親が介護施設にお世話になるとしたら、どんな選択肢があるかを考えてみた
訪問マッサージの仕事を続けてきて気がついたことがあります。
お年寄りが暮らす環境は、体にも心にも影響を与えているということ。
若い世代の人はまだ先のこと…と思いがちですが、自分の親や祖父母が暮らしている環境をいま一度、見直してみませんか。
最期の時間をどこで過ごしたいか
このような調査があります。
人生の最終段階における医療に関する意識調査(平成29年度・厚生労働省)
問12 どこで最期を迎えたいかを考える際に重要だと思うことはなんですか
調査によれば、多くの高齢者が望んでいるのは…
最期まで誰かの世話にならず、自立して暮らしたいことがうかがえます。
また、医師、看護師、介護職員、一般国民を比較した際に共通しているのが「家族の負担にならないこと」であるのに対して、医師、看護師、介護職員の三者に共通して多かったのが「自分らしくいられること」
これは裏を返すと、医療機関や介護施設にお世話になることは自分らしさが失われることを意味しているのではないでしょうか。
定年を迎えて(悠々自適とまではいかないにせよ)余りある時間を過ごしたのちに迎える介護を必要とする時間。命を終えるまでの間をどうやって過ごすかは、現代を生きる私たちの大きなテーマです。
健康寿命と平均寿命のはざまで起きていること
日本の高齢化は世界のお手本、と言われるほどに突出して高い高齢化率を示しています。
2010年時点の平均寿命は、男性80.98歳、女性87.14歳です。
かたや健康寿命は、男性72.14歳、女性74.79歳。
シンプルに引き算すると、男性では約8年、女性は約13年の時間を介護を受けながら過ごすことになる計算です。
介護を受けている人の多くは70代、80代です。
冬になると木々が枯葉を落とすように、美しく枯れていくにはどうしたらよいでしょうか。
介護の現場で見聞きすることで、違和感を感じるものがあります。
ひとつは胃ろう。
へその上数センチのところに穴をあけて直接、胃に液状の栄養物を送り込む仕組みです。これは世界でも珍しく、日本特有の考え方に根付いているものと思われます。
二つ目は、輸液。
一日に必要な水分は1.5~2.0リットルですが、介護施設に入ると一日の水分摂取量が決められています。
必要な水分量を飲めなかったり、医療的な処置が必要な場合には輸液が行われる仕組みがあります。しかし、行き過ぎた輸液は足のむくみや心臓への負担を増やしてしまいます。
ヒトの体液は体重の約60%が標準です。
これが生まれたばかりの赤ちゃんでは約70%、高齢者では約50%程度になります。赤ちゃんの肌がふわふわしてツルンと柔らかく、お年寄りの皮膚がシワシワになり乾燥しているのは体液量の違いによります。
東洋医学的に考えると、老いることは固摂作用(水分を体内に保っておく力)が減退することであり、体から水分が失われていくことを意味しています。
そこに無理やり、健康成人の平均値に近づけるための栄養や水分を外側から補うことは自然の理に適っていると言えるでしょうか。
要介護期に高齢者と家族を支えるもの
賛否分かれるところですが、安楽死という選択は超高齢社会となった日本で積極的に議論されていい話題だと考えています。
少なくとも私の親に胃ろうは勧めません。延命を目的に行われる高齢者医療に違和感を感じるからです。
ヒトはいつか、この世を去ります。
出典が曖昧なのですが、終末期に「私の人生、これでよかったな…」と思えるには2つの要素があると知りました。
一つは、その人が最も輝いていた頃を思い出すこと。
例えばサラリーマン一筋の人生だった男性なら、昇進した時のこと。
家庭を守る主婦なら、生まれた子どもが立ち上がった瞬間など、それぞれの人生でここぞという幸せな場面があった筈です。
その時間を思い出すことで、体は朽ちて行っても輝かしい記憶は甦ります。
そして、忘れかけていた人生の価値さえも思い出させてくれるでしょう。
介護をする立場であれば、親がどんなときに幸せだったかを振り返るように話を聞くのもよいと思います。
2つ目は、最期の時間をていねいに過ごすこと。
スティーブ・ジョブズの最後の言葉を聞いたことがあるでしょう。
いざ、息を引き取る間際にベッドサイドに親しい人の顔があるのは幸せな人生のひとつの形だと思います。
いろんなことがあったけど、いい人生だったなと感じたいものです。
終末期に、家族や介護者にできることがありました。
それは「キモチイイコト」をする。
田口ランディ氏の小説にその場面が出てきますので、一部を引用します。
小児麻痺の女性を介護する主人公が呟きます。
それに対してもう1人の介護者が答えます。
後日、主人公は小児麻痺の女性をお風呂に入れます。体を湯船に浸けたあと、冷たいタオルを頭に当てました。
介護者が苦しみを共有しようとするほどに、それは苦痛を伴います。
それよりも介護を受ける人が気持ちいいと感じることをする。
そこに共感しゴールを共有することにより介護者の苦痛は和らぎ、主客が一体となって介護の時間を過ごすことができるものと思います。
このような介護のあり方は、ひとつの最適解ではないでしょうか。
今更という気持ちもありますが、親のキモチイイコトは何なのか、よく観察してみてはいかがでしょう。
おまけ)介護施設のよしあしについて
さて、おまけと称して一番言いたかったことを記します。
介護は、基本ヒト対ヒトの対人支援のサービスです。
施設の外観がキレイなことは介護者の立場からすると判断材料になりますが、果たして本人の望むものかどうかは別物の場合もあります。
とくに高齢者が認知症状を伴っている場合には、細やかなケアと根気強い対応ができるスタッフがいてくれると心強いものです。
月々、まとまったお金がかかることを踏まえると、手間と時間をかけてでも自分の目で施設を確かめて話を聞いてみることをお勧めします。
親がお世話になるとしたらどの介護施設がいいのか
老後は2千万円が必要…などという議論がありましたが、自立して暮らすことができなくなったケースでは、介護施設にお世話になることも選択肢のひとつです。
介護施設もさまざまで、どのような違いがあるのか中に入ってみないとわからないことばかりです。これまで見聞きしたことに私見を交えてメモを残します。
特別養護老人ホーム
私の祖母が入居していたのを覚えています。
相部屋でプライベートな空間とはおよそかけ離れている印象でした。
社会福祉法人が運営しており、最も安価に入居できます。
有料老人ホーム
私自身が介護スタッフとして働いたこともあります。
40~50人が入れる大きなタイプが一般的で、お客様扱いしてくれる高級な施設もあります。入居費用は月40万円かかるのはちょっと信じられません。
リクエストには答えてくれますが、規模が大きいだけに人手が足りない印象でした。
グループホーム
認知症を発症してしまった場合には、グループホームが相応しいと思います。1フロア9名までで(施設にもよりますが)きめ細やかなケアを受けられる印象があります。
入居者が共同生活をするというコンセプトに基づいて運営されています。
サービス付き高齢者専用住宅
ある程度自立している段階であれば、利用する価値はあると思います。
基本的には住居で、そこに付帯する介護サービスを選んで利用することができます。ご夫婦で住んでいるケースもありました。
physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。