おじゅ

漫画と猫と穏やかときゅんとさわやかな風が好き! なにものでもない中年。

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スキを押してしまいざるを得ない文章

私には到底無理だが、簡潔な中にも新しい気付きがある、颯爽と通り抜けていくような記事がスキだ。 私はついつい余計な話をだらだらとしてしまう。口数が多くない分、頭にたまった言葉を吐き出しているようなものだから。 だが颯爽とした文章はちがう。 出会ったときは遠慮なくスキを押させてもらっているがついつい同じ人の別のnoteを読んでは連続でスキを押してしまう。 違うの! スキのお返しがほしいんじゃないの! ただ好きなだけなのです!!! ということが言いたかった話。

    • 高さ3mで透明になる壁

      性格ってなんだろう。 未だに自分を言い表す名詞が見当たらない。 引っ込み思案だし、内気だし だけど自分ではサッパリした性格だと思っているし、通り越してドライ、冷めているとさえ思う。 時々内向的な楽天家と表現してみるが、果たして本当にそうなんだろうか。 ため息をついて、のし掛かってくる案件もある。暴れても迫ってくる壁のようだ。 だけどそれらを一旦忘れ、狭いスペースを浮遊し壁を視界から外して忘れた振りをする。 この明るい世界を望める場所なのだからと、壁を忘れた振りをする。 だ

      • 散文詩  靴を履く

        どうしたって期待する 季節の変わり目 まだ綺麗なバッグ 二人分の昼食 ハンガーに掛かったままの制服 本当にきれいなきみのこころが ただそのまま輝き続けて欲しい だけどもっともっと知って欲しい知られて欲しい きみは最高なんだって どうしても靴を履けなかったら 扉を開けなくてもいい きっと大丈夫 ううんできなくてもいい こういう時 大袈裟にするときみはいやがるから 心の乱舞を決して顔に出さず耐えている きみが振り絞った勇気 春の風にうまく乗れますように 頑張れ 頑張

        • クソッタレ考 ドブネズミと同義説

          ブルーハーツの終わらない歌、The Birthdayのくそったれの世界。 どちらもクソッタレという歌詞が出てくる。 罵詈雑言、悪口。 クソッタレというのは柄の悪い兄ちゃん姉ちゃんおっちゃんが、他者や自分を蔑む時に吐き出す言葉だ、という認識があった。でもここ最近考えを改めている。 小学生の時、同級生に「私は今までにおならをしたとこがない」という子がいた。 んな訳ないじゃんと問い返しながら、それでも真顔でいわれてしまえば、そういう特殊な、いやむしろ正常な体質なのかもしれないと

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        スキを押してしまいざるを得ない文章

          映画ゴールデンカムイを観てきた

          はじめに ゴールデンカムイの映画を観てきた、といっても、公開初日に観ると意気込んでいた割にはダラダラと時が過ぎ、家族にも観せたい、いやでも一人で観たい、との狭間で迷っていた。 子供の調子が悪かったのもある。でも入場者プレゼント配布が始まるその日、家族で映画館に足を運んだのだった。 出会い 恥ずかしながら本作品との出会いは、漫画連載最終回前の全話無料公開時だった。新参ものである。 時折開催される3巻無料公開などで、それくらいは読んでいたのだが其きりで、漫画連載完結記念で漫

          映画ゴールデンカムイを観てきた

          受験生の母はアシリパちゃんに完全敗北する

          私の中の普通が一般的には低水準だとしても、うちは普通の田舎の家庭である。 初めて、子が受験というものをしている。 今まで資格試験等は受けてこなかったので、初めての経験である。 思えば自分自身はぬるま湯で泳いできた人生で、勉強をして学校、会社に受かったという経験はほぼない。 志望高校には推薦で行けたし、滑り止めの私立は受けたがそれくらいで、大学にも行っていないのでそれきりなのだ。 こうして親の立場に立ってみると、こんなに心が揺れるのかとビックリする。 正直勉強面では何一つ

          受験生の母はアシリパちゃんに完全敗北する

          『寡黙な爆音』という圧倒的文才

          最後にしようと思っていたチバの記事だけど、もうひとつ。これはミッシェル関連の別の話ではあるけれど。 いつだったか、音楽雑誌に忘れられないコピーがあった。 今もか知らないけれど、2000年前後、音楽雑誌はたくさんあって高かった。 情報誌のようなやつから、写真集のようなやつまであったけど、写真集ばりのちょっとデカめのサイズのやつは特に高かった。 高校の頃か、働き出してからだったかは忘れたけど、本屋で立ち読みした音楽雑誌の中にあった、そのコピーはわたしを貫いた。 コピー、とい

          『寡黙な爆音』という圧倒的文才

          悲しみの考察

          チバ氏の訃報から2ヶ月。 やっと少し、落ち着いてきた。といってもチバを思うとジワりと泣けてきて、歌を聴くと涙ぐんで堪らなくなる、ということが減ったというくらいで、そもそも日常生活には殆ど影響はない。 先に投稿した詩を書いていたとき、なぜこんなに泣けるんだろうと考えていた。 中二の時、ブルーハーツが解散して、その後ハイロウズが結成された時、「今が一番大事」な教えを守るべく、ヒロトとマーシーに会いたいと思った。明日もし自分が死んだら後悔することは?と考えて、ヒロトとマーシーに

          悲しみの考察

          散文詩

          黒と白と 赤と灰色がよく似合う ざらついたコンクリートのモッズスーツ ジャンクでヴィンテージ なのにファニーでキュート いかつい顔から零れるロリポップ その姿を目に焼き付けたかった その歌声を脳に焼き付けてほしかった 小さく強く握こんだ手で讃えるように踊りたい 200メートル先でもよかったのに 一生届かないと泣いた13歳の恋みたい まっさらな雪原の向こうにひとつ星 この雪原を真っ黒に溶かすにはまだ 悲しみのなかに居すぎてる

          40オーバーだが身長が伸びた件

          #今年のふり返り をしてみよう、と思っても、え?もう一年たった?としか思えない。 こんな私だがココ数年で変わったことがひとつある。 身長である。 縮んだ、と言うオチではない。 伸びたのだ。 齢40を越えてまさか身長が伸びるだなんて思いもしなかったが、もちろん骨が急に成長を始めたわけではないはずである。 とは言え1センチほど。 言うほど伸びてはいないのだが、一の位が変わるのは結構大きい。 私は元々姿勢が悪く超猫背だった。今でも気を抜くと背中が丸まるし、今だってどえらい

          40オーバーだが身長が伸びた件

          チバにまだ薔薇を用意できない

          チバが逝ってしまった。 いままで幾度と有名人の訃報を聞いたけれど、ここまで哀しいのははじめてだ。 アベが亡くなったときも悲しみと衝撃は大きかったけれど、今回はその時の悲しみも乗算されてる気がする。 だけどその悲しみの淀みに沈まないように気持ちを切り替えるとき、残してくれた音楽がたくさんあること、チバがプロでやっていてくれて感謝ができることは大きい。 あの声が、あのデタラメのようで誰も思い付かない、他の誰にも書けない歌詞が大好きだ。 たくさん、関わりのあったライターさんた

          チバにまだ薔薇を用意できない

          猫が可愛いのは知っているのになぜ予想以上にかわいいのか

          人は忘れる生き物だと言う。 確かに、私は雑多に色んなものを読みまくる人間なので、日常で関わった人は古い記憶から消されていく。 中学時代のことくらいまでは覚えていると思っていたが、忘れていることすら忘れていることも多い。 連載を覚えておくのに必死なのだが、それすらも案外すぐ忘れるので難儀でもあり、そしてお得でもある。 先日、美味しい卵かけご飯の美味しさはオーバーフローしてしまうと書いたが、忘れようもないことも一定以上には記憶できないのじゃないかと思うようになった。 カレー沢

          猫が可愛いのは知っているのになぜ予想以上にかわいいのか

          食べる度に笑っちゃう、美味しい卵かけご飯

          #うちの卵かけごはん 卵かけご飯なんて。と食べずに20年は過ぎた。 TKGと騒いでいた時だって、炒り卵派の姿勢は崩さなかった。 子供の頃は時々食べてはいたのだが、その頃になにも思わなかったから、20年もレスしてしまったのだ。 仕事を再開し、自宅でササッと食べる昼ご飯にちょうどいい卵かけご飯と、20年ぶりの邂逅を果たした。おいしい。久々に食べると美味しい、そう思った。 ある時、気分が乗って、ごはんの炭水化物とー、卵のタンパク質とー、野菜みが欲しいなー、なんて気まぐれで卵

          食べる度に笑っちゃう、美味しい卵かけご飯

          ミステリーをハントして

          #好きな番組 放送終了が決定してしまった『世界ふしぎ発見』、残念な気持ちでいる方は多いのではないだろうか。 スーパー仁くん、ボッシュート、この木なんの木、真くん、ふたりの喧嘩…この番組では数えきれないほどの思い出がある。 いつかはミステリーハンターになりたい、そう夢を抱いた人も、私を含めきっとたくさんいるだろう。 土曜夜9時からのふしぎ発見、時間も曜日も変わってないのもまたすごい。 私の母もこの番組が好きだ。私がこの番組を好きなのは母の影響と言ってもいい。 夜9時、家

          ミステリーをハントして

          子供が泣いたら他人の頭の上をみて

          びぇええーーーーーん!!! 幼子の泣く声がする。 もう大きくなった我が家の子供たちはあんな風には泣かない。 子供が保育園前後のころ、人の目がとにかく怖かった。 外出先で子供が泣いたらすぐにあやさなければ!グズったらあやさなければ! 他人に迷惑をかけたらいけない!みんな子供の泣き声を鬱陶しがってる。 泣かないで!なんで困らせるの?もう嫌だ!気持ちがぐちゃぐちゃして、一刻も早く帰宅してほっとしたくて。 …こんな風に。 今思えば泣かないように接していた。 もっと心に寄り添って

          子供が泣いたら他人の頭の上をみて

          ポイ捨ては祖母の腰を曲げる

          地球の味方気取りだった。 中学時代、国語の課題で『地球を守ろう』といった内容の詩を書いたことがあったほどだ。 『未来のために何ができるか』 そんな風に考える時間を失ってしまったなと今、40歳を超え気付く。 ゴミの分別に協力したり、洗い物の油をなるべく紙に吸収させて燃えるごみで出したり、こまめに電気を消したりするが、「これは誰にも負けないんだ!」などという特別なことは何一つしていない。 昔に比べ、だいぶ街も綺麗になった。 ただ、幹線道路の生け垣だけは未だに80年代が忘れら

          ポイ捨ては祖母の腰を曲げる