週刊「我がヂレンマ」<3月25日号>

 月曜レギュラー企画「週刊 我がヂレンマ」の来期延長が決定しました。
底辺ながらそれなりに好評(スキ)を得ていたこと、また、自身も楽しく書けていたこと。もしかしたら、完全に固定の真のレギュラーになるかもしれない。テレビ番組でいえば「サザエさん」「笑点」のような。
 根がお調子者に出来ている私は、こういった際、失敗する。やらかす。折角の好機を逃す。そして、元の木阿弥。
 そうはさせねぇと、いうことで今日のコンテンツ。
<メモについて解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<キモイ妄想(手抜き)>
 手慣れたもの、そんな雰囲気もしてきたこの企画。油断せぬよう気を引き締めて、さぁ行こう。

<メモについて解説と考察>

「引き裂かれるような願い」
 心のなかにアンビバレントな感情が渦巻いている。例えば、老々介護で苦しんでいる夫が、長年連れ添った妻に早く死んでほしい。
 そんな願いは、引き裂かれるような願いだろう。苦しいとはいえ、愛していることには変わりないのだから。その願いが罪と自覚すると同時に、痴呆が進み、年々できることが減り、負担は増える一方。
 辛い。出典不明。

「世界のおかわり」
 文字通り世界中のおかわりを特集する。家庭で、いつもの定食屋で、ついおかわりしてしまう料理は、美味いに決まっている。料理はもとより、その様子や背景も描写することで、文化も伝えることができるだろう。 
 私が最もおかわりした料理、いや、食材は「米」ですが、我が家には炊飯器がありません。その記憶は悠久の彼方です。

「別紙さん」
 べっし、べつしさんと読む。
 全国順位は30,592位、全国人数はおよそ100人。同苗字は、北海道、香川県、徳島県、東京都にみられる。由来は不明で、非常に珍しい苗字と言える。どこでこの苗字を知ったかは、正確には分からないが、テレビ番組だった気がする。気になったのでメモ。

「跌宕狷介(てっとうけんかい)」
 好き放題に振る舞い、自分の考えをかえないこと。
「跌宕」は思ったまま、好き放題に振る舞うこと。
「狷介」は自分の考えに執着して、他人の考えを受け入れないこと。
 難読漢字を多分に含む四字熟語。
 知っていたら自慢できるかと思ったら間違いで、説明しても反応は決まって「へぇ」で終わる。知識はひけらかさないに限る。

「凌轢(りょうれき)」
 侮り踏み躙ること。りょうりゃく。
「郷侶を――し民人を虐待し」<東海散士・佳人之奇遇>
例文の郷侶は意味を検索しても、芳しくない。おそらく郷里の難しい言い方と思われる。日本語は奥深い。

「迷宮で待つ」
 どういうことか。迷宮というからには、入ったら無事では済まなそうだ。そんなところで「待つ」とは物騒である。おそらく二人と迷宮との間に因縁があるに違いない。きっと罠だろう。もしかしたら、また別の人間が<彼>のフリをして、主人公をおびき出した、とか。
 何故、正体を偽り、そんなことをした? それがこの話の肝だろう。

「神奈川県川崎市川崎区<夜光>」
 夜光(やこう)は、神奈川県川崎市川崎区の臨海部の町名。現行行政地名は夜光1丁目から夜光3丁目。
 川崎市臨海部に位置する、東北から西南に向けて一丁目・二丁目・三丁目が並ぶ。一帯は工業地帯であるため工場が多く、住宅は少ない。付近にある川崎大師と密接な関係をもっている地名。
 川島勘左衛門・富右衛門が埋立造成した夜光新田、和泉氏が造成した和泉新田、小島新田の一部からなり、1937年から1960年の埋立事業により現在の町域が完成。
 地名の由来は、夜にもかかわらず、海中に光が煌々と灯っていたことから、付近一帯に「夜光」の名がついた。この光り輝く海に、「川崎大師」の名で有名な平間寺の開基である平間兼乗が網を投げ入れたところ、弘法大師像を引き上げた。それを安置したものが現在の平間寺である。

<購入した書籍の紹介>

「一私小説書きの日乗」
                              西村賢太
 2011年3月から2012年5月までを淡々を綴った、平成無頼の私小説家・西村賢太の虚飾無き日日の記録。芥川賞受賞後の騒動、東日本大震災、憧れの人との対面、私小説への思い、二度とは戻れぬ生育の町の変貌、編集者との確執、執筆、怒り、痛み、諍い、そして時折の静謐。
 ざわめきのなか綴り続けた現代日記文学の最新形。文学界・読書界で注目を集め続ける、古くて新しい「日乗」シリーズ第1弾、待望の文庫化。
                            解説・江上剛

「一私小説書きの日乗 憤怒の章」
                              西村賢太
 芥川賞を受賞後、『苦役列車』が映画化し、執筆とテレビ出演による多忙な日々を送る著者。締切に追われながらも、行きつけの店に通い、担当編集者を打ち合わせ、尊敬する人との邂逅に心震わせる。だが時に、そんな充実した日々に水を差す愚昧な人に、怒りをぶるける。
 惜しまれつつ急逝した最後の無頼派作家が、ライフワークとして死の直前まで綴り、数多の作家の支持を受けた日記文学「日乗」シリーズ第2弾。
                          解説・玉袋筋太郎

「随筆集 一私小説書きの独語」
                              西村賢太
 雑事と雑音の中で研ぎ澄まされる言葉――鶯谷での独立生活の思い出にはじまり、若き日の読書・映画体験、日々の労働を綴った未完の半自叙伝である表題作。そして第2エッセイ集『小説にすがりつきたい夜もある』以降の約一年間に各誌紙へ寄稿した随筆を網羅。師・藤澤淸造や私小説への思い、横溝正史原作映画への偏愛、韓国の書店で受けた衝撃等、平成の無頼派作家が折々の思いを珠玉の言葉であらわした第3エッセイ集。

「狼の吐息 愛憎一念 藤澤淸造 負の小説集」
                              藤澤淸造
                         編・校訂 西村賢太
 芝公園で狂凍死するまでの、藤澤淸造の創作活動は十年に及んだ。貧苦と怨嗟を戯曲精神で彩ったその作品群から、歿後弟子・西村賢太が十九篇を精選、校訂を施す。
 不遇作家の意地と矜持のあわいの諦観を描く「狼の吐息」、内妻への暴力に至る過程が遣る瀬ない「愛憎一念」、新発見原稿「乳首を見る」、関東大震災直後の惨状のルポルタージュ等、不屈を貫いた私小説作家の”負”の真髄を照射する。

「蝙蝠か燕か」
                              西村賢太
「どうしても、私小説だけは生きてゆく上で必要であったのだ」
 私小説として師・藤澤淸造に殉じた生涯。真骨頂たる苛烈な”歿後弟子道”を主題に捉えた三篇を収録。
『北町貫多最後の雄姿を眼に刻め』

 貫多は師・藤澤淸造の墓前にぬかずき唱える、「引き続き、その無念を継がせてください」。もうとっくに人生を棒にふっている彼にとって、それが唯一の生き甲斐であるのだ。

収録作。
「廻雪出航」
「黄ばんだ手蹟」
「蝙蝠か燕か」

「梓義朗作品集 浮★遊★感★覚」←漫画です。
                               梓義朗
『超新星・梓義朗、刺激的かつ純度の高い、デビュー単行本。』

「曖昧な記憶の断片たちを繋ぎ合わせてくる、危うくて静かな人々と空気、そんな存在」
                     柴田(パソコン音楽クラブ)
                     noripi(RYOKO2000)
「都市の地べたを這う幻想と叙情。」
                              山田参助
『キャベツ畑で猫殺し。蔦が絡んだ美青年。ドクターフィッシュの風呂に浸かって、少女の涙に虹がかかる。』

『第2回トーチ漫画賞 審査員特別賞《山田参助選》に輝いた著者による、魅惑の短編5編+12のおまけ漫画を収録。』

 はぁ。今回も西村賢太成分があまりにも、濃い。
 紀伊国屋書店・新宿本店にある先生の本は、私がほとんど買っているのではないかとの疑いさえある始末。すべて集めたい思いは山々だが、もしかして、古本屋を回る必要があるかもしれない。または、文庫の発売を待つか。
 ここまで思慕の念を抱く作家ははじめてかもしれない。
 出生地は私の地元からそこまで離れていないし、最終学歴・高卒は昔でいうところの中卒であるし、人間関係は不得意で、影または脳内で呪詛をはく暗澹たる精神もよく似ている。あそこまで屑ではないが、シンパシーは激しく私の心を震わす。
 他方、歿後弟子を自称するほどの熱意は、今のところない。しかし、私の作品・文章に多大な影響を与えることは必定。
 具体的には登場人物に深く、立体的な『心身性』を与えたい。
心身性とは、と、検索してみたが腑に落ちるものはない。今は亡き石原慎太郎氏の言葉、と、記憶している。
 畢竟。人物を駒のように動かさず、勝手に動き出すようにしたい。実在感がほしいのだ。
 
「さて。”西村賢太・熱”は収まりそうにない」
 
 ところで、最後に紹介した『梓義朗作品集 浮★遊★感★覚』は完全なるジャケ買いです。おまけにシールがついてました。絵柄は独特の下手ウマで、まるでボールペンで描いたような風合いです。
 話は淡々と進みますが、静謐な危うさが主人公たちを侵食していく様は、心地よい不穏さを帯びていて、なんとも爽やか。じっとりぬるぬるです。
 作者の梓義朗先生は、
 95年生まれ、千葉県出身。いて座のO型。変な形の雲を見つけるのが好き。今まで見つけたのは、魚、うさぎ、熊、花も形など。趣味はレコード収集。好きなお茶は、ルイボスティーとアップルティー。
 同郷です。千葉の何処だろ~な~。

<キモイ妄想(手抜き)>

 世界が終わる残像と煌めきが明滅するその瞬間に、お互いの一番嫌いなところを言いあおう。それで、笑って赦しあおうよ。
 初めて会ったのは、中学の卒業式が終わってしばらくした、入学式のちょっと前、一瞬の幕間のときだった。衣替えをして、薄手のくすんだグレーのパーカー、さくら色のスカートが可愛かった。勇気を振り絞って話かけたら、偶然、同じ高校に通う予定で、勝手に運命と決めたんだ。
 同じクラスじゃなかったけど、慣れない時期に、君がいてくれて心強かった。
 降り注ぐ柔らかな日向のもとで、とくに綺麗でもない河川敷を一緒に歩いたね。他愛もない話で笑ってくれて、僕の心は浮遊してる感覚だった。
 それからの日々はすべてが瑞々しく、鮮やかに、軽やかに今も、この瞬間も心にあるよ。
 高校生になって初めての夏祭り、ライラック色の浴衣の君は、綺麗なロングヘアをお団子のまとめ髪。可愛くて、たまらなくて、夏の香りに背中をおされて楽しくて、少し、門限を過ぎてしまったな。
 秋になったら、高尾山に紅葉を見に行ったっけ。お土産屋さんなどが並ぶ風景を抜けて、ケーブルカーに乗って、登山道をお揃いの新しいアディダスのスニーカーで歩いたね。
 初めてのクリスマス・イヴ。君は約束の駅前広場に来なかった。
 突然の引っ越しで、転校することになったから。年明けに会ったときも、少しよそよそしい雰囲気で、僕は厭な予感を感じながらも、一緒に、近所の神社で細やかな初詣をしたね。
 学校は違っても連絡を取り合っていたけど、すこしづつ、その感覚は空いていったね。2年生になって、なんとなく、話しかけてきた同じクラスの女子と僕はデートをしたり、キスをしてしまった。
 身勝手な罪悪感にかられて君の街を、君の家を訪ねたら、病院にいるって言うじゃないか。なんで教えてくれなかったの。
 お父さんは「娘は会いたくないと言っている」と、眉間に皺を寄せながら伝えてきてから、僕は素直にそれを聞いて帰ってしまった。今でも後悔しているよ。
 そして、あの8月31日。
 巨大な円盤が世界中にやってきて、奴らは、全てを破壊してしまった。
 運よく生き残った僕は、君を探して、君の街へ駆けて行った。生き残った人々は絶望に打ちひしがれていたけど、僕は下を向くわけにはいかなかった。どうしても、何があっても、
 君を守りたかった。
 僕は幸せだ。なぜなら、今、君を抱いているから。病気で痩せて、前よりも弱々しくなった君を必死で支えている。
 奴らは、トドメの一撃を放った。
 世界が終わる残像と煌めきが明滅するその瞬間に、
「お互いの一番嫌いなところを言い合おうよ。笑って赦しあおう」
 あまりの衝撃が、二人の会話を遮断した。
 すべてが消し飛ぶその時まで、二人の影はひとつになっていた。

 ハイ。気持ち悪い。私の作風に合いませんぜ。なんとく感覚的に無意識に書いてしまった。こういったことは、稀にある。それを特別な瞬間であると、思いあがってはいけない。
 脳のバグであり、妄想の一辺であり、創造の吐瀉物である。もしかすると、爽やかな青春を送りたかったとの思い残しが、書かせたのかもしれない。忸怩たる思いだ。
 クリアブルーの日々、やってこないかな~。

 
 
 
 

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