがあり、それはその場でいることを諦めるということで、簡単にいうと逃げるということ。

この映画の感想としてはちょっと離れてしまった気もするが、団体に所属することの理不尽に思い悩み、自分では何にもできないのであれば、狂っちゃう前に逃げることも必要なんだなということを改めて感じる。

自らの正義を納得できる形で諦めるという怠慢を許せる心が、自分のメンタルを守るためには必要なのかもしれない。

愚考02 洋子の心はきれいなのか、きたないのか

(C)2023「月」製作委員会

洋子は過去に震災をテーマにしたヒット作を出した元小説家であり、心に傷を抱えながらも他人への攻撃性も否めず、ちょっと独りよがりな感じがするかなという印象を受けた。

これは編集者の意図や商業主義的な側面もあるということを認識した上だが、陽子が言うには、洋子が小説で描いた震災には人間の負の部分が描かれておらず、つまりは「リアル」が足らなかったらしい。

この映画はその小説に対するアンチテーゼになっているのかと思わなくもないが、僕としてはその小説にもまた、人間の負の部分に目を背けたいというリアルが現れていると感じる。

そして目も見えず耳も聞こえず、返事をすることもできないとされる「きいちゃん」にちゃんと心があると思える感覚は、夢見がちというか、ロマンというか、お花畑というかなんというか。
だが、理解してくれる人がいないかもしれないが、その感覚は確かにリアルなもので、大切にしなくてはならないと思う。

自らの子どもが障害を持って生まれることは、悲しいと同時に厄介であることは紛れもない事実として認識しながらも、感情的には「厄介だから」産まない選択をするというのは、許容できない。

そんな矛盾を抱えながらも、偽善だと言われながらも、さとくんからの非難に屈しなかった洋子は本当に強い女性だと思った。

登場する誰しもが全くの善でも全くの悪でもないというところにも、この映画のリアルさを感じた。

愚考03 長井恵里さんを推していきたい

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

さて、この映画にはさとくんの「彼女」役としてろう者の女優、長井恵里さんが登場した。
どこかで見た顔だなと思ったら、昨年の冬に公開され何やら各所で話題になっている「ケイコ 目を澄ませて」に主人公の友人の役で登場していたようだ。
この映画では耳の聞こえない役を演じた岸井ゆきのに目が行きがちだが、この長井さんもなかなかいい演技をしていたと思い出した。

さとくんの横でずっと心配そうな顔をしていたこの「彼女」だが、事前にさとくんの異変と凶行に気づくことができなかったのかと誰もが考えるのではないかと思う。
でも、僕はこのことからさとくんが純粋な「悪人」ではなかったことが証明されているのではないかと感じる。(あくまでこの映画の中では、だが。)

少し違和感を感じるさとくんへの心配と、幸せな結婚生活を思いながら抱きしめながら「今夜、障害者たちを殺すよ」と語りかけられた彼女は、当然そのことに気づくことなく仕事に出掛けてしまった。犯行当夜も不安の中で布団で帰りを待った。

このことを思い出すと、朝になりニュースを見た彼女の心境を想像すると胸が張り裂けそうになる。

手話はできないけど、この子を救いたいと思う。(この映画について語っている最中に不謹慎な気もしますが、長井さんの顔ファンになりました。)

ちなみにこの映画では、ろう者の「彼女」の主観シーンと、洋子が(おそらく)ノイズキャンセリングのイヤホンをするシーンでは、環境音が全て消える。
この演出が生活感に効果的なリアルさを与えていて、意思の疎通の難しさを感じた反面、この不便さが相手への信頼を寄せるために必要な情報の断絶にもなるような気がした。


最後に

見終わったあとにとても暗い気持ちになることを危惧していたが、洋子と昌平が新たな1歩を踏み出すようなエンディングは、少しショックな内容を和らげてくれた気もした。

もし、この映画を見るのであれば、ツラいからと途中でやめるのではなく最後まで身終えることをお勧めしたい。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
次の機会があれば、その時にまた。

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