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文体の体質改善

5月も明日で終わる。毎年、立夏を迎える頃に一年の流れが切り替わり、新しい展開を迎えることが多い。そんなこんなで今年もその変化の波がやって来て文章面談を卒業することになった。2019年の1月にスタートしたので4年と5ヶ月、全54回。

毎月書いて、読んでもらい、対話し、感想を受け取り、またひと月かけて書く。その繰り返しの中でただ書くことだけでなく、その言葉を生み出す母体である自分自身の日々の暮らしや生き方、そして身体も大きく変化した。

そろそろ卒業かなと自分なりに心で決めていたものの、最終回の日に突然「今日で卒業です」と言われたときは小さな驚きと同時にやっぱりこれで良かったのだと目の前にスーッと新しい光が差し込んだ感じがした。

この4年と数ヶ月、「書くこと、読むこと、読まれること」をとおして文体の体質改善をやって来たような感じがする。

そこで処方されたのは優れた中医が処方する漢方薬のような根本から体質を良くし、生命力を高めていくような薬の数々で決して単なる症状を抑える対処療法的な薬ではなかった。その分、症状の改善や変化を感じるのに時間はかかる。だけどそれだけの価値があるものだ。もちろん個々によって処方される内容は異なるので、これはあくまでも私の場合だけれど。

言葉は人の考え方や生き方、人間関係の営み方、働き方や暮らし方、人生の隅々にまで浸透している。食べたもので肉体ができているように、日々書いたり読んだり話したり聞いたりする言葉がその人の人生を作っていく。この当たり前の事実について深く学んだ時間でもあった。

自分が書いた言葉の先に何が生まれるのか?それを書き手が意図することはできてもコントロールすることはできない。ただ矢を放つように自分の言葉を世界に放つことしかできない。今はめいっぱい気持ちよく全身の筋肉を使って弓を引くことができるようになった感じがする。以前は的だけを凝視して、自分自身の身体にきちんと意識が向いていなかった。

そして文章力や表現力の向上といった始めた当初の目的とは全然違ったところで「書くこと」をとおして自分の心が変化していったことは以前にも書いた。

この数年かけて少しずつ「書く身体」になって来たんだな〜と思う。それは「書ける身体」「書くための身体」ともちょっと違う。日々、書き続ける中で「書く身体」の可動域は広がり、柔軟性も増して来た感じがする。表面的を覆っていたハリボテの筋肉が削ぎ落とされ、替わりに言葉を生み出す体幹がしっかり育って来た。それは自分が自分自身の言葉の中にすっぽり包まれているような安堵感をもたらしてくれている。

「書いていない時間も書いている」

最初はチンプンカンプンだったこの言葉の意味も今はわかるようになった。言語を扱う双子座に土星を持つ私にとって言葉との関わり合いは一生をとおしての課題でもある。書くことで感じられる自由は自分にとってかけがえのないものだ。それが誰かの目にふれても、ふれなくても、自分が書いた時点でその言葉はもう姿を現しこの世に存在している。

自分が書きたいように書きたいものを書く、そうやって今までも書いて来たつもりだったけれど「書くこと」というのは自分が思っていたよりも、もっともっと広い領域だったのだと気づいた。

まだまだ手付かずの領域がある。それは自分にとって希望でしかない。


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