彼の音楽の理由X(詩)

 「なんで音楽をしたいの?」
控室でドラムの彼は年下のシンガーソングライターに尋ねる。シンガーは「えーと」と口ごもる。大手企業の所有するこのスタジオのソファーは横に長く、1番端っこにシンガーは座り、真ん中に私、ソファーよりも横にあるメイク用鏡前のイスにドラムは座る。丁度私を挟んで彼らは対話しているのである。
 「君が普段のメンバーに何がしたいかわからないって言われるなら、それは凄い掘らなきゃいけないと思うんだ。そんで、それってきっと、ワンマンがやりたいとか、こういう方向性の音楽がやりたいとかの浅いところじゃなくて、もっと深い所で(なんで)を探らなきゃいけない気がするんだよね。」
 確かにその通りである。音楽、演奏、歌う事、作る事、全てある個人がおこなう必要性のないものである。では、何故。大前提たる理由Xを我々の多くは理由Xの影響下にあるさまざまな事例で表現しようとする。しかし、困った事に事例は多くの不純を含んでおり、その度にその理由Xはボヤけるのである。私は補足を加えるつもりで、話に加わる。
 「じゃあ、そういう〇〇くんはなんでドラム叩いてるの。」
「おれは、うーん。さっきリハーサルした時に〇〇さんと目あったりしたじゃないですか。ああいうのがとにかく好きなんです。バンドも何も全部やめて何にもなくなった時あって。その時にはじめて、俺寂しいって思ったんですよ。それで、あ俺コミュニケーションがしたかったんだなぁって。で、コミュニケーションをとるときに1番上手くできるのが俺にはドラムだったって、そんな感じですかね。」
 「あー、わかるよ、僕もバンド解散して思ったことは、ちゃんとおれ音楽好きなんだなあってことだったもん。」
「そうそう、それなんです。やめて気づくことってありますよね。」
シンガーは朴訥とした顔で話を聞いている。
「ちょっと違うかもだけど、僕はセルフケアとして曲を書いて歌っている気がするなぁ。なんかわからないけど、このメロディにはこの言葉が凄くしっくりくる。でもその理由はまったくわからない。意味わからないんだけど、なんか頷くフレーズみたいのがあって、5年くらいした後に、あーそういう意味だったのかー、って自分で気づくみたいな。本当は答えをずっと前に知っていたのだみたいなことがあって、そういうのに触れられるのが僕にとって音楽を作ることだったりするんだよね。神託。神託とはいっても、自分の無意識的な部分からのメッセージなんだろうけど。」
 「あーそれはなんとなくオレもわかります」
シンガーはそういって同意する。ベースの男もうんうんと頷きながらそれを聞いている。
 今日この日、我々が集まったのはxxxxという企画のテスト版として実際に番組自体を作ってみる試みのバンド役としてである。控え室の外では大人20人ほどが大忙しで動き回っている。なので、この日即席で結成された我々の演奏が表に出ることはないかもしれない。おそらく、公開される可能性の方が低いであろう。しかし、ゆえにこの一瞬に詩情を感じるのである。私たちの日々は誰かに公開されるために営まれているわけではない。そうであるのに、いやそうであるからこそ、私たちのこの演技は真実味を帯びるのである。有用性の内側を疑うばかりの私がどうして、私でいようとするのか。それはきっと、そこに私の真実と、それに関する演劇の美しさを見るからである。
 「確かにオレ、曲書く時って落ち込んでるときっすもんね。落ち込んだ時しか、曲かけない」
「落ち込んでる時ってきっと、自分の声をうまく聞けてない時なんだよ、たぶん。だから僕ら歌ったりするんじゃないかな。そこでだけは自分の声が聞けるから」
 そんな話をしていると担当のディレクターが控室に入ってくる。「つぎ、カメラテストするんで、もっかい立ってもらってもいいですか?」そう言われて私たちは急ぎ、腰を上げる。
 「なにはともあれ、楽しみましょうね」
そうドラムが言い、私はにこやかにそれに同意する。シンガーは緊張した面持ちであり、ベースはその彼の大一番だと今日を称している。私は決してそうは思わない。彼の大一番はもっと、別のところにあるように思うのである。
 求るときには見つからない。まさになぞなぞのような日々の回答はそこにある。求るときとは自分の声の聞こえない時なのである。であれば、静寂をまつか、それとも詩(うた)を歌うか。歌以外に我々を導くものはないのではないかと私は思う。
 真っ白い背景に立ち、私はシンガーに目をやる。わたしはキャップをくいっと少しあげ、彼がこちらを見ることを待つのである。彼と目が合えば、きっと彼の大一番は近いのではないか。そんな予感がしたのだ。

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