1回観ただけでは満足できない。映画『aftersun』レビュー
2週間ほど前に初めて『aftersun』を観た。1回目から「良い映画だな」と直感的に思ったけれど、映像が綺麗だな~父娘の関係が素敵だな~くらいの感想で、色々な要素を汲み取り切れなかった。
そして本日、2度目の観賞を終えた。
完全に打ちのめされてしまった。涙が出るとか、そんな外側の現象がどうでも良くなるほど内側がブルブルと震える感覚があった。
この映画の何がそんなにすごいのかを言語化したい。ネタバレという概念はほぼ存在しない映画だと思うので内容にも触れるが、情報一切なしで観たい方はブラウザバックが必要かもしれません。
あらすじ
何でこんなにすごいのか
計算し尽くされた「画」
どこで止めても、一枚一枚をポストカードにしたいくらい画が綺麗なのだ。
ここでいう「綺麗」というのは、良いロケーションを選んだから、造形が美しい俳優が出演しているから、色彩が美しいから即座に成立しているものではない。どの場所で、どの画角で、どの時間帯に、どのような小道具を忍び込ませて、どこに余白をつくるのか、どんな表情を写すのか、何秒写すのか、1シーン1シーン計算し尽くされているのだ。シーンが変わる度にその綿密さに感動して心が震える。
役割がないシーンがない
美しさのみならず、話が進む上で一つ一つのシーンがしっかりと役割を果たしており無駄がない。それらは時に彼らのバックグラウンドの補足をしたり、ロケ地の魅力を最大限引き出したり、カリムが抱えている悩みや戸惑い、カリムとソフィの距離感、ソフィの大人になることへの憧れや希望を表したりしている。おしゃれだから入れておこうという軽率な意図が排除されているにも関わらず美しくて良い気分にさせてくれる、類稀なる映画なのではないだろうか。
父としてのカラムと人間としてのカラム
カラムはソフィに対して、自立性を重視しつつも惜しみなく愛情を注いでいる。ずっと一緒にいられないと分かっているから、彼女が自身の身を守れるよう護身術を教えるし、言葉で伝えるべきことはしっかりと伝えている。私自身子供はいないが、理想的な子供への関わり方だと思いカラムを好きになった。
一方でカラム自身は、経済的、精神的基盤が不安定な様子である。その部分を純粋無垢な娘に触れられた時に見せる困惑や動揺は、自分の身に覚えがあって居た堪れなくなった。私はアラサーなので、カリムをまっすぐ見つめるソフィにも、その眼差しに怯えるカラムにも感情移入した。
さらにカラムが故郷のスコットランドをアイデンティティの一つと感じられない部分や、だからといって自分の居場所を見つけている様子もない孤立の描写に、過去の自分を重ね合わせ感情過多になる。
またカラムの経済的、精神的未熟さが明確に表れつつも、そのことに対して二人とも大袈裟な反応を示していない所が大変素敵であった。
これは親子の実態をよく表現しているのではないか。
子供時代は、親はなんでも知っていて将来の道筋を誘導してくれるイメージがあったが、親にも知らないことや弱点はたくさんある。それでも親は子供の生命を守ったり、教えたいことを教えたり、喧嘩しても仲直りしたりしてささやかに生活が過ぎてゆく。そのような関係が過剰に脚色されることなく、あるがままに描かれていることに唸ってしまった。
ポール・メスカルとフランキー・コリオの魅力
カラム演じるポール・メスカルの演技の巧妙さ、ソフィ演じるフランキー・コリオの、ただそこに存在しているだけに見える自然さが素晴らしかった。
2人はクランクインの2週間前から毎日共に過ごす時間を設けていたようで、この映画における最も重要なファクターである2人の空気感や絆の跡形がうかがえた。
手触り感を大切にした演出
カラムとソフィが共に過ごす時間において、お互いの肌に日焼け止めや化粧水、泥を塗るシーンが多く登場する。結構秒数が長くて、彼らの手の動きを丁寧に写している。お互いの身体を労わること、疲れを癒すこと、安全を守ること、愛情、親密さ、その全てが一つの行為に集約されている。「肌に何かを塗り合う」という何気ない日常の行為が、いろんな思いを包括した愛情を表現しているのがうますぎて興奮がさめやらない。
ロケーション、スタイリングが完璧
観たらすぐ分かることだけどロケーションがピカイチ最高である。ロケ地であるトルコのオルデニズが最高なのはもうこれ以上何も言うことはない。一旦画像検索して欲しい。
それは置いておいて、私はスタイリングを特筆したい。スコットランドやトルコにおけるファッションは分かっていないが、日本人から見ても「かわいいけど気取ってなくて、バケーションに浮かれている気分が感じられる服装」という印象を受けた。冒頭から少し重たい雰囲気を感じつつも肩肘張らずホームビデオ感覚で観られるのは、彼らの身に着けている物も一助となっていると思う。
効果的な音楽
私は音楽に関して無知な人間だが、R.E.Mの『Lost my religion』と、Queenの『Under pressure』は特に素晴らしかった。『Lost my religion』を歌うソフィの良さたるや。
『Under pressure』の歌詞が、ソフィとカリムの「最後のダンス」と、愛への希望を捨てたくないという個人的な思い、カリムの中にある暗闇が重なって個人的クライマックスを迎えた。
歌詞原文と和訳を一部引用させて頂きます。(一部どころかめちゃ長くなってしまった)
最低限の登場人物数とシンプルな設定
多分、ログラインだけ見たらそんなに面白い映画だとは思わないと思う。
「31歳になった女性が、幼少期に今の自分と同じ年齢の父親と過ごした余暇のビデオを観て記憶を手繰り寄せる。」
このくらい簡素になるだろう。(もちろんもっと魅力的に表せる人はいると思うが)
それでもここまで上質な映画になるのは、最低限の登場人物数とシンプルな設定が起因しているのではないだろうか。
電話や伝聞によってソフィの母親やカラムの彼女はでてくるが、基本的に宿泊客とソフィ、カラムしか出てこない。主要登場人物を限りなく少なくすることで父娘の関係性の描写に焦点が当たり、より鮮明に浮かび上がっているのではなかろうか。
おわりに:人間との関係性が変わってゆくことを受け止め、一瞬の輝きを享受する
家族とは本当に難しい。あまりにも近くで色々な局面を共に過ごすから、目を背けたくなるような部分を見てしまい距離を取りたくなる時もある。家族に対する感情や関わり方はナマモノで絶えず変わっていく。
それでも双方の希望があれば接点を持ち続けやすいことが家族の特異性なのではないだろうか。私は家族に接する時、こんなに長い間、同じ人間を経過観測できることの尊さを感じる。
父と私は物の考え方に関してはかなり異なり、父親との間に「通じ合ってるな」という共通認識が生まれたことはほぼない。
ただ私と父は特性や人生に対するスタンスは似通っているため、別々の星に住んでいる同質の生き物、という感覚がある。
たとえ法律上や戸籍上の縛りがある家族であっても接点を無くすことが多々あるのだから、友達、恋人等との関係は永遠に続くどころか、さらに損なわれやすい。
関係が絶たれることはすごく悲しいことだし、好きな人とはいつもいつも永遠に続けばいいのにと切に願っている。達観したふりして「この世は諸行無常だからね」みたいにスカしてることも多いが、渦中にいる時はとても悲しい。
ただこの映画を通して、会う頻度が変わっても、関わり方が変わっても、それは悲しい事ではないんだと再確認した。その時々でちょうど良い距離感や関係性があるし、楽しい思い出は自分の中に残っていてその事実はずっと変わらない。
時間経過や環境の変化に伴って関係性が変わることを悲観しないこと。周りの大切な人との瞬間を、キラリと光る思い出を抱きしめて刹那的に生きること。この二つの尊さを『aftersun』は教えてくれているのではないだろうか。
終わり
写真引用元
・映画『aftersun/アフターサン』鮮烈なスクリーンデビューを飾ったフランキー・コリオの本編映像が解禁!https://www.anemo.co.jp/movienews/newmovie/aftersun_09-20230510/
・映画『aftersun/アフターサン』あらすじ&キャスト情報・見どころは?【第95回アカデミー賞(R)主演男優賞ノミネート作品】https://filmaga.filmarks.com/articles/240770/
・The Distance in Your Eyes: Charlotte Wells Discusses "Aftersun"https://mubi.com/notebook/posts/the-distance-in-your-eyes-charlotte-wells-discusses-aftersun
・Aftersun made me think of my dad's hidden struggles https://www.gq-magazine.co.uk/culture/article/aftersun-personal-essay
IMDb:aftersun https://www.imdb.com/title/tt19770238/?ref_=ttmi_tt
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