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思い出の師弟

昨日、突然、昔のアレから電話が来た。

ゴホゴホ……。失礼、言葉を省きすぎました。
これではまるで、過去に色々あった人から連絡が来たかのような書きぶりですね。匂わせるようなそぶりはイカンイカン。

正しくは、

昨日の昼休憩中、突然、昔お世話になった師匠から電話が来た。

でした。
謹んでお詫び申し上げます。


この師匠というのは、私が10代~20代前半の学生だった頃、私に乗馬を教えてくれた人。
親子ほども年が離れている赤の他人で、初めて会ったのはもう十数年も前。まだ10代だった私を知っていて、今もたまにメールをすれば返ってくるような、細く長い付き合いが続くおじさんだ。

私の乗馬の師匠は、ドラマーの中村達也氏(BLANKEY JET CITY、SPEEDER-Xなど)からヒゲと入れ墨、そして毒気を抜いたような風貌をしている。

うーん、中村達也氏では例えが分かりにくいだろうか。

もう一つ例えるなら、歌手の谷村新司氏から、ヒゲを除いた顔。
白い歯を見せて笑う笑顔と広いおでこ、生き別れた兄弟かと思うほど似ている。谷村新司氏って弟いるかな?

まぁ簡単に言うと、わが師匠はおでこが「負け戦」、あるいは「焼け野原」。
焼き尽くされてぺんぺん草も生えないような「見事なひたい」の持ち主。しかしそれが先生の男らしい風貌に凄みと風格を与えており、おでこが広くて格好いいのが我が師の良いところ。
ここはあえて、世界の中心で叫びたい。

イヨッ! さすが私のおっしょさん!
男らしっ! かっこい~い!

私が先生に乗馬を師事した当時、我が師は40代。
競馬騎手のようにスリムで若々しい体型ながらも、いつもキモが据わって落ち着いた態度のため、実年齢以上に見られがちがな、完成したオヤジだった。

谷村新司にウリ二つの。

ここでは我が師匠の事は、仮に「谷村先生」と呼ばせていただきましょうか。

昨日のこと。
仕事中の短い昼休憩、スマホを見ながら慌ただしく昼食をかき込んでいた時、画面に着信通知が出た。

「 谷村先生 」「 応答 拒否 」

「谷村先生」の4文字に脊髄反射で背筋が伸びる。この通知が出たら「応答」の選択肢以外あり得ない。
口の中に残ったご飯を慌てて飲み込むと、応答しか選択できないスマホを手に最敬礼をする。

「はいっ! 徳田ですっ! 谷村先生? どしたの?」

お喋りな割に電話嫌いな先生がかけてくるとは珍しい。私の記憶が確かならば、もう6~7年くらい会っていないはず。

もしや、先生に何かあったんじゃ……?

スマホを持つこちらの手にも、力が入る。

「おぉ~間違えた。電話いじってたらな? 間違ってかけちゃったんだよぉ。」

少しゆっくりと喋る独特の話し方、よく知った穏やかな声が聞こえ、こちらも急に懐かしい気分になってしまう。

若い頃からタバコを吸い続け、酒でノドを洗い過ぎたせいなのか、やや低い話し声。けれども濁りはなく、よく通る聞きやすい声だ。
学生の頃、乗馬の練習のたびに聞いた懐かしい声に、私の心も一気に17~18歳辺りにかえってしまう。

「え? 間違ったってどういう事? なんかあったんじゃないの?」

「あぁ~。今、電話帳を整理してたらな、間違えて触っちまった。お前ねぇ、そんなに急いで電話を取るんじゃないよぉ。」

電話の向こうで声が笑っている。
自分からかけてきておいて全く勝手なオヤジである。こちらは気合いを入れ、最敬礼で応答したというのに。

話しているうちに、乗馬部の仲間で今もたまに連絡を取る友人から「谷村先生が宮城県内の事業所へ転勤した」と聞いていた事を思い出した。

「先生ってさ、今は宮城にいるんでしょ? 仕事忙しいの?」

「あ? 俺、もう引退したぞ。60で退職、悠々自適よ。」

「えーっ! 退職? もうそんなお年頃なの? 月日が経つのは早いねぇ。お互い年を取るんだね。」

「そりゃそうよ~。俺だってもう若くはないんだよぉ。」

私が谷村先生から乗馬を習っていたのは10代の時、その頃は先生もまだ40代だったはずだ。それがもう退職、60歳、還暦か……信じられない。
学生時代を想うと、流れた月日の長さにめまいがする。

最後に谷村先生と会ったのは、6~7年くらい前だっただろうか。
その頃、某有名競走馬が競馬を引退し、乗馬になるための訓練で先生の厩舎へやってきたらしい、と仲間内で噂が立った。
「あの有名馬を見せて欲しい」という口実で先生の顔を見に行ったのが、直接会った最後の時だ。

その頃、谷村先生は既に50代半ば。数年ぶりにお目にかかると、広いおでこに黒い短髪がトレードマークだった頭が、広いおでこはそのままに、綺麗な五分刈り坊主になっていた。
頭上の激戦地で生き残った頭髪は真っ白に変わり、初雪が積もったような見事な白さ。

キモの据わった先生も、ハゲしく苦労して社会と戦ってるんだろうか……。
なんて、口が裂けても言えないセリフが頭をよぎったのはここだけの秘密にさせて頂きたい。


かつては、人を寄せ付けない雰囲気をかもし出していた細くキリリとした目尻は優しく下がり、少し柔和な雰囲気のおじさん……。
いや、「おじいちゃん」と呼ぶ方がしっくりくるような姿。
スポーツの指導者というより、実家の近所の寺のお坊さんみたいな風貌。

先生、一気におじいちゃんになっちゃったなぁ…… まだ50代半ばなのに。

谷村先生とは、その頃ほんの2~3年お目にかからなかっただけなのに、容姿や雰囲気の変貌ぶりに、内心かなり驚いた覚えがある。
しかし、どんなに容姿が変わっても、声はなかなか変わらない。
今、電話口の声を聞くと思い出すのは、最後に会った柔和な白髪坊主の50代の姿ではなく、私を熱心に指導してくれた40代。馴れ馴れしく近寄ると叱られそうな、キリッとした空気をまとい、バリバリ働く黒い短髪の頃の姿だ。

こういう時、姿が見えない電話というのも、案外都合が良いものかもしれない。その人が盛りだった時期の姿と会話ができる。

「俺もそんなお年頃なのよ。それより徳田さぁ、お前元気?ちゃんとやってんのぉ?」

「ちゃんとやってますぅーー!一生懸命、企業の歯車として働いてるよ。」

「ハハッ!歯車かぁ~。いいんだよそれで。歯車になれるのも1つの能力だからな。自分の持ち場で頑張りなさいよ。そのままのお前でいなさい。」


谷村先生は時おり、私の事を「お前」と呼ぶ。
大体は「お説教モード」の時か、「親目線モード」で私に話をする時だ。
先生には私と近い年頃の、既に独立した息子たちがいる。

学生時代の私にとっては幸いなことだったけれど、谷村先生は私と同じ年頃の息子を持っていたせいか、あるいは生来の心の広さのおかげか、小生意気な学生の私に対しても、先生はいつもだいたい平常心で接してくれたし、そもそも先生が私達学生を叱る姿なんて、ほぼ見たことがなかった。
一度、男子の先輩達が仕事で手を抜いた事がバレてしまい、無茶苦茶に叱られているのを遠くから見かけた事はあったけれど、まぁそれくらい。
先生は「お愛想」という技術を知らない人なので、気難しそうな雰囲気もあり、見かけは取っ付きにくい。けれども基本的には穏やかで、気が許せる人に対してはちょっとお喋りになる昭和のオヤジだ。

そうそう、谷村先生は体は小さくスリムだけれど、人間の器が大きく、どんなピンチでも動じない強い心の持ち主。
先生が慌てふためいたり、動揺して気弱になったり、酒の席でヘラヘラとだらしなくしている姿なんて、私は見たことが無かった。

先生自身は口にしたがらないが、噂によると谷村先生は、10代を過ごした福岡県・K市でかなりやんちゃで目立つ存在だったらしい。
当時の谷村先生を知る人の話では、中学だったか高校だったかの卒業式の後、「その筋」の辺りの方から

「君は元気がいい。プロでやってみる気はないかね?」

とスカウトを受けた事があったとか、なかったとか……。

いや、絶対にあったでしょ。

一体、どうやってプロのスカウトを断ったのだろう。
まぁ、そりゃ、めちゃくちゃ気持ちが強くもなるわ。そんなアウトローだった人がどうして会社員になれたのだろう……。
世の中には私の理解できない事が多すぎる。

若かりし頃は、ケンカと暴走を頭上に頂き、輝かしい不良 …青春時代を過ごしたと噂の谷村先生。青春を爆発させた反動か、あるいは生来の男らしい性格のせいか、先生は私たち学生には特に優しく、こちらがどんな失敗をしても「しょうがねぇなぁ」とぼやきながら尻拭いをしてくれるおおらかなところがあった。
私は長い付き合いで、谷村先生の人間性の大きさや面倒見の良さを知っているので、他にどんなダメな面を見たとしても、この人の存在をそのまま自然に受け止めることができた。
世の中には「ダメな子ほど可愛い」なんて親心があると聞きますが、それと似たようなものでしょうか。私には子はいないし、先生は私の親と言っても違和感無いほど年上だけど。

今振り返ると、まだ世間知らずの学生だった私に、乗馬だけでなく人生をも教えてくれたありがたい師匠。大人になった今も本当に頭が上がらないし、先生に対しては感謝しかない。


乗馬を始めたものの全くセンスが無く、落馬ばかりでどうにもモノにならなかった10代の私を気にかけ、程よい距離を保ちながらも、世話をしてくれた谷村先生。

そんな先生には、私の面倒を見る時、笑いながら言う口ぐせがあった。

『俺は仕事だからお前の面倒を見るんだよ?』
『給料貰ってなきゃ、手のかかる学生のお前なんて面倒見きれないわ~。』

かつて、教えてもなかなかモノにならなかった”出来が悪い”弟子だった私。
そんな私を見限る事ができず、「徳田は手がかかる子だねぇ」と、ぶつくさ言いながらも、いつも気にかけてくれた谷村先生。
今思えば、あの口ぐせは、先生の優しさ故の「照れ隠し」だったと理解していますが…… 先生、私の解釈は合っていますか?

思い返すと、谷村先生との長い付き合いの中では、乗馬の世界の難しい人間関係に端を発した事件も沢山ありました。
学生の私では解決できないその問題を、先生に助けられ、手を引かれ、時には大ナタを振るってもらい、何とか乗り越える日々。そういう経験が、お互いの深い信頼関係を築いたと信じております。
えぇ、「一方的に」ではありますが。

悲喜こもごもを越えた先に、私と先生の今の関係が成り立っています。

私にとっての谷村先生は、スポーツのコーチという意味で「先生」と呼ぶにはあまりに安易で、しかし、信頼関係が成り立っている師匠という意味で「先生」と口にするのは雑な呼び方だと感じるような、そんな大事な存在。
長年の習慣から、今でも「先生」と呼んではいるものの、こういう100%信頼できる人、育ての親、人生の師匠、大げさに言えばメンターのような存在を的確に表す呼び名を私は知らない。

かつて私とお付き合いした男性たちへ。
黙っていてごめんね。私には色っぽい関係とは別次元の、絶妙な信頼関係を築く大切な人がいるのですよ。



「仕事ちゃーんとやってんならいいんだよ。働かざるもの食うべからずよ。しかし、お前はねぇ……いい子なんけどねぇ…… お前って子はさぁ……。」

「ん?何を濁してるの?はっきり言ってくれないと分かんないよ。」

「あ、性格もいいよ!?学生の時から他の奴とは一味違ってた。優しくていい子だなと思うんだよぉ。」
「お前からは、親に本当に大事に育てられた子だっていう輝きが出ていたよ。俺も人の親だからそれは分かる。だけどねぇ、お前は賢い子なんだけどねぇ……。」

「え?何が言いたいの?」

「うん。お前って子は生き方がヘタだからねぇ~。もっと要領良く生きられりゃいいんだけど。」

はぁぁぁーー?生き方がヘタ!?

こちとら人生ン十年!
この年になって「生き方がヘタ」ときたか!

『いい子』だの『優しい』だの、なんか曖昧な前置きばっかりで歯切れが悪いなぁと思ってたら!
『生き方がヘタ』だなんて!
10代の頃の私が、輝いてたとか、賢かったかどうかは知らないけど!

先生あのさぁ~、先に褒めておけば、何を言っても許される訳じゃないんですよ?

初めて出会った時から、はや十数年。今さら、私の生き方にダメ出ししないで欲しい。
こちとら、50ccのくせに60キロ出しながら一生懸命に生きてんの!そうやってしか生きられないの!

……確かに谷村先生が言いたい事も分からないではない。
谷村先生は恐ろしい程に強い肝臓を持っており、通称「鬼の酒飲み」。
しかも、暇ができるとパチンコ屋ばかり行くどうしようもないオヤジなのだが、仕事と家庭を持つことだけは本当にキッチリしており、要領よく生きてきた人だ。
18歳で不良と決別し就職。きちんとした会社で乗馬指導を職業とし、21歳の時にはもう結婚している。すぐに最初の子を持ち、その後産まれた2人の子も独立させ、60歳までほぼ1馬力で家族を支えた。

一方の私は、自分の事しか考えていない人間なので、マイペースに好き勝手、のらりくらりした人生を過ごしてきた。人より長く大学生をやったり、いつまでも自分の為に生きている事について、先生も気にしてくれていたのかもしれない。

振り返ってみると、私の場当たり的な生き方に先生が苦言を呈する時、話の切り出しはいつも「俺がお前くらいの年の時にはなぁ~」だった。

私が21歳の大学生で、授業も少なくなり、一日の半分以上を乗馬厩舎で馬と遊んで過ごしていた時期は
「俺がお前くらいの年の時はなぁ~結婚して子どもがいたぞ。」

その後、大学在学中に人生にけつまずいてしまった私。同期より遅れて大学を卒業し、仕事での自分の足場固めと奨学金の返済にヒーヒー言っていた26歳位の時には
「お前結婚しねぇの?俺がお前くらいの時はなぁ~ウチの子はもう小学校行ってたぞ。」

あれからン年…… 。

せんせい、あのね?
私まだ、自分のために好き勝手に生きてるよ。要領良く生きられないみたいでさ。乗馬だけじゃなく、生き方までヘタな弟子でごめんね♡

電話をしている途中で気が付いたのだが、谷村先生は何度も私のことを「子」と呼んでくる。
「お前」の次に頻出単語、「子」。

だいたい、十数年にわたる長い付き合いとはいえ、結構それなりの年齢になった成人に向かって、「子」はないんじゃない?って話である。
もしや、私が大人になった事を忘れているのだろうか。

「先生あのね?私、もう立派な社会人なの。だからさ、先生にごちそうさせて欲しいんだけどダメ?一杯くらいおごらせてよ。」

「俺におごるぅ!?アハハッ!ばっかやろぅ!お前みたいな子におごられてるようじゃぁ、俺も酒飲み卒業だ!」
「子どもにおごられるほど落ちぶれちゃいねぇよ!金ならあるわ!アッハッハッハッ!」

…… 言ったな。
今、はっきり『子ども』って言った。

おそらく、谷村先生の頭の中にいる私は、初対面だった10代の学生のイメージのままなのだろう。
先輩に連れられ、初めて先生の厩舎へ行った日。事務所に顔を出し「今年の1年生です。お世話になります」と挨拶をした時の印象のままなのだ。

リンゴみたいに赤く丸いほっぺで、元気の良さだけが取り柄の子。
馬に乗れば、とにかく落馬する手のかかる子。

あの初対面から十数年が経ち、私も今や立派な歯車系会社員である。

人間というのは、付き合いが長くなっても初対面の印象のまま時を過ごしてしまうのだろうか。
先生は10代の私をイメージし、私は40代の先生を思い浮かべて会話をしている。ここまでくれば、もはやイマジナリー師弟関係。

「ほんっとに、バカな話をしてんじゃないよぉ。もう切るぞ。いいだろ?」

「うん。久しぶりにお話できて嬉しかった~!先生、元気で楽しく暮らしてね。」

「おう。すでに余生だから楽しくやるわ。お前も体に気をつけろ。少しは要領よく生きられるようになれよ?な?分かった?じゃあな。」

じゃあなと言って、即、切られてしまった。

電話嫌いな先生の通話、全く余韻が無い。
つまらんオヤジめ。情緒が無いのだよ、情緒が。


通話をしながら、ふと心に浮かんだのは、先生は本当に間違えて電話をかけてきたのかな?という疑問。
退職を機に、電話帳を整理しようとしたのは理解できる。私も生活が変わる時にスマホの連絡先を整理することはある。
もしかして、先生は私の連絡先を消そうとして、最後に電話を寄こしたのかもしれない。

うーん。あの昭和オヤジがそんな色気のあることをするだろうか。

あるいは、40年以上、毎日乗馬を仕事にしてきたのに、引退して馬に乗らなくなったものだから、暇になった寂しさで電話をしてきたとか?

いや、その可能性を先生に指摘してはいけない。
男らしい性格の先生に、自身の繊細な面を指摘するなんて、そんな残酷なことは私にはできない。そんなことをしたら、先生の男のプライドが傷つくはずだ。

先生に聞きたい事、言いたい事は沢山あったが、全て胸三寸に納めておいた。思った事は何でも言ってしまうお喋りな子だった私も、随分と大人になったものだ。

谷村先生、お電話ありがとうね。どんな偶然でも、お喋りできて嬉しかったよ。心が10代に戻れて楽しかったな。
要領よく生きるのは、私にとっては難しいことだけど、毎日頑張ってるよ。先生とお喋りすると、私、元気が出るんだよ。気が向いたら、また電話くださいね。待ってるよ。







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