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ひな祭りの意外な効用

ひな祭りと聞いて何を思い浮かべるだろう?
ひな人形、ひなあられ、菱餅、甘酒、桃の花といったところだろうか。
例にもれず私も、幼少期はひな祭りならではのごちそうやお菓子を家族に用意してもらったものだ。

しかし、ひな祭りの一番の楽しみといえば、ひな壇を飾ることだった。
飾って人形をめでて楽しむというよりは、飾って片づけるまでの一連の作業そのものがたまらなく好きだったのである。
 

我が家のひな人形は祖母より贈られたもので、七段飾りの立派なものだった。都会の家だとこれほど大きなひな壇を飾るのは難しいと思うが、田舎だったので、大体どこの家も七段飾りだった。

ちなみに私は京都出身であるため、我が家はいわゆる関東風の飾り方ではなく、京風の飾り方を採用していた。
京風の飾り方では、向かって右がお内裏様、左がお雛様になる。
しかし、同じ地元でも関東風に飾っている家もあったので、そこまで縛りはないのだろう。

我が家のひな人形は上品でかわいらしい顔立ちをしており、私はとても気に入っていた。友達や親戚の家のひな人形をいくつか見たことがあるが、うちの人形が一番かわいいと内心思っていた。

中でも五人囃子が好きで、太鼓担当の人形が自分に似ており、親近感を抱いていた。歯を食いしばって太鼓を叩く姿が、負けん気が強そうで、自分にそっくりだった。

ほかにも、三人官女の中でもっとも権力を持っているのは、やはり真ん中の女性だろうかとか、右大臣は若くして出世したエリートだろうとか、仕丁の泣いている奴が実は一番したたかそうとか、いろいろと想像し、ひな飾りを社会の縮図のように捉えていた。まったくかわいげのない子どもだが、私なりに楽しんでいた。

 
幼い頃は父が飾り付けてくれたが、小学校中学年あたりから父と一緒に作業するようになり、高学年になる頃には、一人で飾り付けるようになった。

我が家のひな壇はスチール製で、骨組みを組み立てた後、板を載せていく。

この組み立てる作業がとにかく楽しい。

私は手先が不器用で、裁縫などの細かい作業がほとほと苦手なのだが、この作業のおかげで、組み立てることはわりと得意なのかもしれないと気づいた。
今でも、家具の組み立てやプラモデル作りが好きである。

そんな一人でせっせと組み立てていく私を見て、両親は「一人でよくやるなあ」と感心していた。
自分の意外な才能を発見したことで自信がつき、大人へ一歩近づいたような気がした。

 
骨組みに板を載せただけでは人工的で味気ないが、毛氈(もうせん)と呼ばれる赤い布をかけると、途端にひな壇感が出る。いよいよ人形たちの出番だ。箱から人形を出すとき、懐かしい友達に会うような気分になった。一年さびしい思いをさせてごめんね、また今年もよろしくね。人形に小道具を持たせて、一つ一つ丁寧に飾っていく。

ひな飾りには人形のほかにも、屏風や雪洞をはじめ、様々な道具が用意されているが、これがどれもおもしろい。
特に、嫁入り道具(死語)とされる茶道具一式がミニチュアのようでかわいくて好きだった。そのほか、餅や食器、箪笥、鏡台、針箱など、そのまま人形遊びやままごとができそうな道具が多く、見ているだけでわくわくした。
 

しかし、ひな祭りは、現代の価値観には合わない部分も多い。

例えば、男女の婚姻を前提としていること、男性が位の高い位置に座ること、人形を早くしまわないと婚期が遅れるといった呪い、嫁入り道具に象徴される性別役割分業の価値観など。

桃の節句と端午の節句は男女の区別が前提であるため、どうしてもジェンダーの押し付けになってしまう。このような区別をやめて子どもの成長を願うことはできないだろうか。

実は、もともとは節句に男女の区別はなかったという。
風習は時代によって変化していくものだ。
それならば、今の時代に合うようアップデートしてもいいのではないか。
気になる部分は変更し、自由にカスタマイズしてお祝いすればどうだろう。価値観を押し付けず、どんな子どもも傷つけない方法で祝うほうがずっと健全だ。
 
前述のように大いに問題点はあるが、子どもの頃の私にとって、ひな祭りは間違いなく心が浮き立つ行事だった。
私はこの行事のおかげで、思いがけないかたちではあったものの、確かに自立心が芽生えたのである。
今にふさわしいかたちで受け継がれていってほしいと願っている。

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