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ReBirth


眠れない夜の過ごし方について考えていた時に
別に真夜中にお茶会したって自由だよね…とふと思った。
「眠れない」ことにフォーカスすると辛いけれど
思い切り活用して夜を楽しんでしまえばいいのではないか。


人生100年時代と言われたりしているが
私にとって「死」は常に身近にあった。
いつその幕が下ろされるかわからない緊張感の中で
どんな風に誰と一緒に日々過ごし生きていくのかは
舞台にできるだけ長く居続けるために常に真面目に考え続けなければならない大切な問題で。
それが頭ではよくわかっているのに心が従ってくれず
選択を間違えて大きな代償を負ってしまったりもした。

目的地を目指すにあたり目の前にいくつもの別れ道があったとして
坂道や凸凹道もなくスムーズに進める道を選べなかったとしても
どこかで道同士は繋がっている
時間がかかっても脚はクタクタに疲れても
最終的にどの道を選んだって目的地に辿りつけるから大丈夫なのだという
楽観的で柔軟性のある考え方が私には難しかった。
時間のロスや失敗を恐れすぎていたのは
そこに発生する疲労感やストレスが自分の身体を即座に蝕んでしまう可能性があるという特異な体質を
よく理解していたからでもある。
その恐れが頑なで不自由な心を作り出してしまって
余計に冷静な判断ができなくなることもあり、悪循環だった。

私は人に本心を話すことが物心ついた頃からとても苦手だ。
家族や友達、職場の人から
しっかりしている人間だと評されることが多かったが
実際のところは非常に闇深く脆い人間で。
仮面を被り、演じ、繕うことが身についていただけだった。

頭を整理するために一旦可視化したい
心の内を紙に全部書き出したいが、急に自分が死んでしまった場合それを後々誰かに読まれることに抵抗があったり
ブログ等で吐き出して万が一家族や知り合いに見つかったらどうしようと警戒したり
どうにも自意識過剰の八方塞がりだったのだが
一昨年本格的に病気で死にかけて
このまま不完全燃焼な思いをたくさん抱えたまま生きていて良いのだろうか?
明日死んでも後悔はないか?
と真剣に考え始めた。
といっても、考え始めてから今日までに1年以上かかっていて、どんな牛歩だよ…って話なのだが。
とにかく
もうそろそろ自身を縛らなくても良いのでは?と
やっと思えたのだ。
過去は変えられないけれど
冷静に今までの軌跡を辿ってみれば
古傷の見方も自然と変わって何か意味を成してくるのかもしれないと思う。
当然のことながら、この先の生き方も、変わってくるだろう。

書き続けられるかわからないものの
体調が良い日は向き合ってみる予定。
不眠症きっかけで完全に夜型人間なので
深夜や夜明け前に投稿することが多いかと。

余談
題名の「ReBirth」は私の好きなANGRAのアルバム名で
2001年発売なので、もう20年以上前の作品である。
再生という言葉は個人的にとても好きで
心が壊れかけた時
音楽も聴けなくなるし本も読めなくなるし
本当に何も受け付けなくなってしまうけれど
ANGRAを聴きたくなってきた時がいつでも回復のサインだった。

性格的に白黒はっきりつけたいとか0か100かみたいなところがあるので
音楽もロックかクラシックかと極端なところがあって
どちらも鼓膜が破れそうなほど爆音で聴くのが好きだ。



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