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ラベリングが好きな西欧人

こんにちは。
今日は、頭の中に浮かんできた日本社会とスイス社会(ドイツ語圏)の違いを言語化していきたいと思います。


ラベリングとは?

ラベリングとは、社会学や社会言語学でよく用いられる専門用語で、要は人をカテゴリ分けする。という考えが発祥の言葉です。
1960年~70年代までは、特に社会的マイノリティや、スティグマ(差別)をうけている人達と、マジョリティとを区別するのに使われていた言葉です。

例えば日本社会では、オタクと呼ばれる人達も一種のラベリングを受けていると言えるのではないでしょうか。オタク、という単語を聞いた時に連想される人達、またそうでない人達との違いをラベル貼りのようにして分けるといった感じですね。

最近はこのセオリーが発展して、Tagging(タグ付け)などといった言葉も出現しています。


スイスで生活して感じたこと

先週の昼食時に大学の友人との会話で
"You know, as feminist, we should fight for… "
と言われました。

その時にふと、あれ?私いつからフェミニストになったっけ…?とポカンとしてしまったことがあったのです。

また、違う時にも確か卒業後は就職しようかね~アカデミアに残るかね~なんて話をしていた時に
"we as feminist, may be should not think like this, but I sometimes feel I prefer staying at home and waiting for my husband…"
と言われ、

あ、ここでもまた私もフェミニストの一員として認識されてる…

と、ふと思ったわけです。
あれ?フェミニストってそもそも何をもってその一員になるんだろう?
国籍の明示にパスポートが必要なように、プロフィールに性別や生年月日の記入が必要なように、こうして社会的思想も今後明示していくようになるのかと、ふと思ったのです。(実際にジェンダーの代名詞の記載が昨今増えてきてますからね)

そもそも、自認していない社会カテゴリに属すというのはなんとも恐縮で、いや私はフェミニストなんて名乗るほどなんの活動もしてないし(そもそもこの考えもフェミニストのステレオタイプに影響されてるのかも?)、生物学的上女性に生まれただけでそれ以外の特出した思想は無いんだよなぁ。。。と思いつつも、結局他者がそう認めるということは自身もそういった思想の持主と認識されているということなのでしょう。


まぁしかし、フェミニストになる。とはどういうプロセスを得るのか?と不思議に思った私は友人(トルコ育ちスイス在住)に聞いたわけですよね。

いつからフェミニストになったの?

と。
彼女は18歳の時に、自分が社会のどこにも属していないなと感じてフェミニストになろうと思ったと言っていました。隣に座っていたインド、ドイツ育ちスイス在住の友人は、そういえばヨーロッパに来てからそういうことを考えるようになったかも。面白いね。確かに自分はいつからフェミニストになったのかしら?と考えていました。

そこで私もスイス生活を振り返って、そういえば友人と会話をするときに、私はヘテロセクシャルなの、私はビーガンなの、私はベジタリアン、私はペスカタリアン、私は左派、(右派は自己申告で聞いたことないなぁとふと思ったわけですが)など、会話の中で自分の思想を明確にする人が多いなと感じたわけです。


日本社会と西欧の社会カテゴリ

もちろん日本にも上に記述したような会話を頻繁にしている人がいるとは思いますが、ふと、思想のラベリングが派生した商業やコミュニティが日本よりもより活発で社会での存在感が強いのではないか?と思ったのです。簡潔に言うと、人種のラベリングではなく、思想のラベリングが主流となっているのではないかということです。

逆に、日本ではどのように人間がラベリングされているのか?というと、もしかしたら年齢、人種(特に見た目による違い)が主なカテゴリ分けになっているのかな?と。(ガイジンとか言うくらいだし)


まぁもちろん大陸と、日本みたいな単一民族イデオロギー推しの国とでは人種に対する考え方も全くもって異なるわけですが、スイスの場合は既に見た目で仲間意識を持つ(他人に対して白人だからあなたもスイス人ね、みたいな)という次元にいないと思ったのです。
そうやって、社会の中で所属するカテゴリに人種というものが無くなると、所属する他の場所が必要となるので結局思想による社会グループが出現しやすい構造になっているのかな。と。それが、フェミニストのコミュニティが多いことや、ビオのお店、ビーガン“専門店”、などといった商業の分野などにも派生しているのかと。(圧倒的推測なんですけど)

逆に日本の場合は年齢のカテゴリ分け、人種ベースのコミュニティがある気がします。“若者向けカフェ” “ハーフ会” のようなものが例えです。
もちろん外食の頻度や目的がまた西欧と日本とでは異なるのでそういった影響もあるかとは思いますが、あくまで私の軽い推測で、そんな感じなのかな
ぁ~と…


結局スイス人はディスカッションが好きな人が多いので、ディスカッションするにはまぁもちろん自分の意見が必要でどのような意見を持つかは思想に影響を受けるので、という循環を得て、思想ベースのラベリングが西欧に多いのかなとふと思ったのです。もちろん日本も西欧の影響をもろに受ける社会なのでどんどんこういった特徴が今後勢いよく流れ込んでいくのかなとは思うのですが。


スイスに来た直後、大学卒業以降は仕事が社会的ポジションを表明するものだと思い込んでいた私は(その時はもちろん知る由もない)スイスに移住した直後も、すぐに仕事を探そうとしたわけですよね。なんとなく、仕事があれば属性を感じられると思ったのでしょう。当時の私の居場所は家しかなかったですから。

でも、もしかしてフェミニストとか、環境に対する思想などがもっと明確だったら仕事とは異なる社会的属性(social belonging)を求めて、上記のようなコミュニティなどに属し社会への安心感を得ることができたのかもしれないな。と6年前の自分を思い出して考えてみたりしたわけです。


でも当時26歳の私はきっと、そんなことを考える余裕(ドイツ語学習に必死だったし)も無かったので、たらればの幻想物語をまた言語化しきった今、今日の執筆を締めたいと思います。



読んで下さってありがとうございます。

チューッス!!!(カタカナにするとやっぱダサいな…)