第3話 神武天皇お船出の巻
〝記紀〟には船出の詳細は記されていませんので、地元伝承のルートを辿ってみます。
宮崎神宮・皇宮神社
湯之宮神社
神武天皇が湯浴みをし、休息した際に地面に突き立てた枝が芽吹き梅の木になったと言われる「湯之宮座論梅」の伝承があります。
都農神社
神武天皇が東遷の折に立ち寄り、海上平穏や武運長久を祈ったと伝わります。日向国一之宮。都農神社の氏子には三輪姓の方が多いそうです。ご祭神からしても大和の大神神社との関わりが思い浮かびます。
立磐神社
お船出の地 美々津。境内には神武天皇が出航の際に腰掛け指揮したとされる「神武天皇御腰懸磐」があります。
美々津
駆け足で宮崎の神武天皇伝承地を巡ってきました。
日本書紀では、「その年の十月の丁巳の朔辛酉(5日)に、天皇はみずから諸皇子と舟軍をひきいて東征の途にのぼられた」
古事記は、「日向より発たして、筑紫に幸行でます・・」
どちらもさらっと書くだけで、どこから船出したか、どこへ立ち寄ったかは書かれていません。神武天皇の偉業をたたえて古くから地元に伝わるものなのか、〝記紀〟をベースに後付された伝承なのかはわかりません。
ただ、〝記紀〟が記す東征ルートから「日向」が現在の宮崎県・鹿児島県の一部を表していることは間違い無いと思います。(「日向とは日に向かうという意味で特定の場所を指すものではない」という解釈を以前何かで読んだ記憶があるのですが、神武東征の出発地点として使われる日向は、豊予海峡や宇佐より南にある日向国(当時は現在の宮崎県と鹿児島県の一部を含めた区域)を表していると思います)
【日本書紀】 出発場所記載無し→速吸之門(豊予海峡)→宇佐→筑紫の岡水門
【古事記】 日向より発って→宇佐→岡水門
〝先代旧事本紀〟と〝古語拾遺〟には、軍の総大将が大伴氏の遠祖日臣命であることが記されています。
〝古事記〟では椎根津彦は吉備(岡山県)の高嶋宮を出発した後にある速吸門に登場するので、それは明石海峡であろうと考えられていますが、ここでは〝日本書紀〟に従って豊予海峡として書き進めます。
ランチタイム
次回は速吸之門から宇佐、岡水門への巻です。お楽しみに〜!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?