旨いカレーに気づかされる

先日、友人と代々木にある私の大好きなカレー屋さんに出向き、1年ぶりぐらいに大好きな、旨いカレーを食した。

チキンカレーとポークカレーを選び、1つのお皿で来るかと思いきや、お皿にのったポークカレーと別の器でチキンカレーが、スープカレーのような
ボリュームで来たもんだから、私は密かにコドモのように「わ〜ぁ!」と小躍りして喜んだ。
カレーを食べた瞬間、その旨さに腰砕けそうになり、カウンター席でちょっと距離を置いた友人に、

(声を出さずにトホホ顔で)『ウマイネ〜ェ!!!

な〜んでこんなに旨いんだろ!
口の中で「幸せ」が華やいでいるようだった。

普段自炊が多く、自分は料理好きだと長く思っていたのだが、
そのわりには大してレパートリーも多くないし、お味噌汁は顆粒出汁を使うし、新しい料理に果敢にチャレンジするわけでもなく。
考えてみると「ほんとに料理が好きなのか?」と疑問に思うこの頃。
味付けは自分の好きなようにするので、大体美味しいと思って食べているのだが。

プロみたいな料理を目指しているわけではないにしても、点数をつけるとすると私の料理は60〜70点ぐらい。それに比べると、やはりこのカレーは100点満点なのだ。100点満点ともなると、食べていて心躍るし、「これを食べるためにがんばれる!」と思わせるのだ。

100点満点のカレーの味を噛みしめながら、ここ最近の生活を思う。
コロナ禍でも楽しいこと、やりたいことを見失いたくないと思いつつも、今ある細々とした仕事にしがみつき、疲弊し、自信を無くしそうになったり、外に出かける気も失せてきていて、日々をこなす感が強い。
収入も減ったことで消費することへの不安、感染の危機感に晒された日常、
減らない体重、乾燥してるから肌がピリピリする など…
うっすらと抑圧され続けている中、楽しむこと、喜ぶことが少なくなっていることに気がつきもしなくなっていた
小さな世界でのルーティーンに追われ、視野も狭くなっている。

でも「大きな世界、出かけて行く=楽しい」とは限らない。
小さな世界、自分の周囲ほんの数メートルの世界でも楽しみ、喜びはあるはずだ。

料理の話に戻るが、家庭料理としても自分が胸張って「丁寧に作ってます」とも言えない。雑事に追われ、「ご飯の時間だ」と事務的に作ってしまっていたが、食材ひとつひとつと向き合い、各作業を丁寧に、楽しむことを前提にしたら、もっと違うはず…(こんなことを改めて考えるなんて、やはり料理好きではないだろう)。
そうするには心の余裕が必要だが、それはきっと自分が意識して作るものなのだろう。

当たり前のことが、楽しめるかどうかは自分の心持ち次第。
旨いカレーひとつが、こんなにも思考をうながす。
このタイミングであのカレーを食べたことはとても良かった。

おまけを言うと、本当は直前まで全く違う予定を組んでいたが、友人の気まぐれでカレーを食べに行くことに。
そしてカレーの後は大好きなパン屋さんでパンを買ってご満悦。店を出るとたまたまその店に取材に来ていた某テレビ番組にインタビューされてしまった(確認したらほぼ放送されるらしい、う〜む)。

ハプニング込みの、充実の1日。

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