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シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』読了

先週末、ゆっくりと時間を取れたこともあり、かなり前から積読になっていたシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(岩波文庫、河島弘美訳)を読み終えることが出来ました。

じっくり感想を書きたいと思っていたら公開に時間がかかってしまいましたし、結構な長文になってしまいました。

この作品は大まかなプロットに押し込んでしまうと、「身寄りの無かった女性が周囲の環境や人に恵まれ、幸せな結婚に帰着するハッピーエンドな物語」、というありきたりな物語のように感じられますが、実際はページをめくる度に想像の出来なかったドラマチックな展開が繰り広げられ、非常に読み応えのある作品でした。

また、有名な作品、特に聖書からの引用の多さには驚くと共に知識欲が心地よく刺激されました。
西洋の作品を読むには、聖書の知識は必要不可欠、とはよく言う話ですが、それを感じざるを得ないほどの引用の嵐。特に後半セント・ジョンの登場以降にそれを強く感じました。

聖書に関しては、私は既に何度も読んでいるので、不可解な部分もなく、こんなに細かい箇所の引用(例えばテモテⅡ4章10節の、パウロを捨ててしまったデマスの名前が挙げられたり等。マニアックすぎる…!)までするなんて、シャーロット・ブロンテはさぞ信心深い人だったのだろうか、と思いを巡らすに留まりましたが、ウォルター・スコットの『マーミオン』はやはり読まなければと思わされましたし、オランダの画家コイプについて知ることが出来たりと、新たな発見もあり嬉しかったです。

『ジェイン・エア』感想

ゲイツヘッド~ローウッド校時代

冒頭、伯母のリード夫人とその子供たちからの不当な扱いを受けていた場面では、なんとも歯がゆい、悔しい思いをして読み進めていたのですが、そんなリード伯母にジェインが真っ向から立ち向かっていった場面は、ジェインのあまりの強さに心の中で拍手喝采でした。
この頃からジェインの、社会的にどんなに自分より上の立場の人にも、しっかりと自分の考えを述べることの出来る精神力の萌芽があったのですね。

幼少期の場面で一番印象的だったのは、なんといってもローウッド校でのヘレン・バーンズとの交流でしょうか。
ヘレンは物静かな子だったそうですが、知性と優しい心を持ち合わせていて、私的、作中で友達になりたい女の子トップ2には間違いなく入ります。(トップはダイアナ・リヴァーズと迷う。笑)
そんな大人し気なヘレンですが、彼女もやはり強い精神の持ち主で、ジェインは生まれ持った性格にヘレンの良い影響を受け、さらに内面的成長を遂げたのではないか、と感じました。
以下にヘレンの台詞で印象に残った場面を引用しておきます。

人生は短いんだから、不当な仕打ちを恨み続けたり、憎しみを育てたりしている時間はないとわたしは思うの。わたしたちはみんな一人残らず、この世では欠点という荷を負っているんだけど、朽ち果てる身体を脱ぎ捨てるのと一緒にその欠点も脱ぎ捨てる日が、遠からず訪れると信じているわ。

『ジェイン・エア(上)』、シャーロット・ブロンテ作、河島弘美訳、岩波書店、p112

後半部分は非常に聖書的ですね。「遠からず」という言葉が、その後のヘレンの運命を考えると泣きそうにならずにはいられませんが、彼女は幼くして迫りくる死という恐ろしい現実にも、冷静に向き合っていたのですから、本当に強い人だったのだと思います。

ソーンフィールド邸での物語

ジェインのツンデレというか、ほぼツン要素が強い態度が可愛くて、それと同時に身分の差があり、雇われの身と雇い人という主従関係があるにも関わらず、ロチェスターに対し終始堂々と接している姿には感服してしまいました。

ロチェスターもジェインも教養があり、ギリシャ神話や聖書、文学作品の引用をしながら会話している所に憧れます。私もそういう会話が出来る人が恋人だったらなぁとか考えてしまいました。笑

バーサ・メイスンの件ですが、『ジェイン・エア』はヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』と似ている点があるという論述をどこかで読んだ気がしていたため、不審火や叫び声の事件にホラー的な恐怖を覚えましたが、予想外の展開で驚きました。

バーサという人物の登場は予想出来ず、グレイス・プールがより重大な鍵になっていると予測していたので拍子抜けしました。
グレイス・プールが財産目当てか、過去ロチェスターに恋していて、失恋の恨みの霊が、夜中に知られざる所でグレイス・プールを突き動かしていたんだろうか、等と考えてしまっていました。グレイス・プール、ごめんね。笑

父親や兄の虚栄心からくる計略が故に犠牲になったロチェスターが可哀想なのは大前提として、バーサ・メイスンのあの描き方はクレオール差別になっていないのか、少し気になってしまいました。

またクレオールだけでなく、作中所々にフランス人やドイツ人を揶揄するような記述があり、部外者の私はクスッと笑ってしまったのですが、イギリス外のヨーロッパ諸国で読まれた時これは問題視されなかったのか、心配になってしまいました。
恐らくこの問題はシャーロット・ブロンテだけの問題ではないので、どこかに論文等ありそうですね。探して読んでみたいと思います。

マーシュ・エンド~ファーンディーンのマナーハウス

『ジェイン・エア』の中でマーシュ・エンドのシーンが一番お気に入りです。
メアリとダイアナとの愛溢れる交流を読んでいると、私も彼女たちのような精神を大切にしたいと思いました。

得体の知れない、悪質な物乞いかもしれない風貌をしていたジェインを温かく迎え入れ、見返りを一切求めず丁寧にお世話をしたダイアナ達の思いやり、優しさにも、この世の虚栄心やステイタスではなく、大好きな人達との幸福を選択しジョン叔父の遺産を平等に分けることにしたジェインの良い意味での無欲さにも拍手喝采です。

セント・ジョンがかなりの美形だった点について、牧師という人物像は私の今まで読んできた文学作品の中ではわざわざ容姿の美しさを描写されていた印象が無く、どちらかというと小太りであったり、美しいという書かれ方はされないことが多い印象だったので、妙に印象に残ってしまい、読了後何故だったのだろうと考えてしまいました。

ジェインが若くて美しいセント・ジョンではなく、年齢を重ねた、美しい訳ではないロチェスターを選んだ、という点を強調したかったのでしょうか。

モンゴメリ『赤毛のアン』の節々にシャーロット・ブロンテの影響を感じる点について

話はがらりと変わり、私の大好きな『赤毛のアン』と『ジェイン・エア』の比較に移ろうと思います。

『赤毛のアン』の著者のL・M・モンゴメリは、シャーロット・ブロンテの作品が大好きで、少なからず影響を受けていたという話はどこかで読んだことがあったのですが、今回ジェイン・エアを読んで、思った以上にジェインとアンに共通点があったので、気付いたポイントをピックアップしてみようと思います。

どれほど影響を受けていたかどうかはモンゴメリのみぞ知る、ですが。笑

生い立ちやその後の人生

まず生い立ちですが、ジェインもアンも孤児です。
ジェインは親戚のリード家に引き取られるも、冷遇されローウッド校に行くことになります。
アンも2度トマス家とハモンド家に引き取られますが、子守りを任され、あまり恵まれた幼少期では無かったようです。そして一家の主が亡くなると、貧しさ故アンの面倒まで見切れないということで孤児院に4カ月の間だけですが行くことになります。

その後の人生の送り方にも、共通している点が多く感じられました。
まず一点目は、愛に飢えていた少女が周囲の人からの愛情を注がれ、成長していく点。
ジェインはローウッド校でヘレンという親友に恵まれ、テンプル先生という恩師と出会います。ソーンフィールド邸でもロチェスターは勿論、アデルやフェアファクス夫人との交流を通して信頼と愛を勝ち取って行く姿を見ることが出来ます。そしてマーシュ・エンドでのリヴァーズ兄弟との運命的な出会いでは、血のつながった人たちとの幸せな時間を過ごしていました。
一方アンも、ダイアナという親友に恵まれ、ステイシー先生やアラン夫人という恩師と出会っています。血は繋がっていませんが、マリラとマシューから血縁などという枠組みを上回る愛情を注がれ、ギルバートとはすれ違いを重ねながらも惹かれあっていきます。

二点目は、壮大な展望があった一方で、一見挑戦するのを断念してしまったかのように見えるものの、実際は愛に溢れた幸せな選択を自分自身でしている点。
ジェインは、セント・ジョンとインドに行って命がけで宣教をするという道を捨て、盲目になったロチェスターと結婚することを選択します。
前者の方がキリスト教的にも意義があり、後者はその一方で自分よりかなり年上の男性の介護をしながら生活しなければならないということで、傍から見れば前者の方が賢明な選択に見えますが、ジェインは自分の心に従い、より愛と幸福のある選択をしています。
アンは、成績優秀でレドモンド大学の奨学金を勝ち取ります。しかし、マシューを亡くし失意のうちにいるマリラ、更に視力も落ちて元気の無いマリラを置いていく気にはなれず、大学進学を中止し、地元の教職に就く選択をします。

クィーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからとどる道が、たとえ狭くなろうとも、その道に沿って、穏やかな幸福という花々が咲き開いていくことを、アンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情は、アンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や、夢見る理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道には、いつも曲がり角があるのだ!

『赤毛のアン』、モンゴメリ、松本侑子新訳、文藝春秋、p487

ジェインもアンも教師という職に就いているのも共通していますね。これは、当時女性が自立してキャリアを築ける選択肢が非常に限られていたから、ということもあるかもしれませんが。

ルックス

二人は容姿も似通っています。

二人とも痩せていて、緑の目をしていて、誰もが認める美人、という訳では無かったようです。

しかし、表情には知性があり、ある特定の人からはとても美しくうつっていたそうです。

特定の人というのは、勿論ロチェスターとギルバートですね。

ロチェスターとギルバートだけでなく、ジェインとアンを取り巻く周囲の人の目には、2人ともとても美しく見えていたはずです。

外見の美しさとは、顔の造形だけでなく、内面の美しさにもよるという言葉がありますが、2人はそれを身をもって体現しているのではないでしょうか。

「ダイアナ」という親友の存在

ジェインにも、アンにもダイアナという名前の素敵なお友達がいるんです。

『赤毛のアン』のダイアナの名前の由来はシェイクスピアだという説(『終わりよければすべて良し』のダイアナ・キャピュレット。松本侑子さんの『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』p70参照)がありますが、『ジェイン・エア』を読んでいて、こちらの影響も強いのでは、と私は感じました。

色白でほっそりしており、上品で知的な顔立ちをしていた。
(中略)
ダイアナの濃い色の長い髪は豊かな巻き毛になって首すじにかかっていた。

『ジェイン・エア(下)』、シャーロット・ブロンテ作、河島弘美訳、岩波書店、p248

『赤毛のアン』の方のダイアナも黒髪で、引用元が示せないのですが私の印象では豊かな巻き毛です。

また、『ジェイン・エア』のダイアナは本の虫で、『赤毛のアン』のダイアナもダイアナ・リヴァーズには負けますが本を読む子です。アンと初めて対面する時も読書していました。

いつの時代も、自立した教養ある女性は素敵

ジェインもアンも、置かれた場所で懸命に努力し、教養と経験を積み上げながら自分の意志で人生を突き進み、
世間的に目上と言われる人にも物怖じせず、しかし礼儀正しく接する立派な女性です。

また、生きていく中で葛藤しながら「幸福とは何か」を考え抜き、最終的には社会的な虚栄心を優先するのではなく、すぐそばにある小さな幸せや愛情に目を向け、大切にしていく人生を選択しており、尊敬してやみません。

私もそんな人生を歩みたいと思わされるのでした。





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