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自己紹介【2024最新】

こんにちは。数あるnote記事の中から、こちらの自己紹介記事をご覧くださりありがとうございます。

【きの】という名前でSNSなどで活動しております。
(本名をもじったハンドルネームです。)

地方在住30代女性。小学生2人と幼稚園児、3児の母です。

子育てをしながら、情報発信や在宅ワークに日頃取り組んでいます。

内向型HSPの特徴を自覚していて、2021年頃から、HSPをはじめ様々な観点から自身の生きづらさを紐解いてきました。その体験談を中心に発信しています。

HSPを知る前は、自己否定と無価値感に苦しむ人見知りママでした。
HSP概念を入り口として自己理解を深めることで、自分を好きになり、自分らしい人生を歩むことができるようになりました。

そんな人生経験や学びをアウトプットすることで、少しでも安心や希望をお届けできるような、必要としてくださる方のお役に立てる情報発信を目指しています。

これまでnoteには日記のような投稿をたまにしていましたが、HSPや子育てなどに関する個人ブログの内容を今後noteでもお届けしたいと考えています。
お悩み相談のようなサービスも立ち上げる予定でおります。

つきましては、あらためて2024年最新版の自己紹介記事を作成いたしました。
よろしければご覧ください。

私のこれまでの人生や人物像、今の情報発信活動に至った経緯をご紹介いたします。

▼子どもの頃から生きづらさや違和感に苦しむ

子ども時代にさかのぼりお話していきます。
HSPさんにはよくお聞きするエピソードかもしれません。

私は幼稚園時代、物心ついた頃から、なんとなく人との違いを感じて肩身の狭さのようなものがいつもありました。

「他の人と違う」という感覚はその頃から現在まで続いています。

これは、神経処理の深さや感じ方の違いなどに由来する違和感なのだと、HSPを知った今は理解できます。HSPさんは子どもの頃から少数派であることを感覚として感じていることが多いようです。

人見知りであまり自分から発言したり友達の輪に入るタイプではなく、親や先生からは「内気な子」と心配されました。

自分は他の子となんか違うけど違うのがバレないようにちゃんとしていなければ。
いい子にしていなければ怒られて嫌だし親も悲しむ。
いい成績でいて親をもっと喜ばせたい。

こんな感じで、いわゆる“普通”でいなければ自分には価値がないと必要以上に頑張りすぎる子ども時代を過ごしました。

これが後に「無価値感」となり、大人になってからも私を苦しめる要素のひとつになります。

家庭環境にもずっと違和感がありました。
私の家族は、家族としてのかたちはあっても子どもにとって安心できる場所ではない「機能不全家族」のような状態でした。

衝動的に怒る父。一人っ子の私に期待を寄せ教育熱心な母。そこに私のHSP気質が掛け合わされ、必要以上に空気を読み、両親に本音を話す経験がほとんどなかったのです。

きょうだいがおらず家ではいつも勉強やひとり遊びばかりしていたため、同年代の子と遊ぶ経験も不十分。

これらの要素が大人になってからも影響して「人と話すのが怖い」という気持ちにつながっていたと最近になって理解できました。

いわゆる「アダルトチルドレン」の特徴に苦しめられていたのだと思います。

そして、教育熱心だった母の言う通りにしていることしか生きるすべを知らない状態で成長してきましたが、その母は私が高校生の時に病気で急逝。

突然生きる道がわからなくなり、自分の人生に対する迷いはつい最近、30代後半まで続きました。

▼心理職を志すが挫折

普通科高校を卒業。大学進学時は心理学を専攻しました。

母が生きていた頃に心理学系の大学に行くことは相談していたため、そのままの進路希望で進学。

中学時代に担任の先生が親身に相談にのってくださった体験から、人の話を聴くカウンセリングの仕事に関心があり、臨床心理士を目指して大学院まで修了しました。

学生時代の勉強や経験から、以下のようなことを得ました。

傾聴やカウンセリングの知識
心理学全般の知識
認定心理士の資格
心理セラピーなど実習の経験
論文執筆の経験 など

大学院を修了はしましたが、臨床心理士資格は取得できませんでした。資格試験にチャレンジする決心がつかなかったんです。

大学院まで行ったのに無駄なことをしたかもしれない…。自分を責める時期がかなり長くありました。

人の心を扱うという重圧や、実習後の強い疲労感など、臨床心理士になるにあたり心身の状態がうまくコントロールできないことが主な理由でした。

教授や学生仲間など、周囲からの評価が気になりすぎたことにも苦しみました。
今思えば、HSPという気質や育った環境による心の土台のもろさの影響が大きかったのかもしれません。

優等生であることで自分を保っていた側面もあったので、進む道に迷う気持ちや疲れやすいことは当時誰にも相談できませんでした。

そのあたりのことについては、こちらの記事でも詳しく書いています。

大学院修了後は福祉現場の相談員として就職しましたが、正解のない仕事に自信が持てず疲弊。
結果的に、結婚に伴う転居を理由に退職することになりました。

▼ワンオペ育児やママ友関係に悩む

夫と2012年に結婚。
14年に長女、17年に次女、20年に長男、3人の子どもに恵まれました。

地元から離れて頼り先がない中、3人の育児に奮闘していました。

いわゆるワンオペ育児の状況になりやすい環境だったため、体力的にはかなり辛い状況で、疲れやすい自分を責めることも多かったです。

また、子どもの成長と共に集団生活が始まり、他の保護者の方との関わりが必要になる中で、新たな悩みにも直面。

「私は他のママさんのように気軽に会話に入れない。何を話したらいいのかわからない。どうしよう…」

自分は他のママさんと何かが違う、ママ友ができないと自己否定感が募る日々。

女子特有の友人関係の悩み。自分ひとり集団に溶け込めないような違和感。

我が子を通じて、自分自身の子どもの頃の集団生活での悩みがフラッシュバックされるような感覚に襲われました。

子どもの園や学校での自分の立ち位置や保護者の方との関わりにいかに向き合うか。
考えをめぐらせながら今も模索しています。

子育てにおけるマインドついては、こちらの記事でも詳しく書いています。


▼正反対な性格の夫との関係に悩む

夫との夫婦関係にもかなり長い期間悩みました。

物事を気にしやすく内向的な私の性格と比べて、正反対なタイプといえる夫。

簡単にいえば、HSP妻と非HSP夫、内向的な妻と外向的な夫という組み合わせです。

私は子育て中専業主婦期間が長かったこともあり、夫への遠慮の気持ちや、夫の態度に必要以上にビクビクしてしまうことに苦しみました。

一時はモラハラと感じる関係に悩むことも。

夫婦関係を続けることに意味を見出せない日々が続きました。

▼HSPを知り他人軸から自分軸に生き方が転換する

以上のように、子どもの頃からずっと生きづらさや違和感を抱えて、様々なことに悩みながら生きてきました。

自分の人生に自信が持てずに、心の土台がもろいまま大人になったと表現できると思います。

そんな成長しきれていない自分に心のどこかで気づきながらも、なんとか“普通”に生きなければと、就職、結婚、出産と、一般的な社会のロールモデルから外れないように長い間必死でした。

そうしないと社会の一員として、大人として認めてもらえないという思い込みが強かったです。

しかしその結果、いつも人の目を気にして、本当の自分がどんな人で何を考えているのかもわからない。

自然体で人と話す経験がないため、人が怖いという思いが膨れ上がっていき、子育て中は引きこもり主婦のような生活を送りました。

子育てによるHSP特有の疲れやすさもあったのかもしれません。
1人、2人、3人と増えていく子を世話するだけで日々気力が精一杯。

夫や夫の親族からは「普通のお母さんは子育てをして外で働くものだ」と責められることもしばしば。ますます自己否定感に苛まれました。

表情は暗く、目に生気はなく、いつも体調が悪く、髪の毛は抜け毛や白髪でいっぱいに。

社会は怖い。子育ては辛い。夫婦関係も辛い。逃げ場がない。

生きている意味がわからない。

人間として生きることに向いていない。
私は社会不適合者だ。

「この先どう生きていけば…」と絶望しながらネット検索した先に出てきたのが「HSP」という言葉。

そこから少しずつ人生が変わり始めました。

人と違う自分が悪いのではない。ただ少数派なだけなんだ。
安心して話せる人が世の中には存在するんだ。
自分の言葉に共感してくれる人がいるんだ。
人に合わせなくてもいい。そのままの自分でいいんだ。
自分に合う環境を探せばいいんだ。

世間一般に合わせようと無理して自分を擦り減らす生き方から、自分を認めて理解し活かそうとする生き方に、生きる上での物事の見方が180度転換しました。

人と話すのが怖い気持ちを乗り越えて、HSPさんの交流会やコミュニティなどにも主にオンラインで参加させていただくようになりました。

情報収集やHSPさんとの交流の機会を持たせていただきながら、本当に少しずつ時間をかけて、今も思考を自分軸に転換させている最中です。

生き方だけでなく、子育てや夫婦関係における悩みも、HSPの観点で紐解くことができるようになりました。子育てのイライラや、夫婦関係はどん底の頃と比べてかなり改善。

HSPをきっかけに様々な関連する知識を通じて自分を理解することで、本当の意味での自分の人生が始まった感覚です。

不思議なもので、資格取得ができず無駄だったかもしれないと悩んだ心理学の勉強に、HSPを知ったことによってまた戻ってきました。今は純粋に自分のために心理学を学ぶことができています。

HSPも心理学用語であるため、HSPなどについて情報収集することは学生当時の勉強法を活かしてスムーズにできます。論文執筆の経験もnoteやブログなどのライティングに活かされています。

HSPはその言葉の表面だけが広まっているような現状から批判的な意見もありますが、個人的には知ることができて本当によかったです。

▼自分のままで安心して生きられる人を増やしたい

生き方の転換点を迎えた今、これから残りの人生は、自分という人間をよく理解して、自分の個性を活かして社会貢献したいと考えるようになりました。

幼少期からの生きづらさ、子育て、夫婦関係、家族関係、そのほか様々な人生経験。

自分だけにしかない人生経験すべてと自分の生まれ持つ資質を活かして、世の中のお役に立てるようなことがしたい。自分が持つものを社会に循環させたい。必要としてくださる方のサポートがしたい。

私がHSPを知って自分の人生を歩み始めたように、
生きづらさを抱えている方が、自分のままでも安心して生きられる世の中になってほしい。安心して生きられる人を増やしたい。自分を大切にできる人を増やしたい。生きづらさをやわらげるヒントや、希望を届けたい。

私はずっと孤独を感じていて、家族にも誰にも理解を得られなかった。
だからこそ、繊細さに悩む方や子育て中の方にとって、気軽に相談できる相手になりたい

私は勇気を出して夫に自分のことを話したとき、話を遮られて本当に悲しかった。
だからこそ、私は相手の方の話を遮ったりしない。しっかりとお話をお聴きして力になりたい。

また、母親を10代の頃、父親をHSPを知った直後の30代の頃に見送った体験から、せっかく自分としてこの世に生まれたので、命や時間の無駄遣いはしたくないという信念を持つようになりました。

以上のような経緯で、現在の情報発信活動に至りました。

▼お悩み相談サービス提供に向けて準備中

学生時代のアルバイトから第1子出産直前まで、主に以下のような仕事を経験しました。

保育園の保育補助
障がい者施設の支援員
ベビー用品店販売員 など

また、2024年2月現在、次の資格を保持しています。

JADP認定メンタル心理カウンセラー®
ポジティブ心理学実践インストラクター®

それから、2024年1月より、
『HSPのがっこうrasiicu』スクール7期生として、HSPに関する知識や自己理解などについて学びを深めています。

これまでの情報発信活動や上記の資格を踏まえて、お悩み相談サービスの提供に向けて只今準備中です。

サービスをリリースした際にはこちらのページ内やnote記事としてご紹介します。
よろしくお願いいたします。

▼今後のnoteでの発信内容

今後noteでは、今まで個人ブログにまとめてきた主にHSPや心理学に関する役立つ知識、子育ての体験などを、あらためてまとめ直して投稿していく予定です。

さらに、note記事限定の、より深い内容をお届けできるような形式も検討して試していきたいです。

読者の方に寄り添う内容をお届けすることを目標に活動します。
noteを通じて素敵な出会いがあることを心から楽しみにしております。

▼各SNSなど活動リンク

最後に、note以外のSNS等のリンクを掲載いたします。よろしければ、ご訪問お待ちしております。

【ブログ兼ホームページ】
『きのままラボ』
 HSPママ自分らしい生き方研究所

【X(Twitter)】
繊細な方や子育て中の方に寄り添うポスト。
日常のひとりごと。

【Instagram】
繊細な方や子育て中の方に寄り添う投稿。
趣味の写真も。

【lit.link】
活動リンク集

以上が最新の自己紹介です。
どうぞよろしくお願いいたします。
最後までご覧くださりありがとうございました。ご縁に感謝いたします。

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