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稲作創話「棚田物語」02   な ぜ「はずだったのか」という、かなりシビアで当たり前な現実

 一つには、時間がなかったこと。
 地元からは「〽遠く離れて、職場に一人」(「帰ってきたウルトラマン」 バカ!)、そう、単身赴任の身には、地元での起業は、かなりハードな時間の使い方をしないといけないことが、実際にやり始めて分かりました。いくら、毎週、「起きたら現場」の夜行バスを使って往復しても、無理。そして今どき、ブログの立ち上げやSNSとの連携、電子出版での集客戦略などなど、全くの素人が一からやるのは、無理でした。
 無論、相談しました。(そのことは、後に書きます。)
 降参です、今は。そう、今は。も少しして職場からも追い出されて、地元に帰らざるを得なくなった時には、まだ、知力・体力・気力が残っていることを祈って、挑戦してみたいとは思っています。
 更に、時間がないことには、四国山地の入り口のど田舎で、15枚の棚田を自然農法で実施していることが、拍車をかけました(って、20年間やってることで、最初から分かってた話だろう!ではありますが)。
 3月に籾種処理(脱穀、塩水選、温水処理、浸水)と春起こし(耕耘)して、4月には、水入れの井手普請、苗代田の準備。5月、田に水入れして荒代掻き数回、もみ撒き(苗箱200枚)、15枚の棚田の畔とその間の石垣の草刈り。で、やっと6月中旬に仕上げの代掻きして田植え。その後、4,5日に一回の除草のためのチェーン引きとコロガシ入れて、水管理して。
 たった4反(約4,000㎡)ほどの田んぼでも、手間はかかる。何せ15枚の段々田んぼ。更に、自然農法。
 除草剤も、農薬も、殺虫剤も、化学肥料も、鶏糞、牛糞などの有機肥料も何も入れない、全くの無投入農法。
 太陽の光と、山川から直で入ってくる水と、エンドファイト、微生物いっぱいの土の力と人の手と心で育てる農法。楽しすぎて時間忘れてやり過ぎて、他のことする時間が惜しいのですなぁ。(って、やっぱ、こっちメインでしょ!)

 二つ目は、そう、お金。資金がなかったこと。
 起業するのに資金いることぐらい当たり前でしょ、なのですが、そこはクラウドファンディングでなどと、全く甘すぎる、無計画。
 市役所行って、産業振興課と農政委員会回って、親父が農家なので自分も農家には何の条件もなくなれて、地元の産業振興財団の「よろず支援拠点」にも行って、コーディネーターのお姉さんにブログの立ち上げも、クラファンのやりかたも、本当に懇切丁寧に教えてはもらいましたが・・・。
でも、お金がない。時間もない。

 そもそもサラリーマンは、自分の労働力を売るしかない無産階級、プロレタリアート。定年になったら、その労働力の売り処が、無い。無くはないが、そう高くは売れない。同じ仕事内容でも定年になるまでの半額。それとても5年続くかどうか。みんな、よくやっているなあと、正直、思います。
 こんな自明なことに、やっと気づいて、気づいたときにはすでに小舟には穴が開いていて浸水状態。塞ぐ手段は自分自身の素手しかなくて。もう沈没するのは時間の問題となってしまって。
 なので、前倒しで、年金もらいました。
 県立と私立学校で37年働いて、月に10万。ガーン!!!!!
 今年、米寿を迎えた親父は、会社のお抱えバスの運転手で、朝晩の送迎だけしていたけれど、月に15万、もらっているぞ。プンプン!

 そんなこんなで、今は起業はお預けです。やりたいことはあるのです。構想だけは。でも、それに何の実行力もなければ、ただの妄想。
 
 では、次回からは、自然農法の実際や、そこで出会った生き物たち、害獣と言われれているイノシシやシカも含めて(「〽害獣退治に使命を帯びて 帰ってきたぞ 帰ってきたぞ、ウルトラマン ってもういい加減にしろ!)との交流、そして、そこで起こった心温まる不思議な出来事などを、お送りします。
 また、そろそろ、やまかがしがしゃべりたがっていますが、その前に、相性の悪いトラクターとの2つ目のお話をお届けしようと思っていますが、そろそろ「100万回のありがとう」100日目の報告も待っていますし、さらにそろそろこの棚田で作ったお酒が売り出しを始めましたので、そちらの方も気になりますし。
 まあ、あれこれ書きますので、また、読んでくださいな。
 よろしくお願いいたします。

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