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家族について本気出して考えてみた〜子宮と頭で考える③〜

私はごく一般的な30代の既婚女性。
子供はまだいない。

ある朝、私が自律神経が失調しているとなぜ台風の時に辛いかという話をしていたら、話の途中で「コーヒー淹れてくる。君はハーブティーにする?」と彼は立ち去ってしまった。
きっと、彼なりに辛い私の体を慮ってくれたんだろうと自分に言い聞かせているが、正直、話の途中で逃げられた、と思った。
コーヒーを一緒に飲もう、ではなく、ハーブティーと気遣ってくれただけ、考えてくれてる。そうやって、彼の優しさのかけらを拾い集めている。

不正出血が5日目になってだんだんひどくなっている。
この独特の、気持ち悪さ。
私は普段からピルを服薬しているので、そして今のところ、精子と卵子が出会う事も起きていないので、意識的に調整をしないと妊娠の可能性は少ない。

先日産婦人科に行って、果たして産んだところで育てられるのか、産後うつになる可能性が高いが、そこでパートナーは助けてくれるか、親などの助けを受けられるか、など様々な条件を考慮して「本当に子供がほしいか、よく考えてください」と言われてしまった。

もちろん、勇気を振り絞って夫に相談したところ、夫は「そんなのなってみないとわからないし考えられない」と、撥ね付けられた気がして。全体的に、他人事感だと感じてしまった。

結婚前も今も「子供がいたら嬉しいけれど、別にいなくてもいい」というスタンスの彼。子宮の状態が心配な私は、「どうしても子供がほしい!」という人より、彼のほうがプレッシャーが少なくて好感を持っていた。

親は高齢で地方在住。それだけでハンデだとは、メンタルクリニックの先生に言われた。PMSと自律神経の調整のために抗不安薬と睡眠薬を出してもらっている。

共働きで、今までのような私のハードワークで、子育ては正直無理、とも言われた。

ただ、年齢を考えると、子宮のリミットはそう遠くはない。

実親は若干地元のケースワーカーなどと連携をとっていて、介護、とまではいかなくても高齢の親の様子は心配である。泣きながら警察に迎えに行ったこともある。

祖父の介護は、約10年ほどだったが、祖父は悪くない。実親が弱っていく様子を受け止められない母の姿も、ヒステリー発作が止められないことも、まだ、母がそこに取り残されていることも、よく見てきた。

そして私は一人っ子である。
これから旅立つ人をしっかり看取らねば、墓も私が閉じなければと思っている。

女として求められることもなく、ただ旅立つ人たちのために、そして自分のために仕事をし、そうやって、私の人生はあと何年費やされるのだろう。

夫と離婚をしないと思うのは、強い責任感である。
これは、自己犠牲というより、私自身のためである。

ただ、夫とであれば、子供がほしいと思っていた。
街で小さい子供とすれ違う度に複雑な気持ちになる。

ワンオペで一人で育児をする覚悟があるなら、彼と一緒に暮らす意味はどこにあるのだろう。

でも、誰の子供でもいいからほしいわけではないのだ。
一人で子育てをしたいと思っているわけでもない。
私がこの人の子供がほしいとおもった夫は、人の気持ちを想像するという能力が欠如しているようだし、正直不安が大きい。

彼はアスペルガーなんじゃ、とふと思って、そう考えた自分に、自分の責を押し付けるような考え方をしたと罪悪感でぐしゃぐしゃになった。

平日は毎晩の晩酌、休日は昼からの飲酒が当たり前の夫には、アルコール依存症疑惑もある。
ただやはり、私の被害妄想なのでは、私が解決しなければならない自分の問題を棚に上げて、夫に全部責任をなすりつけているのではないか、と自己嫌悪でぐしゃぐしゃになる。

女性のキャリアと育児の両立は、まだ足を踏み入れてもいないのにこんなに難しいのか、と感じている。私の年齢とキャリアで、はっきりは言われないが「産休育休すぐ取られたら困る」というようなことはよく言われる。

私が子供をほしいと思うのは、自分の過去を乗り越えたいと思っている利己的な考えなんだろうか。
正直、自分が実親と同じことをしないか、恐怖でしかない。
でも、今なら添えを乗り越えられるのではないか、と思ったのである。

ただ、産む責任を考えるととても怖い。
私一人ではどうにもならない。

ぐるぐる。悩んでも仕方のないことだし、一朝一夕にはどうにもならない。

世の中どうにもならないことだらけである。
そして、そんな世の中でもなんだかんだ、なんとか楽しく生きていきたいなぁと思うのである。

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