1人分の幸せのために

自己省察を巡る記事で、図らずも自己省察の必要のなさに気付かされたわたくしだが、"やりたいことをやる"という点において自分との打ち合わせの必要が反故にされたわけではない。

残りの人生、何をやっても失敗ではなく、幸せか、とびきり幸せかしかあり得ないのならば、自分の気分の良くなることを、気分の良い自分として様々経験させてやるのが冥土の土産になるといえよう。

その第一歩として、いま最も着手したい作業のひとつは"部屋を片付ける"ことである。これは生活セグメントとしては住居にあたる。

欲を言えば、もっと広い部屋に住みたい気がする。もっと広々とした台所やったら今より自炊も気分が上がるやろう。

だが、最強魔法行使のコツは、今を良くするところから始まる。

何を隠そう片付けや断捨離的なアレは、わたくしの数ある苦手項目の中でも最も苦手とするところであり、出来れば避けて通りたい。

あるいは自分は片付いた部屋で、どう過ごしたいのやろうか。

この部屋に越してきたときは、劇的に狭いながらに、友人を呼びたかった。今は、そういう感じでもない。

正直なところ、現在の私のライフスタイルは、平日は実家、週末は日中の殆どを通っている運動関係の道場で過ごしており、自宅には寝に帰るだけである。

それでも、なんとなく、ではあるが、部屋が片付くことにより、食事と睡眠に影響が及ぶ気がするんである。

ここ数年の自炊のモチベーションは、別れた恋人の存在にすり替わっていたが、元来自分は非常に自炊的な人間?である。自分のためにつくねんとした弁当を作るイメエジがどれほど自分を幸せにしていたことか。

恋人と別れたことで、本来自分のために存在していた分の幸せの枠までなかったことにしてしまっては、過去の恋愛も浮かばれない。

思い出して欲しい。

過去私は自分のためにひとり暮らしを決意し、今現在、何があっても別れずに一緒にいるのは他の誰でもない、自分である。

片付けは、引越しより手軽且つお金をかけずにできる、手近な領域展開のメタファーである。

どうせ、成功か、大成功しかないのだ。

下手でもいい。やるしかない。

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