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3月4日は、平清盛が太政大臣に就任&円貨制度がスタート&バウムクーヘンの日&ミシンの日&三線の日

【平清盛が太政大臣に就任】

1167年3月4日、平清盛が、武士として初めて太政大臣に就任しました。

旧暦仁安2年2月11日 太政大臣は当時の律令制度における最高官位で、基本的には、貴族しか太政大臣に就任出来なかった官位に、武家出身の平清盛が就任したことは、身分的慣例ではなく、武力のあるものが権力を握っていく時代への転換点の初地になったと目されています。

《保元の乱〜平治の乱》


皇位継承問題、摂関家の内紛などにより、武力での権力争いとなった保元の乱の際に、後白河天皇側の立場で活躍した平清盛を始めとする平家は、徐々に朝廷内での勢力を拡大。

保元の乱自体は、後白河天皇側の勝利で一応の決着がついたものの、権力争いの火種は完全に消せず、有耶無耶状態に。

そんな折、主に藤原家で構成された二条親政派という新たな対抗勢力が台頭。

後白河天皇派と二条親政派の対立は拮抗して、お互いに消耗戦が続いていく中、平清盛をはじめとする平家は、このとき静観を続け、自らの地力を蓄えていくことに集中。

後白河天皇派と二条親政派が対立疲れをし、お互いに勢力縮小をしていく中で、平家は徐々に政治への影響力を増し、その力関係は朝廷側と逆転してしまうまでに拡大していきました。

こうして平清盛は、武力と権力を拡大させ、誰も逆らえなくなるまでに武家の地位を確立していき、武士として初めて太政大臣の地位を任せられました。

《年代語呂合わせ》
武士として初めて平清盛が太政大臣に就任したのは 1167年 のことで、この年代の語呂合わせ覚えのひとつとして、平清盛「良い11胸67毛」があります。


【円貨制度がスタート】

明治2年3月4日、明治政府が貨幣を円形として、金・銀・銅の円貨貨幣を鋳造する旨の「円貨制度」を制定しました。

新暦:1869年4月15日。

当時、通貨政策を担当していた大隈重信氏は、それまで用いられていた「両」に代わる通貨単位として円を提唱。

「円」になった経緯には、楕円形、四角形など複数あった形を持ち運びしやすいよう円形に統一した、製造モデルとなった香港銀貨「壱円」を参考にした、「円銀」と呼ばれていた中国の円形通貨を参考にした、などなど諸説あるものの、経過をたどる公文書が火災で焼失していて、未だ決定的な証拠となる史料がないため、どれが正しいかは不詳とされております。

そして、この日は、円の日として記念日のひとつに制定されています。

【バウムクーヘンの日】

1919(大正8)年3月4日に、広島県物産陳列館(現:原爆ドーム)で行われたドイツ作品展示会にて、カール・ユーハイム氏が、日本で初めてドイツの伝統菓子「バウムクーヘン」の製造・販売をしたことにちなんで、製菓関連事業を展開している株式会社ユーハイムが、記念日に制定しています。

バウムクーヘン(baumkuchen)という言葉は、ドイツ語のbaum:木とkuchen:ケーキを意味する単語を組み合わせた造語です。

また、伝統的な作成方法が非常に特殊で、且つ専門装置や技能を要するため、大変珍しく貴重な品だったことから、本場ドイツでは、あまり一般的ではないそうです。


【ミシンの日】

ミ(3)シ(4)ンの語呂合わせにちなんで、日本家庭用ミシン工業会が、3月4日に記念日を制定しています。

現:日本縫製機械工業会。

ミシンという名称は、英語のsawing machine(裁縫機械)のmachineマシンの部分がなまって発音されたか、聞き間違えたかで、以後、ミシンと呼ばれるようになった、と言われています(諸説あり)。

【三線の日】

沖縄県と沖縄県琉球放送が、さん(3)し(4)ん(三線)の語呂合わせにちなんで、3月4日に記念日を制定しています。 三線は、三味線の元になった楽器とされていて、主に沖縄などでは蛇三線(じゃみせん)とも呼ばれ、沖縄伝統楽器のひとつです。


(以上、ネット検索より)

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