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鏡に映る自分じゃなく、未来の自分を見ている

道具なんてだいたいどれでも同じだろうと思っていたけど、この歳になって道具を良いものにして楽しむことで、ストレスとかイライラは少なくなるんではないかと知った。

僕は革靴をあんまり持っていない。というか、ぜんぜん持っていないのだけど、最近なんとなくガキっぽいファッションが似合わないなぁと思い始めた。なんだろ、たまにおじいさんが小学生みたいな格好してて、それはそれでかっこいいのだけど、いやもうちょっとオトナな格好したっていいだろうよと思うことがあるが、まさにあんな感じである。
どことなく、なんとなく、借りた服装みたいに見えてしまう。たぶんに見た目も体型もどっぷりとおじさんになりつつあるんだろうと思った。

あとは、なんっていうかこれから先にやろうとしている生活を思い浮かべると、適していないんじゃないかっていうのと、家に“住んでそうな”人間かそうでないかと考えると、実用的ではないものはイメージに合わなくなっているのかも知れない。

僕がイメージしているのがリュックを背負ってどこかへ行こうとしている人の服を想像している。いや、まさにこれから自分がやろうとしている行動のに自分を当てはめようとしているわけである。
そうするといままでのファッションや道具が似合わないものが出てくる。

たとえば極端に言うと、テントの中からスーツ姿で出かけることはまず無いわけだし、これから運動しようかっていうのにもスーツ姿というのは似合わない。

今頭の中で想像したと思うが、まさにそれと同じことをやっているわけである。旅のさなかに必要なものそうでもないもの、をより分けていってみると、自然といるものいらないものがビビッと直感的にわかってくる。


いままで通りの生活ができているなら、何も自分を変える必要はなかったのかもしれないが、今はその時の心はここにあらずで、今もあらずで…。
もう僕の胸の内は風に吹かれて遠くどこかへ転がってしまったわけである。

早く回収しに行かなくちゃ。





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