肉と魂

 少年は酷く痩せている。
 砂塵から目を護るゴーグルと、青く色あせたキャップ、細い体を覆い隠すツナギには穴が空いていた。
 既に解体が決まっている居留地。大人たちは、夢破れ、かつての開拓惑星エスとの別れが迫るなか、せわしなくしていた。ところどころで、閉店セール、たたき売り。誰もが人生に、はっきりとした区切りをつけにいっているようだった。
 少年は雑踏を、後ろ右足が悪い犬と抜けようとしていた。
「タロウ。早くして、夜が来ちゃうから」
 老犬に差しかかったタロウは、よたよたと少年について行くのがやっとだった。そしていつものように、ガスマスクで口を覆った。
 居留地の出入り口。警察官の女が少年に声をかけた。
「あなた。何処の子? 子供はすでに地球への帰還が済んでいるはず」
「ご心配なく。家に帰るところです」
 そう言って、制止も聞かずに少年は犬を抱えて居留地を後にした。
 
 すこし離れた小高い丘のさき、旧居留地の廃ビルが、少年の住処だった。無論、電気などのインフラはなく、殺伐としたコンクリートのアバラにすこしばかりの家財があるだけ。少年の一日はというと、ほど近い砂漠で爬虫類を捕獲したり、サボテンに似た植物をとったりして日中はすごす。換金できそうなガラクタが発見できれば、居留地で換金し、生活物資を入手する。
 そして、熊ほどもある狼に襲われないよう、陽が沈む前に帰りを急ぐのだった。少年は湿気たマットレスで、犬のタロウと毛布にくるまっている。年代物のランプの淡い光りが、頬を照らしていた。
「お腹空いたね、タロウ」
 父親は失踪、母は採掘現場の落盤事故により、すでに他界していて、写真すら残っていなかった。少年は児童養護施設を脱走し、かつて家族と暮らしたこの廃ビルでの暮らしを選んでいたのだ。
 空の衛星の白い光りが、窓から差し込んでいた。
 風の音が、その場の静謐に吹きさらしている。
 その時、勇壮で、毛が逆立った狼の姿があった。足音もなく近づかれ、成す術もなくタロウは咬みつかれた。少年は目を伏せ、逃げるしかなかった。
 唯一の家族を失った悲しみに浸ることもできず、地下に籠り、やり過ごすしかなく、不安と悲壮感で眠ることなどできなかった。
 
 朝になり、寝床に戻ると、タロウの亡骸があった。昨日まで足を引きずりながらも、高い鳴き声で吠えていたが、今は、只の死肉である。
 少年はしばらくして、タロウの亡骸を抱き上げた。アバラの中身は無残に貪られ、目は見開いたまま。そのまま外へでると、錆びたスコップで穴を掘り、埋葬してやる。タロウの首輪を、ツナギのポケットにしまった。
 廃ビルのエントランスの前で座っていると、前方に狼がいる。本来なら夜行性で、ここには居ないはずだが、今はそんなことは関係ない。
 牙のまわりが赤くそまった狼は、ゆっくりと近づく。少年がスコップに手をかけたその時、耳をつんざく銃声が響き渡った。そのあと三発つづき、狼は倒れた。
「君、怪我はない?」
 警察官の女だ。少年は首を振る。無線で連絡を入れ、状況を報告している間も、少年から目を離さない。その目は、慈悲と気丈さを讃えている。
「ついてきなさい。此処にいては危険だし、この惑星も一か月もしないうちに無人になるわ。もう、ここには居られないの。分かるわね?」
「うん」と力なく答える。少年は大人しく、警察官の女の運転する自動車に揺られることにした。
 朝もやがすこしづつ晴れていき、後部座席の少年は窓の外の砂漠がつづく風景を眺めていた。「飲みなさい」と、警察官の女は水の入ったペットボトルを少年に渡す。少年は、両手で掴み、蓋も開けずにじっと見つめている。
「なんで、あんなところで暮らしていたの。危ないでしょ」
 少年は、水を口にして答えた。
「あそこで生まれたから」
「そう」警察官の女は、それ以上言葉をつづけなかった。
 少年は、その無言に甘えて、その後の展開をやり過ごすことにした。
 
 少年は、生まれ故郷の惑星エスを、宇宙船から見ていた。そして、まだ見ぬ地球へ向かうのだった。二度と帰ることのない惑星。
 寂しさと、新たな生活への高揚感が混じった、複雑な浮遊感に包まれていた。その時、警察官の女が温かいコーヒーを両手に、ひとつずつ持って、にっこりと笑う。少年もそれに笑顔で返し、久しぶりの安堵に心をまかせた。

 

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