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自分の居場所が選べない子供時代の残酷さ

子供の頃から病院によく通っていた。

耳が悪かったので、鼓膜の治療に週1回は通っていた時期もある。

遠い記憶にあるのは病院の独特の雰囲気。

一人では歩けない老人がいて、寝間着を着て検査に来る入院患者もいる。何の匂いか分からないが、科学的な匂いがする。忙しそうに歩くのは看護婦さん。

時間の流れの違う、異世界にいる感覚。

僕はその雰囲気が嫌いではなかった。退屈ではあったが、そこには攻撃的な人もいなければ、暴力的な団結も一切なかった。みんな孤独で枯れている感じがなぜか心地よかった。

一方学校は嫌いだった。特に病院に行ってからそのまま学校に行くのが嫌だった。病院とは真反対すぎる元気で暴力的で、集団に無理やり入れようとする。このコントラストに身体と心を適応させるのが難しかった。

なんで子供はこんなに元気がいいのだろうか。アホじゃないのか。

そんな冷めた目で周りを見ていた気がする。

今なら不登校になった可能性は十分にあるが、僕の時代にそういう選択肢はほぼなかったので、しぶしぶ学校には通っていた。

当時から集団の雰囲気ってものに敏感だったし、今もその傾向はある。

子供時代の残酷な現実は、その集団を自ら選ぶ権利がないことだ。避けることができない。だから早く大人になりたかった。大人になる最大の利点は、所属する集団を自らの手で選ぶことが出来ることだと思っていた。実際に今でもそうだと思っている。

今、自分の居場所はここじゃないと思っている子供がいたとしたら、時が経ち大人になった時を想像して、日々を過ごして欲しい。大人になって、どんな場所にいたいかを妄想して欲しい。その辛く厳しい現実は大人になったら必ず晴れるから、その妄想を未来を変えるパワーにしてほしい。

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