悲しみを吹き飛ばせ。
じぶん。
8月は、やっぱりまだすこし、つらいのだ。どうしても、悲しみがぶり返す。
そう、今日はちょっとだけグリーフの話。
それでも救われているのは、たぶん、われらのお子②に思いを馳せて胸をチクンと痛めているのが、じぶんだけではないと、知っているから。
もちろん、それぞれに痛みの度合いはちがうだろうけれど、わたしではない誰かが、彼を思って胸をぎゅっとさせてくれている。
その事実が、わたしを救ってくれている。
ふだんはもう、悲しくなったりしないし、できるだけ悲しみには沈まないようにしている。だって、彼の存在も記憶も、悲しみではないからね。
わたしの日常は、悲しみが気配を見せたら、そうでない感情に置き換える鍛練を毎瞬、自分に課しているようでもあったりする。
毎朝、彼の棚にキャンドルを灯し、お線香をあげて、彼の写真ぜんぶを見渡して、ちょっぴりお話をする。そこに、悲しみは介在しないんだ。
ただ、8月の下旬が迫ってくるこの季節は、彼が逝ってしまった記憶が甦って、いつもより悲しみに飲み込まれやすくなる。もう、ずいぶん前に枯れたと思っていた涙が、道端でふっと込み上げてきたりする。何よりも、もしかしてあのとき自分はもっと何かできたかもしれない…という後悔が、どうしても完全には消し切れないのだ。
今年はもう大丈夫かなと、じつは思ったりもしていたのだけれど、ひとの身体って、ほんと不思議だね。身体がまだ、何か特別な感覚を手放せずにいるのかもしれない。
8月のにおいとかが、きっとあるんだよね。身体のどこかが、8月の気配に反応するんだ。
無性に、お子②に会いたい。きみがいた現実をもういちど、噛みしめたくなる。
わーんと、泣いてもいいのかもしれない。もしかしたら、身体は泣きたいのかもしれない。
でもね、お子①のためにも、もうそれはしないと決めたんだ。
いつも笑っているニッコニコのれいちゃんを覚えていたいから。
迷ったのだけれど、もういちどお子②のあの笑顔を、ここで見てもらおうと思ってのせちゃいます。つらすぎてしまったら、ごめんなさい。
ね。ほんとうに天使でしょ?
でも、この22日後に、とつぜん天国へ旅立っちゃった。
スピリチュアルなおばさまには、「あなたのところにもう一度やってくる可能性もなくはないけれど、もしそうじゃない場合は、あなたの娘の子として、やってくるわね」と断言された。
こんなスピすぎる言及にも、そうか、そうだっだったらいいな、そうかもしれない!と思えてしまうほど、わたしの許容範囲は広がったぞw
それも、きみのおかげ。
ずっとずっと大好きだよ。
わたしたちの天使。Rei
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