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人のお世話は好きですか?ケアラーは自分でケアするしかない。


今日の東京は昨日の深夜から午前中にかけかけて大雨が降りました。
午後も小雨が降ったりやんだりで、風が強くなった影響から気温がぐんと下がって寒くなってきました。

フレッシュネスバーガー🍔の報告


こんな日はフレッシュネスバーガーでぜいたくな金額のアボカド、わさびチーズクリームバーガーを頼むことにしました。
今日で2回目ですが、すごくおいしかったです。
お店の名前の通りフレッシュです。

クリームチーズとアボカドにわさびのピリッとしたソースが挟んでいて、絶妙にマッチしています。
レモネードも本物のレモンがたくさん入っていて、味物で最高でした。
ポテトも相変わらず揚げたてのふっくらほくほくです。

何を食べようか迷ったときに立ち寄ってみてください。

大雨の影響で満開の桜が大胆に散って、来年向けの新緑が生えた桜の木が増えていました。

そんなわけで今日の報告を終えます。

ここからタイトルの中身に移ります。

ヤングケアラーは自覚しづらい


生まれてから20年以上、気がついたらナチュラルに人のお世話をする係になっていました。もちろん家族間での話です。

だけども生育環境は学校生活を終えて社会に出た後も大きく人間関係に影響します。

だから、自分でも気がつかないうちに、家庭でやっていたお世話係の役割を知らず知らずに、会社やその他のコミュニティーの中で誰にも頼まれていないのにやってきたことに、やっと気がつきました。

気がついてしまったら、もう過去には戻りたくないと思いました。
私は世の中で1番かわいいのは、自分自身だから、もう自分をしんどい立場に追い込むのはやめようと思ったからです。

自分が渦中にいる時は気がつかなかったのですが、おそらく私はヤングケアラー(若いうちから家族の介護や心のケアをする役割)でした。そして、大人になってからも特定の家族を中心にケアし続けました。

どうして自分でヤングケアラーだと気がつけなかったのか?

私は生まれてから物心ついた時、すでに家族の一人が精神疾患を患っていたため、私から見ればその人のデフォルトの性格が精神疾患キャラなのだと思っていたからだと思います。

私が生まれる前に存在してた年上の家族たちは、みんなある1人の家族が精神疾患を患っている事は一目瞭然だったみたいです。

そのため、私はその家族のことをなかなか精神病患者と認めることができませんでした。

病院に行っていないだけで、精神疾患を実は患っている人は案外多いのではないかと思います。
私のその家族は、何十年も精神科に通っているけれども、全然良くなっていませんでした。年ごとにひどくなっていました。


私は精神病者のお世話係としてプログラムされて育ってしまったので、
精神病の家族をどんな時も優しく接してプライドを傷つけないようにポーカーフェイスで自然な振る舞いを心がけていました。

でも、正直言って、恐ろしく体力と精神を消耗していました。

そのため、私は1人の時間を多くとらないと、バランスが取れなくなっていました。
1人の時に紙のノートに自分の気持ちを吐き出して、頭の中を整理することで、精神疾患のある家族のお世話係を完璧に演じようと努めていたのです。

1人の時間になり、頭の中を整理しないと家族関係が成り立たないということは、自然体ではもう崩壊した家族関係と言うことになります。

それでも私がその家族のことを精神病者と認識できなかったのは、脳の病気以外にも、もともとの性格が感情の起伏が激しいわがままな人間だったからです。

精神病の家族の感情的すぎる言動や行動は、脳の病気が感情の起伏を大きくさせているのか、それとも、もともとのわがままな性格が発動しているのか、どちらかよくわからない時が多々ありました。

病気でも病気じゃなくても、めんどくさいタイプの人でした。
どんな時でも自分の言う通りにならないと大騒ぎする、それだけの事でした。鬱状態で2週間寝込んでもまた元気になって騒ぎ立てるのでヘトヘトでした。
結局、いつでも自分が話の中心にいないと気がすまなかったみたいです。

そして、お世話係としてプログラムされた私は、うまくかわして無視すれば良いのに、振り回されました。
私以外の家族たちは、上手にスルーしていました。
私に面倒な役割を押し付けていたからスルーできていただけかもしれません。

気持ち悪いことはエスカレートする


私がほかの家族たちの真似をして無視しても、精神病の家族は、ものすごくしつこく私のことだけを追いかけ回してきました。


1日に、携帯電話に何十件も着信履歴が残るし、LINEの前は携帯のメールに何十件も長文の感情的なメールが届きました。

ひどい時は緊急だと嘘をついて、私の職場にも電話をかけてきました。さらにひどい時は職場の私の上司と何時間も話し込んでいました。

もっとひどい時は私が住んでいる近所の地域の人たちにも勝手にコンタクトをとって私のことを監視していました。
さらに私のあることないこと悪口も吹き込んでいました。

私が吐きそうになるほど、さらにひどいと思った事は、私が契約している銀行や郵便局の金融部門の人と個人的に仲良くなって、私の預金等について情報を引き出していたことです。
これって銀行や郵便局側の人にも法的な意味で大問題ですが、私がクレームを彼らに申し立てるとみんなやっていないと嘘をつきました。
やりとりした職員の名前も聞いていたので、追求することもできましたが、名前を探す作業が大変で、そこにエネルギーをかけるのも疲れたので、警察に突き出すまでは行きませんでした。

まぼろしの居心地に安住してはならない


とにかく、火消し活動の連続で、私の生活はスムーズに動きませんでした。まるで火を

消す作業が自分のライフワークのようになり、楽しいことやぼーっとする時間を奪われていきました。

今思うと、本当に無駄な時間をあの家族の1人に費やしてしまったなぁと思います。

私の家族の精神疾患のその人は、一言で言えば「かまってちゃん」です。

本当に病気なのか?と何度も疑っていました。

私がお世話をする能力が高く、心優しいので、私の同情心につけ込んで、厚かましく、かまって欲しがっているだけなのではないかと。

私は、自分の心がすり減っているのに、他人の心のケアしすぎてしまったようです。

いくら自己回復する能力が高い人でも、限界点がやってきます。

お世話をされる側はどんどん要求してきます。すでにハイクラスのお世話をしているのに、それをやり続けてしまうと、彼らにとってはそれが普通に感じてしまうようです。
そしてどんどんこちらに要求してくるものが高くなっていく一方なのです。

こうなると自分で革命を起こすしかありません。

限界点を超えたため、私は革命を起こしました。
彼らの言葉を真に受けずに、自分の心の安全を第一に行動すると決めました。

革命の先


20年以上同じ役割を演じていると本当の自分を忘れます。
だから革命を起こして、彼らから離れた時は、急に体の力が抜けて、頭も空っぽになり、虚しいような悲しいような気持ちになりました。
それと同時に、安堵感が、何年もかけてちょっとずつ湧き上がってきました。

安心が続いてから、やっと本当の自分の人生が迎えられるフェイズになるのではないかと思っています。

とにかく私はたまたま人の心をケアする能力があっただけで、本当は人のお世話はしたくないんじゃないかなと思ってます。

それとも20年も心をすり減らしながら1人で戦ってきたので、疲れ果ててしまい、今後は自分の心と神経の限界を超えてまで、人のお世話はしたくないと思ってしまったのかもしれません。

その相手が、たとえ自分にとってすごく大事な人であったとしても、やっぱり自己犠牲をしてまでお世話するのは私にとっては良くないんじゃないかなぁと考えています。
昔は気づかなかったけれど、今までの人生のからくりが見えてきた今となっては、
自分の神経をすり減らして相手のことを優先しても、その相手のことを憎んでしまうような気がします。
神経をすり減らして相手が何かを得られて喜んでいる姿を見ても、あまり素直に喜べなくなるんじゃないかなと。

利用されているだけの存在になってると錯覚してしまうくらいに、心身が疲弊しているときは、その対象人物からすぐに離れたほうが良いと思います。

社会心理学はすごい

まだ考察の途中ですが、YouTubeで偶然見つけた社会心理学者の高橋諦三先生の講演会や人生相談の回答がとてもふに落ちる内容でした。

高橋先生のベストセラーの本はたくさん出版されているので、早く読んでみたいと思っています。
時代に合わせて先生が描かれる内容もアップデートしているので、いつもの私の読書スタイルのように、新しい出版の順番から読もうと思います。

カウンセリングに行くよりも、高橋先生の本を1冊読むだけで、簡単に悩みが解明することもたくさんあるので、YouTubeが本をぜひご覧になってみると良いかもしれません。

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