させていただき、ありがとう

大人ですから、そりゃあ正しい日本語や敬語が使えた方がいい。博愛主義でなくとも、平等な人格を互いに認め合う現代社会ですから、全ての人に敬意を持って相手を大切にし、丁寧に接する為、社会的な秩序を保つ為、文化的な背景、多種多様な理由でそれは必要なのだ。

ただ間違っちゃいけないのは、言葉はコミュニケーションの手段や道具ではないこと。どうしても形式張って使うことによって言葉の本質を見逃してしまいがちである。

そんな風に改めて考えさせられる事案がつい先日。

冗長になってしまいましたが、

本題に入らせていただきます。

さて、この書き出しに何人の人が違和感を感じるのだろうか。僕は言葉を生業にしているので、人前で敬語についての会を設けることがよくあり、経験上この「させていただきます」が誤用敬語第1位だと思っている。

文化庁でも「させていただく」は誤用が多い表現として「敬語の指針」にて取り上げている程。

ちなみにこの書き出しの「させていただきます」は「させてもらいます」の謙譲表現ですから、敬語としては正しい訳です。問題なのは相手の許可を得ているような場面であるか、そのことで自分自身が恩恵を受けるのか否か。

この2つの条件に合っていないのであればこの敬語表現はあまり好ましくない。

これだけ聞いても、いまいちピンとこない方もいらっしゃるのではないだろうか。

そう。非常にややこしいのだ。

じゃあ、具体的にどのように言い換えれば良いのかというと、「いたします」に言い換えるのが無難である。
僕は物草な性格なので、もう全部この言葉で通してきた。実際誤用を避ける為に「させていただきます」を使わない方がいいと言っている方をしばしばお見かけする。

ただこの敬語について仕事で取り上げるにあたって、改めて色々考えていて、少し違和感を感じた。
というより誤用を避けて、何処かズルをしているような自分に、今までもずっと煮え切らない何かを感じていたのだ。

そしてひとつ分かったこと、
敬う相手に、この場合であればさせてもらって感謝するべき相手を前にして、頭の中で考えているのは自分の言葉が正しいかどうか。
んん、おかしいぞ。何か大事なことをおざなりにしている気がする。

そうだ。
四の五の言わずに、させてもらっているのだから、まずありがとうだろ、俺。

「させていただきまして、ありがとう」

これだ、やっと腑に落ちた。

素直に使えばいいじゃない。気持ちを伝えればいいじゃない。たとえ、間違っていても感謝されて嫌な気分になる人の方が少なかろう。
正しい敬語が使える自分が大事なのではない、敬意を持ったり、感謝をするこの気持ちが何より大事なんじゃないか。

会話をしていれば、「んん」となってしまう場面に必ず出くわすはずである。どうしても言葉を形式張って覚え使いがちである。これもほんの一例だが、このような言葉の違和感の中に会話の本質が隠れているのだろう。

それを見逃さないことが大事なのだ。
言葉はコミュニケーションの手段や道具ではないのだ。

今週も読んでくれてありがとうございます。
言の葉という表現はまさに言い得て妙だと思うが、
コミュニケーションの本質は葉ではなく、幹なのだ。
人に思いを馳せるこの気持ちを幹にしたいもんだ。


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