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橋本・奈良・棚尾など賀茂別雷神社境内の摂社末社を巡る(後篇)

京都市北区、上賀茂神社の摂社末社を巡る後編。
上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社ですが、通称のほうが通りがよいと思うので、本文でも上賀茂神社と呼ばせていただきます。

上賀茂神社の二の鳥居より楼門へと向かう途中の授与所の脇に橋本神社がある。ご祭神は衣通姫命〔そとおりひめのみこと〕。
この橋本社と先の記事に書いた岩本社は、和歌の神様として古人の崇敬を集めたようです。

橋本神社

『徒然草』(67段)には「賀茂の岩本橋本は、業平實方なり」と記されている。業平は希代の色男である在原業平、實方は藤原実方。
実方についてはあまり知らないのでWikipediaを見てみると、風流人で光源氏のモデルのひとりとされていたようです。
ということは、業平しかり実方しかり、和歌の道は色恋の道でもあるということかしら。

もともと、和歌の神様として知られていた和歌山の玉津島神社と大阪の住吉大社が橋本社・岩本社と同じ神様であるところから、橋本岩本両社もまた和歌の神さまと崇敬を集めていたようです。

業平や實方も橋本社・岩本社にお参りしていたかもしれません。
そこで例えば橋本社であれば、衣通姫神=和歌の神=藤原実方となったのではないでしょうか。
二人がお参りするほうからお参りされるほうへシフトしていったのは、業平や實方にあやかりたい気持ち、もちろんそれは和歌の道のみならず色恋込みの道であったからと妄想しています。

上賀茂神社楼門
上賀茂神社二ノ鳥居

二ノ鳥居より外の東側にはきれいな小川が流れている。これを「ならの小川」という。京都ではあるが、なら。

風そよぐならの小川の夕暮れは
 みそぎぞ夏のしるしなりける
   藤原家隆 (『新勅撰和歌集』巻第三 夏歌)

この歌は百人一首でも知られる歌。『新勅撰和歌集』では夏歌の掉尾とうびを飾る。
ならの小川はこの上賀茂神社の小川のことである。和歌は「風そよぐなら(楢の木の葉、梢)」と「ならの小川」をかけているらしい。
暑い日には足を小川にひたしている光景をよく見かける。この日は母子らしい一組だけだった。あまり暑すぎても出歩かなくなる。
しかしながら、小川で無邪気に遊んでいる子供を見ていると、大人になったのが悔やまれる。子供の頃、帰省で京都にくると八瀬の河原でよく遊んだ。

ならの小川

ならの小川に背を向ける格好で摂社の奈良神社。ご祭神は奈良刀自神〔ならとじのかみ〕。
刀自というからおそらく、年配の女神。
この奈良神社の正面には細長い庁屋と称される建物が建つ。庁屋は神饌を調理するところで、奈刀自神神のご利益も神社に付された案内には「学業成就・料理技術向上の神様」と案内されている。

右、奈良神社 鳥居の前にならの小川

小川を進むと山森神社。ご祭神は素盞嗚命、稲田姫命、田心姫神。
その先に梶田神社。ご祭神は瀬織津姫神。
このあたりは神社の裏手が駐輪場になっている。

山森神社
梶田神社
川と神社と自転車と

梶田社を過ぎると、上賀茂神社の一之鳥居の前に出てきます。これで境内をザックリ一周した格好です。見落としてるところもあるかもしれませんが、ご寛恕ください。

最後に振り出しに戻る格好で恐縮ですが、中門のすぐ脇にある棚尾神社をご案内。参拝後になって知りましたが、西行が棚尾社で和歌を詠んでいる。

中門 右手に棚尾社
棚尾社

かしこまるしでの涙のかかるかな
 又いつかはと思ふあはれに

「山家集」

四国への旅に出る西行が賀茂の社に詣でたときに詠んだ歌。中門の内にはお参りできないので、中門手前にある棚尾社に賀茂の神へのとりつぎをお願いしている。「しで」は「紙垂」とも「四手」とも書かれ玉串などにつけてたらす紙のこと。
この四国への旅は亡き崇徳上皇のもとへ向かう旅らしい。とすれば『雨月物語』に載る物語へ妄想はつづく。

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