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「PERFECT DAYS」人を幸せにする持続可能なモノ作りの3つのヒント

「PERFECT DAYS」は、シンプルに楽しい至福の映画体験だった。
 長年ヴィム・ヴェンダースの映画を観てきたが、これほどわかりやすく心に響いた映画はなかった。
 私はこの映画からストレス社会から抜け出し、人を幸せにする持続可能なモノ作りの姿勢や楽しさを改めて教えられた。


①日常の観察から生まれる心の安定と優しいまなざしを持つ事

 「PERFECT DAYS」トイレ清掃作業員の日常が繰り返し描かれる。
主人公平山の日々の観察から生まれる心の安定と優しいまなざし。その平山のまなざしで毎日同じルーティンの同じ仕事。同じ人々との出会い。
 しかし一瞬たりとも同じ瞬間はない。その一瞬一瞬の違いを味わうかのように主人公平山(役所広司)はトイレ清掃の仕事をし、人々に視線を向け、木漏れ日や植物に目をやる。その眼差しは、人や自然の風景だけでなく、事物にも向けられる。平山の時代遅れのカセットテープ、60年代~70年代の音楽、公衆トイレ、自作の掃除用具、銭湯、ママのいる居酒屋、フォークナーの「野性の棕櫚」、幸田文のエッセイ集「木」などの古くても大切な本の数々。
 この世界や人、事物の向ける優しいまなざしが、主人公平山の眼差しであり、同時に監督ヴィム・ヴェンダースの眼差しだと実感する。
 だから、場所がドイツでもアメリカでも日本でもヴィム・ヴェンダースの映画である。映画は軽々と国境を超える
 若い頃、アメリカ映画やヨーロッパ映画に憧れた。なぜあんなにも美しく光や風景、人の営みが魅力的に描けるのか?自分の身の回りの世界にカメラを向けてもしょぼくれた惨めな自分や暮らししか撮影できなかった。
 撮影した映像が貧しいのは、自分の世界の見方が貧しかったのだと「PERFECT DAYS」を見て、改めて気づく。

②優しいまなざしで風景と人と事物に出会い、味わう事 

「PERFECT DAYS」の東京の人々が魅力的だった。
 ヴェンダースの優しい視線の先の人々は、そのまなざしと呼応するように魅力的な雰囲気存在感を見せる。
 平山役の役所広司はもちろん、ニコ役の中野有紗、同僚のタカシ役の柄本時生、パティ・スミスが好きなアヤ役のアオイヤマダ、「朝日の当たる家」を歌う居酒屋のママ石川さゆり、その演奏に常連客役のあがた森魚
 不思議なダンスをするホームレスの田中泯、平山と共に影踏みをする友山の三浦友和、他にも居酒屋の店主の甲本雅裕、古本屋の店主の犬山イヌコなどその人にしかない魅力と出会いがあふれていた。
 平山の見ている世界、出会う人々はどの瞬間も味わい深く、心がなごむ。

 平山(役所広司)が、清掃道具を詰め込んだ車に乗り、カセットで音楽をかけた途端、映画はヴィム・ヴェンダースのロードムービーに変化する。
 アニマルズ「朝日のあたる家」、ヴェルヴェットアンダーグラウンド「Pale Blue Eyes」オーティス・レディング「The Dog of The Bay」パティ・スミス「Redond Beach」…ニーナ・シモン「Feeling Good」など。
 なかでも印象的なのはルー・リード「PERFECT DAYS」アルバム「トランスフォーマー」(1972)に入っている一曲。発売当時は知らなかった。
 私が知ったのは80年代、高校生の頃、深夜放送で夜明け前にルー・リードの「ワイルドサイトを歩け」を聞いた。それまで聞いたことのない音楽だった。諦念の中のささやかな希望…。軽く囁くように、力を抜いて歌う歌声とメロディに魅了され、次の日その曲の入っているアルバムを買いに行った。

「PERFECT DAYS」もルー・リードは、少し力を抜いて歌い、同じ諦念の中にありながら力強い希望を感じた。それは今までにない感情だった。

Oh it's such a perfect day 
I'm glad I spent it with you 
Oh such a perfect day 
You just keep me hanging on 
You just keep me hanging on
You're going to reap just what you sow

引用:ルーリード「PERFECT DAYS」歌詞の最後

 曲の意味も「なんて完璧な日 あなたと過ごせてうれしい なんて完璧な日 あなたが私をつなぎとめてくれる あなたが私をつなぎとめてくれる あなたは自分で蒔いたものを、いつか刈り取るだろう」
 最後の1行は新約聖書「ガラテヤ人の手紙」6章9からの引用だという。

9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる

出典「新約聖書」ガラテヤの手紙6章9

 これはキリスト教だが、仏教で言う「因果応報」に近い。
 平山はなぜ、せっかく掃除した直後に他の人が入り汚しても、その間、ニコニコして木漏れ日を見ているのか?
 迷子を発見しても、親から変質者を見るような目で見られても、なぜニコニコ笑顔で子供に手を振れるのか?
 彼は街で一番嫌悪される汚物にまみれた公衆トイレを磨き、日々良い種をまき、その美しい種が、風となり、木漏れ日となり、若木となり、子供の笑顔や老人の不思議なダンス、ベンチで見つめる少女のまなざしとなり、返ってくる。 
 それだけで完璧、パーフェクトデイズ。
 現実的に考えると、トイレが綺麗だと心が和む。安心してトイレで用を足す。汚さないように心がける。後の人のために綺麗にする。そんな風に誰かの行為が誰かに伝わり、誰かの行動が変化する事。
 そんなささやかで大切な感情と行動が波紋のように広がる社会。
 消費活動の行動を生む仕事やモノづくりではなく、人の心を安定させ幸福にする仕事やモノづくり。 

③クラフトマンシップ(職人気質・モノづくり魂)で人を幸せにする事

 ここにきてやっと平山が、なぜあんなにも心を込めて手作業で、地味にコツコツいろいろな器具を用意して、丁寧にトイレ掃除をするのか?理解できた気がした。
 毎日少しでも自分や周りの世界が、よくなるように精進し行動する。
トイレ清掃員平山の職人気質の仕事ぶりに、ヴィム・ヴェンダースは、自分の映画作り、モノづくり魂に通じるものを感じたように思う。
 映画の種になる苗木をみつけ、毎日水をやりながら育て、心打つ風景や人、事物に、優しいまなざしを向け、毎日毎日、一期一会の出会いをし、
その人の魅力を引き出し、その瞬間の場面をフィルムで記録し映画を作る。
 物語に縛られない、設計図もなく、目的地も見えない旅の記録、人と世界に開かれた魅力あふれる映像の集積、それがヴィム・ヴェンダースの映画。
 平山と同じようにヴェンダースの映画作りは、日々の日常の記録から生まれ、現実の中の奥深くに入るために、虚構の物語を混ぜ、現実と虚構が混じり合い、映画だけが到達できる現実とつながった様々な人々の心の奥深い世界へ導く。「PERFECT DAYS」はその映像の集積のような映画。
 
 「PERFECT DAYS」の曲は家族との不和で家出したニコとの場面で流れる。
 平山がニコに言った大切なセリフ「今度は今度、今は今」
 この映画は、どこか諦め、行き詰っていた私に「今、ここに生きていることの大切さ」と「未来への希望につながるモノづくり魂」を教えてくれた。





ヴィム・ヴェンダース「パリ、テキサス」についての記事です。


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