天使はここにいる
「ママ〜」と、幼い子どもの声が聞こえた。
私は瞑想中だったのだが、窓を全開に開けていたので近所の子どもの声が耳に入ってきた。
私がなぜ瞑想していたかというと、知りたかったからだ。
「自分が気づいていない自分とは?」
この問いの答えが知りたかった。
神様に聞いてみると、
神様は私にこう訪ねてきた。
「ずいぶん楽しそうじゃのう。そなたはなぜ、舞台に立ったのじゃ?」
目の前にステージがでてきて、ステージの上にはウクレレを演奏するおじさんが立っている。そして、その隣にはマイクを持って歌っている幼い頃の私がいた。
周りにはたくさんの観客がいて、みんなが楽しそうに私の歌を聴いている。
そういえば私が3歳か4歳くらいの頃、そんなことがあったな~。
私が黙っていると、幼い頃の私が代わりに答えてくれた。
「そんなの決まってるじゃない。楽しいからだよ!」
眩しいほどの可愛らしい笑顔を向けて元気に言い放った。
楽しいから?
「そう。あとね、きれいなレイをもらえるから」
そうだった。
ステージに上がって歌ってくれた人には、キレイな首飾り「レイ」をプレゼントするよ~と、ウクレレおじさんが言っていた。
私はその「レイ」が欲しかったんだ。
幼い頃の私が歌い終わると、ウクレレおじさんから「レイ」を首にかけてもらい、幼い頃の私は嬉しそうにはしゃいでいる。
それを見ている観客たちも大きな拍手をくれた。
「舞台に立ったのは、自分が楽しいし、その結果としてご褒美がもらえるからだよ」
そこには、
「純粋に自分が楽しいからやるんだ」
という思いがあった。
大人の私が忘れていた気持ちだった。
涙がポロポロこぼれ落ちてきた。
私はいつの間にか他人のために考えて行動する大人になっていたのだ。
無意識に、「私が楽しい」を後回しにして、他人が楽しいなら、他人が喜ぶならって、動いている。
その無意識にしてしまっている決断からは、つまり他人軸になっている自分では、自分の本当の道を歩めない。
だから、苦しくなる。
「すばらしい自分に気づけたようじゃな」
と神様は言った。
自分軸で生きる自分は
最高にすばらしいこと
自分自身が楽しいから
一生懸命やる自分がいること
そうか…純粋な天使はいつもここにいてくれたんだね。
私は胸に手を当てて言った。
「気づかせてくれてありがとうございます」
瞑想を終えてゆっくり目を開けると、大粒の涙がポロポロと頬をつたっていた。
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