週刊「我がヂレンマ」<4月1日号>

 桜の開花予想が外れ、残念がる連中を尻目に室内でnoteを書く私。
 せっかくのエイプリルフールに、気の利いた嘘もつけぬ私。
 レギュラー企画、週刊「我がヂレンマ」が2期目に突入し、益々、気合が入る次第ですが、
 空回りし、音を立てて崩れ去りて桜と共に散らぬよう、兜の緒を締めすぎて首が絞まらぬよう、意識の焦点を合わせていきたい。
 私は現時点、創作地獄の底に下半身が埋まった状態であり、暗黒と雷鳴と怠惰の鬼が蠢く世界にいる。いつぞや脱出したい。早く地上で自由に走り回り、天上を目指すのだ。
 つまり、金と時間を払う価値のあるコンテンツを量産してぇです。
 ということ。今週のコンテンツでゲス。
<メモについて考察と解説>
<購入した書籍の紹介>
<フリートーーク(手抜き)>
 呂布カルマはラップが巧いねずみ男、ということで、イキます。

<メモについて解説と考察>

「演技性パーソナリティ障害」
 の、患者は自分の身体的外見を利用し、他者の注意を得るため不適切に誘惑的または挑発的な形で行動する。
 患者は自己主導の感覚を欠いており、非常に被暗示性が高く、しばしば他者の注意を維持するために服従的に行動する。なぜメモしたかは不明。

「六価クロム・猫」
 広島県福山市のメッキ工場で、有害物質「六価クロム」の槽に猫が落ちた後に逃げ出し、騒動となった。
 3月11日朝、「野村鍍金福山工場」に出勤してきた従業員が、六価クロム槽から続く、黄色い足跡を発見。防犯カメラを調べたところ、10日夜に工場から外に走っていく猫の姿が映っていたという。
 六価クロムはメッキ加工に使われる物質だが、アスベストと並ぶ発がん性物質としても知られている。吸い込むことにより、手足や顔に発疹や炎症が生じたり、鼻や喉にも炎症が生じやすいとされている。

「駭魄(がいはく)」
 魂を驚かすこと。びっくりすること。
例:聞いて驚心見て――。(思出の記(蘆花)
「駭」「魄」ともに漢字検定1級。がいはくと読めたら極度の文学好き、読書好き、または文系。西村賢太氏の私小説よりメモした模様。

「しぶき、たてすぎ」
 1999年公開、森田芳光監督作品「黒い家」のセリフ。主人公・若槻慎二はスイミング中、異常に「しぶき」を立てる。それを菰田幸子にファックスで指摘される。私から見ても、しぶき、たてすぎである。人間、どこで恨みを買うか分からない。無意識の行動の場合はどうしようもない。怖い。

「古書肆(こしょし)」
 古書籍を売買する店。古書店。古本屋。
例:断腸亭日乗〈永井荷風〉昭和20年(1945)
  四月二十六日「東中野付近の古書肆・白紙堂の主人」
 これも、西村賢太氏の私小説から。先生の影響により、難読漢字や単語の勉強を自然としている。同時に日本語の面白さにも気づいてしまった。これも師匠の、いや、北町貫多の御蔭である。

「マカロニほうれん荘」
 鴨川つばめによるギャグ漫画作品。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)において1977年から1979年まで連載された。
「都内の高校に入学してきた主人公が、同じクラスに在籍し、下宿も同じという2人の落第生により学校の内外で引き起こされる様々な騒動に毎回悩まされる」 というのが基本的なストーリー。
 2人が騒ぎを起こす際、毎回様々な着ぐるみやコスチュームに身を包み、往年の(あるいは同時期に)人気・特撮キャラクターなどに変身したり、またそれら対して周りの人々も、同じように別のコスチュームになってツッコミをするなど、現代では当たり前の手法だが、1970年代としては画期的であった。らしい。

「無差別差別」
『おなだん』という日本語ペラペラで、妙に語彙力豊かなフランス人毒舌配信者。大学中退(おそらく)、無職童貞、34歳。そんな彼をさした言葉。
 ニコニコ動画のコメントにあった気がします(切り抜き)。
 人種、性別、宗教など関係なく差別的発言を吐くので、非常に的を得ている。彼は頭が良いので、話と日本語が異常に上手。面白い。
 もっとやれ、である。

<購入した書籍の紹介>

「ドゥルーズ+ガタリ〈千のプラトー〉入門講義」
                              仲正昌樹
『現代思想の”バイブル”を本邦初、完全攻略。』

「リゾーム」、「抽象機械」、「リトルネロ」など、なんとなく訳知り&一知半解に使われ過ぎる用語やヘンテコリンな概念などを辛抱強く丁寧に説明。スピノザ、ニーチェ、フーコーや生物学史、文化人類学、精神分析、小説などをはじめ、その背景にある膨大な思想や文脈を抑え、きちんと詳細に解説。
 難しすぎる、よって途中で挫折することで有名なテクストを、この一冊で完全読解。これ以上ない唯一の入門書。

「この本のもとになる月一回・連続講義を始めたのは、コロナ禍が本格化する前まで、また「緊急事態宣言」は出されていなかった。(…)
 コロナに関連して、(…)平滑空間と条理空間、定住民と遊牧民、国家と戦争機械の間の絶えざるせめぎ合いが、空間の性質を変化させ、ウィルスの変異を促す・・・・・『千のプラトー』で指摘されている様々な問題が、今起こっていることと繋がっているように思えてくる。(…)そうした何重もの意味で、『千のプラトー』は極めてアクチュアルな問題提起をしている、と思う。」
                    ――――本書「あとがき」より

「R62号の発明・鉛の卵」
                              安倍公房
 会社に首にされ、生きたまま自分の「死体」を売ってロボットにされてしまった機械技師が、人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する『R62号の発明』、冬眠器の故障で80万年後に目を覚ました男の行動を通して現代を諷刺した先駆的SF作品『鉛の卵』、ほか『変形の記録』『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』など、昭和30年前後の、思想的、方法的冒険にみちた作品12編を収録する。

「笑う月」
                              安部公房
 笑う月が追いかけてくる。直径1メートルほどの、オレンジ色の満月が、ただふわふわと追いかけてくる。夢のなかで周期的に訪れるこの笑う月は、ぼくにとって恐怖の極限のイメージなのだ――。 
 交錯するユーモアとイロニー、鋭い洞察。夢という〈意識下でつづっている創作ノートは〉、安倍文学の秘密の一端を明かしてくる。
 表題作ほか著者が生け捕りにした「夢」のスナップショット全17編。

「飛ぶ男」
                              安部公房
 ある夏の朝。時速2、3キロで滑空する物体がいた。《飛ぶ男》の出現である。目撃者は3人。暴力団の男、男性不信の女、とある中学教師・・・。
 突如発射された2発の銃弾は、飛ぶ男と中学教師を強く結び付け、奇妙な部屋へと女を誘う。世界文学の最先端として存在し続けた作家が、最後に創造した不条理な世界とは。死後フロッピーディスクに遺されていた表題作のほか「さまざまな父」を収録。

「箱男」  
                              安部公房
『匿名という自由の行き着く先。作者は全世界に罠を仕掛けた。』
 映画化決定。永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市。監督:石井岳龍
 2024年公開決定。

 ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男。彼は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。
 輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。
 読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく迷宮。
 衝撃的な反響を集めた問題作。

「覗くことには馴れっこだけど、覗かれることには、まだ馴れていないんだ・・・・」
 贋箱男が、ゆらりと揺れた。いちど大きく斜め前に傾いてから、思い掛けない身軽さで立上った 
                            (本文より)

「砂の女」
                              安部公房 『日常のささやかな逸脱の一歩先に、安倍公房的な異界が待ち受けている』
                           作家・一穂ミチ
 砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編。
 20数ヵ国語に翻訳された名作。

 安部公房先生だらけ。本のタイトルからしてツボであり、書店の棚からごっそり5冊、カゴに入れてしまった。
 ところで気づいたことがある。お気に入りの作家の共通点。
 
 安部公房先生は、1924年生まれで、東京大学医学部卒。
 三島由紀夫先生は、1925年生まれで、東京大学法学部卒。
 星新一先生は、1926年生まれで、東京大学農学部卒。

 どうやら私は1920年代生まれの東大卒の作家に、弱いらしい。というか、この御三方、同時期に同じ大学にいたとは。恐るべし東京大学。
 かたや高卒の私が何を学べるだろうか。何を自作に活かせるだろう。
 コンプレックスに爪をたてられ、見上げるばかりの私の肩をたたく人がいる。
 うすら巨体で、チェックのシャツ、ダサいジャンパーの西村賢太氏だ。
 暗闇でスポットライトを浴びながら、目玉焼き、柿ピー、シーチキンをアテにして宝焼酎をぐびぐびしている。
「認めたくはないけど、私は、そっち側です」
「まぁ頑張って。文壇という、お利巧馬鹿ばっかりの書き手と編輯者と評論家による、くだらぬ凭れ合いのマスかきサークルの中に入ってきなよ」
 相変わらず精緻な罵詈雑言がキレている先生。
「ですよね。優雅で恵まれた、贅沢な悩みを静臥し精査し、作品に昇華しているような連中と話すことなんて、ありません。私は市井の、通りすがりの取るに足らない凡庸極まりない人々の為に、書きたいです」
 西村賢太氏は、それ以上何も言わなかった。
 にやけ顔で、宝焼酎を一本空けたところで去っていった。

<フリートーーク(手抜き)>

 自由民主党幹事長・茂木敏充先生。
『茂木さん対処マニュアル』
【食事】
・嫌いな食べ物/煮物全般、酢の物、ゴマ豆腐、キャビア、サーモンサンドインチ、硬いパン(ベーグル、フランスパン等)、餡かけのもの全般、フカヒレ、冷やし中華、長崎ちゃんぽん、スイカ、メロン(夕張メロンは除く)、和菓子全般、洋菓子全般。
・ご飯ものよりも麺類やパン。
・ハンバーガーはオーソドックスなもの、カレーは辛口なものを好む。
・夜食にカップラーメンやカップ焼きそば(ペヤングソース焼きそば)。
・軽食。甘いパン(デニッシュ等)やヨーグルトやフルーツ(バナナ等)。
 甘いパンは実際に大臣がどれを選ぶのかが分からない(当日の気分次第)ため、可能な限り全ての種類を持ってきて、大臣に一つか二つか選んでもらい、別のお皿に取ってもらう形式とすること。
・ルームサービス等で麺類を注文する際は、大臣に提供するタイミングについて細心の注意を払うことが必要。暖かい麺類の場合はのびないように、冷たい麺類の場合は固まらない(硬くならない)ように。
 ちょうど良いタイミングで提供することが必要(中国出張の際のトランジット先のソウルで、(中略)冷麺ができてから大臣に提供するまでのタイミングが20分ほどずれてしまい、麺がかたまっていた冷麺を大臣にそのまま提供してしまったため、かたくて食べられないと大激怒していた)。

 報道ステーションで、砂漠の、岩石の断層が如く仏頂面が印象にのこり、ウィキペディアで調べてみたら上記のマニュアルがあった。
「面倒くさいオッサンだ」
 どうやら頭脳明晰で、政策通の、要求の厳しい、瞬間湯沸かし器らしい。
 到底、書ききれないほどの『茂木さん対処マニュアル』は一見の価値あり。あんなもの頭に入りきらない。ご機嫌取りも仕事のうちか。
「官僚の方々は、余計な気を遣って大変だなぁ」
 高卒の、人生をとっくに棒に振っている私は思った。
 もう一つ、私の頭を擡げる事実がある。
「これは、フリートーークと言えるのか」
 特に興味のない政治家の対処マニュアルについて語ることが、フリー、なのか。自由の謳歌(フリートーーク)とは、こんな、腐泥から拾い上げた政治家を語ることではないはずだ。
 自由と無秩序は違うが、好きに目に入った事象を配列した結果、秩序を無くしてしまった。
 他方、『自由(フリー)』であるため、秩序だって構成するわけにはいかない。趣旨も、方向性も、意味すらかなぐり捨てた先に何があるというのか。そこには、
 闇。虚空。虚無。底なしの奈落。忿懣遣る瀬ない絶望感があった。
 元はと言えば「フリートーーク(手抜き)」である。
 そう、手抜き。何をトピックしてよいか分からず、とりあえずタイトルをでっち上げたのだ。
 物事は始まりが肝心。過程は以外と正常性バイアスの大活躍により、一定の安寧と幸福感があり、それが罠であり、終わりは原理原則に則って収束する。手を抜けば、それなりの、結末しかない。
 気づけば少し長くなりすぎた。
 最後に一言。
「私の、ここ(絶絶絶絶対聖域)空いてますよ。トゥース!」

 
 
 
 
 
 

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