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扉をあけたら。

皆様、唐突ですが「扉」を思い浮かべてみてください。

さて、どんな扉でしたか。
鉄でできているのか、木でできているのか。
頑丈だろうか、ボロボロだろうか。
いつもの玄関か、温もり溢れる実家の扉か、それとも大好きなあの人の家の扉か。
そもそもそれは入口なのか、出口なのか。

僕らが毎日触っている玄関の扉も休日遊びに出掛けるときと仕事に向かうときとでは景色は全く違って見えるだろう。何度触れたくないと思った職場の扉だって、帰宅する直前はウキウキで触れるだろう。

こんなに身近にあって、こんなにもアンビバレンスなものって他にないと僕は思います。何より面白いことは入口と出口の数は必ず等しいことなんじゃないかな。開けっ放しの「扉」がない限りネ。

僕達の心の中にも「扉」は沢山ある。
「正解」の「扉」これが沢山ある。

僕達はすぐに「正解」の出口を探したがる。
ニュースでこんな問題があったら、どんな意見を持つことが正解だろうか。友人のお悩み相談に、どうやって答えるのが正解なんだろうか。気になる女性に出会った、どうアプローチするのが正解だろうか。正解を探すことが間違いだとは思わない。ただ正解を見つけることが正しいと思ったり、正解でないものを探すと損をするように思えてしまうことは、随分とイデオロギー的な気がする。

僕達にはもう少し開けっ放しの「扉」が必要なんじゃないだろうか。

正解がわからないと先に進めない訳ではないのだ。
わからないものを敢えてわからないままにしながら、考えあぐねることも素敵なことなのだ。
そんな開けっ放しの扉を持った人と人が出会って、新しい扉が開いたりなんかしたらその喜びはひとしおなんじゃないかなア。

今週も読んでくれてありがとうございます。
僕は単純に部屋の扉を開けっ放しにしがちです。
それを幼少期「おこも!」って叱られたんですけど、これって方言なんですかね。どれだけ調べても出てこないので、誰かご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。

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