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笑顔が汚いと言われた日

こんにちは。

今日は母に言われて、トラウマや苦手になってしまったことを書きたいと思います。

まずは、タイトルにもある通り
「笑い方が汚い」という言葉です。
私は笑いのツボが浅く、爆笑してしまうことが多いのですが、その笑い方が汚いということ。歯を見せて笑うな、下品だそうです。
これを言われてから、笑う時は口に手を添えないと笑えなくなりましたし、あまり人前で笑いたくないと思うようにもなりました。人に迷惑をかける行動ではないし、母は注意しているつもりではなく、私の特徴を口に出しているだけのつもりかもしれないのですが、「私は、笑うと汚くなってしまうんだ…」という思いに縛られてしまうことになってしまいました。
親が子どもの仕草や癖などを口に出すと、そこに親の感情が乗ってくるので、子どもは親が思っているよりも多くの刺激を受けると思います。

次に、
「あなたは歌が下手だよね」「弟は上手なんだけど、あなたは下手」と言う言葉です。まず兄弟で比較されて、さらには下手だと貶される。私は歌うことは好きでしたし、車の中で歌ったり、家族でカラオケに行って歌ったりをよくしていました。しかし、ある時下手だと言われて、歌うことが怖くなりました。カラオケに行くことも嫌いになりましたし、車の中で口ずさむことも嫌になりました。幼稚園や学校でも歌う機会はたくさんありましたが、苦手意識ができてしまい、歌のテストなどはいつも自信がなくなってしまいました。大きい声で歌うということもできなくなり、合唱なども苦手になりました。
しかし、両親は私のそのような気持ちには気づかず、家族でカラオケに行く機会も今まで通りありました。私はマイクを持つのがとても嫌になったので、みんなが歌っているのを聞いているか、マイク無しでみんなに聞こえないように小さく口ずさむようにして過ごしていました。しかし、母は、私はマイクを持って歌わないことを怒りました。輪の空気を乱すなと。不機嫌になるな、こっちまで楽しくなくなると怒ってきていました。そして、弟が歌うたびに、上手だよねと褒めました。
歌を貶されてからは、自分の声も嫌いになり、話す声も小さいと幼稚園や学校で注意を受けることもありました。
今でも、にぎやかな場所では声が通らないですし、遠くから誰かを呼ぶこともできません。レストランやレジでの注文も苦手です。コロナの時代で、店員さんとの間にパーテーション?アクリル板?が置かれるようになって、なおさら声は届かなくなり、一人ででかけたり注文したりもストレスになるほどになってしまいました。
母は、歳をとってきて耳が遠くなり、私と話していても聞き返してくることが増えたのですが、それもかなりのストレスになっています。外出中には、耳に手を当てて私の話を聞いてきたりするのですが、それも私の声が悪いと言われているようで、とてもイライラしてしまいます。私の声はこの距離でも届かないのかと。母曰く、聞き返すと怒るから必死で聞くようにしているとのことです…。
カラオケの話に戻りますが、ある時、弟と2人で祖母の家に泊まりに行った時、叔父叔母がカラオケに連れて行ってくれました。私はたぶん行きたくなかったのですが、弟が喜んでいたので仕方なく行ったように記憶しています。叔父叔母には、「私は歌が苦手だから歌わないよ」と伝えていおきました。弟もいつも両親が言っているのを聞いているので「お姉ちゃんは歌が下手、自分は歌が上手」という認識がありました。なので、得意気にずっとマイクを握って歌っていた光景が今でも印象に残っています。
私は何時間かのその時間が退屈になってしまうと叔父叔母にも悪いと思い、マイクなしで弟と一緒に歌って、それなりに楽しい時間を過ごしました。
後日母が祖母の家に迎えにきた際に、この日のカラオケの話を叔父叔母としました。そこでも母は「この子は歌下手だったでしょ。弟は得意だけど」みたいなことを叔父叔母に言っていました。すると、叔母が、「○○(私)も隣で歌ってるのを聞いてたけど上手だったよ。マイクなくても声も聞こえてきたし、上手に歌ってたよ」と言ってくれました。
私は私の声はみんなに聞こえていないと思っていたし、まさか褒められるとは思っていなかったので、とても嬉しかったのを覚えています。私も歌ってもいいんだなと思えたのです。

そして言われてトラウマになった言葉はたくさんありますが、今回取り上げる言葉として、最後に
「足が太いね」です。
以前も何かの記事でも書いたかと思うのですが、母は身長は15センチちょっとでかなりの肥満体型です。私はというと小さいころから身長が高く、少食だったためにBMIはやせ型。決して太ってはいませんでした。しかし、母の遺伝からか、足の付け根だけにぷよっとしたお肉がついていました。
それを見て、母はいつも、「あなたは足が太い」と指摘してきました。
今思うと体重が軽かったので太いわけではなかったのですが、その当時はかなり気になり、足の付け根を隠す服装しか着られなくなりました。小学生のころから体型カバーの洋服を選ぶようになっていましたが、あまりに気にしていると、今度は母が「なんでそんなに気にしているの、全然太くないから足出せるよ」と逆の事を言って来たり。しかし、そんな言葉は信じられず、足を出すことに抵抗がありました。今でも足のシルエットが出る洋服を着ることができません。自分でこれなら気にならないなという洋服を選んでも、母がそれを見て、「足細くなったね、太くなったね、目立たないね」など評価を下してくるので、極力評価のしようもない、足のシルエットは全く見えない洋服を選びがちです。これを履くと母になんと言われるかを今でも気にしてしまいます。自分とは違う評価をしてくるので、今まで気に入っていた洋服も、着られなくなるということも多々ありました。
常にダイエットのことが頭にあり、太った痩せたに気分が左右されてきました。ちなみに母は今までで痩せた姿は見たことがありませんし、努力をしているところもみたことがありません。(私が小さい頃は高額な会員制ジムに通っていたことはありましたが、大した成果はなかったように思います。)自分のことを棚に上げてなんで私ばかり評価されないといけないんだろうかといつも疑問に思っていました。今でもそうですが…。姿勢が悪い、ここが太く見える、うちの家系はみんなお尻が大きい、(細い人を見て)ああいうお尻、足にはなれないのか、などと言ってきます。
おかげで今も体型はとても気になっています。今まではこの足はもともとの遺伝だから仕方ないと思っていましたが、最近は改善できるかもしれないと思えるようになりました。出産後にはコツコツと努力して少しでも自身が持てる体に整えていけるよう頑張ろうと思っています。産後はまた母から、全然痩せないねと指摘を受けることと思いますが…。

大人になってからは、このように母に言われてコンプレックスだと思っていたことを他の人から褒められたり、案外悪いことじゃなかったんだと思うことが増えていきました。
よく笑っていいねと言われたり、背が高くてスタイルが良くていいねと言ってもらえたり、自分が思っていた自分像と違うことを言ってもらえることもあり、母の意見が全てだった子どものころがなんて窮屈な世界だったんだと今になっても思います。あの頃は親の言っていることが絶対で、それ以外の言葉は入って来ないし、どんなに嫌でも親の元で生きていかなければいけなかった。無邪気に毎日を過ごすという幼少期は私にはなかったし、息苦しい毎日だったなと振り返っても思います。


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