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睡眠とロマンティシズム

 昨夜の寝つきは最悪だった。作業の区切りがついた後、丸太のように寝ている旦那さんを転がして寝床の隙間に潜り込み、自分の寝場所を確保したはいいものの、なかなか眠気がやってこず体感では一時間以上悶々としていた。しかし心は明るかった。「何でもいいから書く」という目標を二日連続達成したのだ。書くことは楽しい。疲れて書き終えて、背中や肩の緊張は強く、仕事に備えて眠らなければならぬと思ってもなかなか寝付けなかったのは、心が舞い上がっているからに違いなかった。
 私はロングスリーパーである。寝ようと思えば有り難く10時間以上寝ることができる。もちろんお昼寝も大好きで、アメリカのカレッジ時代はよく芝生の整えられたキャンパス内の小さな丘の上で授業の合間によく寝ていた。全身で太陽を浴びれるというメリットもあった。(私は低体温気味なので、爬虫類のようにお日様のエネルギーも本気で信じている。)
 お昼ごはんでお腹がいっぱいになって、急に睡魔に襲われ、その欲求に素直に従える瞬間なんて最高である。別にそこまで眠たくなかったとしても、一瞬意識を手放すだけで頭がしゃきっとして疲れが取れるのも事実であり、うまくいかない日こそ、5分でも10分でもパワーナップ。深く質の良い短い睡眠をとれたらいいとショートスリーパーに憧れた時期もあったが、寝るのが好きな私にとって、浅い眠りこそが至高であったりする。意識はあるのに身体がぼんやりとして動かせず起き上がれない感覚も大好き。朝方夢を見たり、微睡の中に浸るのは一種の趣味のようだとすら感じている。かつて古代ギリシャの詩人ホメーロスが『Sleep, delicious and profound, the very counterfeit of death.ーー眠り、美味にして深遠、まさに死の偽造』と言ったというのを何かで読んでから、眠りに対して、概念としての死に抱くのと同じようなロマンを抱いている。それは区切りであり、別れであり、もう目覚めることがないのかどうか本当のところはわからないのだから、全てを手放して、肉体や思考を眠りの深淵に沈めたいという願いであり、その覚悟と、同時に自分がやがて目を覚ますことを信じて疑わない、甘えと安心でもある。
 そんなこんなであまり寝れていないと思いながら朝目覚めたが、実際、瞼も重くないし元気なのである。noteを開いて、真夜中に投稿をしたのにいいねが付いていて感激をして、仕事前にシャワーを浴びながら洗濯機を回して、その後時間がまだあったので、面倒くさがっていた家庭用脱毛器でムダ毛ケアもできたし、何だかいつもより元気でハッピーだった。肝心の仕事自体はいつも通りさくさく進んだわけではなく、ミーティング等での事前理解が足りなかったことへの反省点も多く、先輩の同僚に助けてもらってなんとか乗り切れたような場面もあったが、それも含めていい日であった。昨日、Amazonで頼んでいた野菜やお肉やお豆腐がやってきたので、仕事終わりに帰ってきた旦那さんと昨日の無印の養生鍋の素の残りで鍋をした。不思議と眠くない。
 私がこんこんと長時間、一日中でも眠ることができる時、それは精神的にダメージを受けた時である。悲しいこと、辛いこと、逃げたいことがあると私は眠る。そして起きるのが苦手になる。基本的に毎日朝に起きるのは大変だなあと思っているのだが、今日の目覚めの良さや体力は、もしかして精神の安定と明るさを反映したものに他ならないのではと考えた。私の知る限り、華やかな経歴を持つ方やエネルギッシュな方は総じてショートスリーパーなのである。もしかすると、彼らの人生観は希望に満ち溢れているのかもしれない。だからパワフルで表情も明るいのかもしれない。対してロングスリーパーの私はメンヘラの自覚があるし、スピリチュアルな癖に、生まれてきちゃったので渋々生きてるような面倒くさがりであるし、辛くて苦しくて死にたい時期もあった。そのうち心が物事を感じる能力を失い壊死してしまったような時期もあったし、今は仕事もあるし、旦那さんもいるし充実して暮らしているのだけれども、いまいち自分の生がリアルではないというか、このままぷつんと終わってしまうこともあるかもしれないと、幻想の中で生き続けているような人生への覚悟の欠落のような曖昧さがあるのである。このベースに壮大なエゴが同居しているので、私という人間は心配性なくせにある意味刹那的な考え方を捨てられない。旦那さんにはよく子供と話しているようだと言われてしまうが、そんな自分を変えるつもりもなかった。
 ただ、今日の目覚めは素晴らしかった。きっと心が上向きでさえあれば、冷え性も治るし、起き上がるのが少し面倒ではなくなるのかもしれない。書くことや読んでもらえることで心が上がるのなら、願ったり叶ったりである。
 さて、話が180度変わるが、遂に仮面ライダー555の映画を観に行ってきた。なんと20周年。私の子供時代に本当に好きだった作品である。登場人物がみな綺麗に歳をとっていて、でも魅力は全然変わっていなくて、むしろ倍増。展開も懐かしさを感じる流れそのままだった。キャラクターみんな濃くて濃くて、メインの3人は一見落ち着いていて淡々としているのだが、平成の作品だったくせに台詞に昭和的な臭さがあったり、絶妙なウザさや格好良さが、ただとてもとても好きだった。これ以上話すとネタバレになるので控えるが、終始心の中で盛大にツッコミながらにやにやが止まらない作品である。何だか久しぶりに幸せと純粋な心の高鳴りと思い出したような懐かしい情熱を噛み締めている。観て本当に良かったと心から思った。勢いでパンフレットを買い、全て読み切った。今夜は555の夢を見たい。
 私は今年で30になる歳である。今日まではまだまだ若いと思っていたのに、急にしみじみ歳をとるのも悪くないなと思い始めた。
 
 

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