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ストップ、 イスラエル

パレスチナは遠い。フランスやらオランダやらのヨーロッパより実際の距離は近いのに、文化と情報が遠いのだ。いったいパレスチナとはどんな国で、ガザとはどんなところなんだろう?そう思って調べたのは10年にも満たない数年前なのを覚えている。

同僚が聴いているイギリスBBC放送は現地の様子を実況中継しているのだろうか、ものすごい緊迫感が伝わってきて、私はドキドキし過ぎて心のざわつきが治らず、イヤホンをつけてもらった。(日本の報道、どうなの?と思う)

現在の最右翼的なイスラエルの強硬な態度は本当に心配だが、私の周囲のSNSではのどかな日々が殆どなのは彼の地の遠さを表しているのだろうな。

もし、ある日突然、あなたの住んでいる町はこれからアイヌの人々に返すので期日までに出て行って欲しいと言われたら、あなたはどうするだろう?え?ここは私が購入した土地で、登記簿謄本もあるけど?ローンもまだあるし。

でも、もう決まったのだ、国連が日本を分割して、かつて(大昔に)住んでいた原住民族の人々と分けるように勧めて、もう決定したことなのだ。嫌なら戦争だ。反発した日本人の一部が戦いを挑むが、アイヌ軍は圧倒的に強い。彼らは、日本がかつてはアイヌの土地であったと固く信じている。

一般人のあなたや私は逃げ惑うだけだ。そうして私もあなたも住まいを追われて、大荷物を移動して、日本の東と西のどちらか近い方か、知り合いや親戚の行く方に仕方なく移り住む。そこは両方とも東京23区とかどこかの県くらいの大きさである。

なんとかツテを辿ってアジア大陸やらアメリカ大陸やらに逃げる人々も多い。気がつけば、東西に分かれた日本はもう国じゃない。日本地区と呼ばれて自治権は認められているけれど、アイヌ国の中にある。アイヌ国は度々境界を狭めてくる。

やっと落ち着いた住まいは難民キャンプで、大人たちはずいぶん死んでしまった。若い人たちが希望も持てずにそこここにたむろしている。電気や水道などのインフラも不自由で、出入りする度にアイヌ軍のチェックが厳しい。食糧さえおぼつかない。命綱をアイヌ国に握られているような日々が何十年も続く。

しかも、壁はジリジリと狭まり不自由感はマックス。もはや難民と言われる旧日本人は、生きにくさのせいか古い世代は死に、半分が14歳未満の子どもたちになってしまった。あなたも私も彼らも東西に分かれた親戚と安否確認も会いに出向くことも自由にできない。子どもたちはどうなるのだろう?

えーい、アイヌ国に一泡吹かせてやれ、自分は死んだっていい、こんな狭いところに閉じ込められて(人口密度は1m四方に約6.5人。)将来の夢も持てずに食糧や不安に押し潰されて生きるのは嫌だ!という気分になっても全然不思議はないと私は思う。少なくとも一部の人々はそう決意するかも知れない。

まぁ、ざっとこんなストーリーなのを殆どの日本人は知っているのだろうか。
これをテロと言い放っていいのだろうか。ハマスは過激な部分は否定できないが、ひとまず難民キャンプをまとめてその治安を維持してきたのだ。自分ごととして想像すると、なんか物凄いことではないか?

さて、逆にイスラエルの隣に立ってみると、パレスチナの人々を追い詰め、力を削ぎ、東西に分断しただけでは足らず、彼らの爆発を待って、それを正当な理由として大掃除のような気分で一掃してしまうつもりではないか?と想像すると、もちろん想像だけだが恐ろしい。

時間をかけて国際世論への言い訳を完璧にしたジェノサイドではないかと思えてくる。いや、想像だけと書いたが、人質交換において、イスラエル人の人質ひとりに対してパレスチナ人1000人が相当、などというイスラエル政府の発言を聞くと、その差別感に背筋が寒くなる。

※お詫び:アイヌの人々をを例えに使ったのは、誠に申し訳ないのだけれども、イスラエルの建国の根拠が「大昔の地」であることなので、他の国より日本に古来から住んでいる人々として使わせてもらった。私たちもアイヌや琉球の人々から文化や土地、尊厳を奪った者たちであることも噛み締めたい。

興味を持ってくださったら、このページが簡単です。「ガザ地区を知ろう!パレスチナ子どものキャンペーン」

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