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「少年の君」と「スタンド・バイ・ミー」雌鹿(よりよきもの)の事


1.中国映画「少年の君」の事

 中国映画「少年の君」主演の二人に魅せられた。
 成績優秀で大学受験を控えたチェン・ニェン役チョウ・ドンユイ(周冬雨)と彼女を守るシャオベイ役イー・ヤンチェンシー(易烊千璽)
 チョウ・ドンユイはチャン・イ―モウ監督「サンザシの樹の下で」で主演デビュー人気が沸騰し、中国では「13億人の妹」と呼ばれている。
 イー・ヤンチェンシー(英語表記はJackson Yee)は、アイドルグループTFBOYSのメンバー。尊敬する有名人はマイケル・ジャクソン。
 そんなことは知らなかった。
 映画は壮絶ないじめから、中国の貧困問題、母子家庭、格差社会からくる苛烈な受験戦争。醜い現実を次々に見せつけられる。原作はオンライン小説で物語的に違和感もあり、正直途中でリタイアしたくなった。
 ただただこの二人をずっと見続けていたい。それだけで最後まで観た。 終って「こんな映画が観たかった」単純にそう思った。

 最初の二人の出会いと話の流れだけ説明する。
 イーヤン・チェンシーが演じたシャオベイは、父が13歳の時に蒸発、母は新しい男を作って彼を捨てる。その後、天涯孤独の彼は一人で立体交差橋の下で暮らしている。
 ある日、シャオベイが男たちにリンチを受けていた時、警察に通報して、リンチ男たちにつかまったのが、チョウ・ドンユイ演じるチェン・ニェン
 シャオベイは、リンチ男たちから彼女を救い、家まで送る。
 チェン・ニェンは母子家庭。彼女は一流大学受験を目指し、母はその学費を稼ぐために、出稼ぎで、違法な化粧品の販売に手を染めている。
 シャオベイがチェン・ニェンの家に送って行った時、借金取りの母の違法販売を中傷する沢山のビラを目撃し、安全のため自分の家に連れて行く。
 そこではチェン・ニェンは心を開かず、やがて壮絶ないじめから逃れるために、シャオベイに助けを求める。
 観た後、なぜか「スタンド・バイ・ミー」のリヴァー・フェニックスの事を思い出した。シャオベイを演じたイーヤン・チェンシーが似ている気がした。

引用:映画「少年の君」チョウ・ドンユイ(チェン)とイーヤン・チェンシー(シャオベイ)

2.「スタンド・バイ・ミー」と雌鹿の事

 「スタンド・バイ・ミー」の死体探しの旅の野宿の夜、ゴーディ(ウィル・ウィートン)が、クリス(リヴァー・フェニックス)のリクエストでかつて創作した「パイ食い競争」の話をした後で、クリスがゴーディに言う言葉が、この作品のテーマのように思う。

「おれがおまえのおやじだったら、おまえだって、あほくさい職業訓練コースをとるなんて話、持ち出さなくてもすむのにな!あんな作品をいっぱい作れるなにかを与えてくれた神さまみたいに、こういってやれるんだ。
゛これこそ、わたしたちがおまえに望むことだよ、息子や。その才能を失わないようにしなさい ” ってね。だけど、子どもってのは、誰かが見守っててやらないと、なんでも失ってしまうもんだし、おまえんちの両親が無関心すぎて見守ってやれないってのなら、たぶん、おれがそうすべきなんだろうな」

引用:「スタンド・バイ・ミー」スティーヴン・キング 山田順子訳 新潮文庫
※「なにか」強調は本文

 このセリフ(両親がゴーディの才能に無関心なら、お前のそばでおれが見守る)があるからこそ、ロブ・ライナー監督は「死体(The Body)」というスティーヴン・キングの小説を「スタンド・バイ・ミー」として映画にしたのだと思う。
 この後、クリス(リヴァー・フェニックス)は、犯罪者を出す自分の家族への偏見から、学校の牛乳代泥棒のレッテルを張られ、信じていた先生の裏切りの事を話しながら、ゴーディの前で泣いてしまう。
 リヴァー・フェニックスは幼少期、両親が1973年にキリスト系カルト教団「神の子供たち」に入信したため、布教のため、南アメリカのベネズエラ、メキシコ、プエルトルコを転々とする。一家は教団からの支援はなく、トイレはなく、鼠がいっぱいのバラックに住んでいたという。その後、両親が教団をやめ、ロサンゼルスに戻るまで、学校にも行けず映画やテレビは観たことがなかった。周囲から変な人に思われ、友達も兄妹以外いなかった。
 そんなリヴァー・フェニックスがゴーディの前で、クリスとして長い間抑えていた感情をあらわにして泣き出す場面は心をうつ。
 ロブ・ライナー監督は、リヴァー・フェニックス本人が、クリスにとても近かったという。

「リヴァーは、このキャラクターが持つ強さの全てをすべて兼ね備えていた。彼が両親に愛されて育ったことははっきりわかった。あのご両親は、悪い部分を切り捨て、六十年代のピュアな道徳感だけを持ち続けることができた人たちなんだ」

引用「リヴァー・フェニックス 翼の折れた天使」ジョン・グラット著/今井由美子訳
引用「リヴァー・フェニックス 翼の折れた天使」ジョン・グラット著/今井由美子訳の表紙

 その翌日、ゴーディは一人でかけ、線路のレールに座り、夜明けの紫色の光が薄れていくのを眺めていると、雌鹿が現れる。

雌鹿はおだやかにわたしをみつめ、わずかにくびをかしげた。わたしに好奇心をもったのではないかと思えるしぐさだった。…中略…わたしが見ているものは、ある種の天からの贈り物、おそろしいほど無造作に与えられたなにかだった。
 わたしと鹿はながいこと、じっとみつめあっていた……長い時間だったと思う。

引用:「スタンド・バイ・ミー」スティーヴン・キング 山田順子訳 新潮文庫
※「なにか」強調は本文

 「このなにか」が、ゴーディ(ウィル・ウィートン)の物を書く才能と、クリス(リヴァー・フェニックス)の両親から引き継いだピュアな道徳観のようなものだと思う。その道徳観から、クリスはゴーディの才能をそばにいて見守る事を誓う。
 生まれたての赤ん坊には純真無垢な感情は無条件に与えられている。年をとれば純真でも無垢でもなくなる。
 才能は誰かに発見される。発見した者はその才能を見守る、大切に育てる。その才能の開花こそが、無意味だと思えるこの世界に意味を与える。
 小説「スタンド・バイ・ミー」では、その雌鹿との出会いの朝の記憶が、主人公にとってどれほど大切で、人生の危機を救ったかが語られている。

雌鹿との出会いは、わたしにとってあのときの小旅行での最高の部分であり、いちばんすがすがしい部分なのだ。ふと人生のトラブルに出会ったとき、ほとんどなすすべもなく、あのひとときに帰っているーたとえば、初めてベトナムのブッシュの中に踏み込んだ日、…中略…母が死ぬ前の長く、気も狂わんばかりの一週間、そういうとき、ふと気づくと、あの朝にもどっていて、すり切れたスエードのような耳、白い斑点のあった尻尾の事を考えている。…中略…おのれの人生のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい。

引用:「スタンド・バイ・ミー」スティーヴン・キング 山田順子訳 新潮文庫

 誰もが、最初、生まれてきた時に無造作に与えられた才能とイノセンス(無垢)は、多くの人間がいつのまにか諦め、傷つけられ失ってしまう。
 ただ稀有な才能を持ち無垢な心を抱え続けた者たち(クリスとゴーディ)が「この世界で生きる意味」を教えてくれる。人生のよりよきもの(雌鹿)を互いに大切にしあい、生き抜く事。

引用:「スタンド・バイ・ミー」リヴァー・フェニックス(クリス)とウィル・ウィートン(ゴーディ)

3.「君は世界を守れ、俺は君を守る」

 「少年の君」の天涯孤独のシャオベイ(イー・ヤンチェンシー)は、自分を救ってくれた唯一の人、チェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)の中に、この暗黒社会から脱出する光を見る。
 シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)は、この世界で守りたいよりよきもの(雌鹿)をチェンの中にみつけ、彼なりのピュアな道徳観から全身全霊でチェン・ニェンを守る。
 チェン・ニェンの「賢い大人になって、できるならこの世界を守りたい」の言葉は、あまりにストレートで無垢で、心を打たれた。
 彼女が言う「この世界を守る」というのは、大きな事ではなく、たとえばクラスでいじめられている女の子(よりよきもの・雌鹿)を守ること。
 そのことが、誰かを救い、また誰かを救う事。光の連鎖を信じる事。
 メイキングを見ると、スタッフ・キャストが一丸となって映画という虚構の中で、虚構の力が未来を変える事を信じていることがわかる。
 希望の見えない現実の中で、二人の人間の中に生きるに値する真摯な生命力の光(希望)を信じているのがわかる稀有な映画だと思う。

引用:映画「少年の君」チョウ・ドンユイ(チェン)とイーヤン・チェンシー(シャオベイ)


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