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カクトウギのテーマ

かつてUWFというプロレス団体がムーブメントを巻き起こした。

既成のプロレスの概念を良くも悪くも壊した団体だった。

いつ勝負が決まるか分からない…そんなスリリングな展開が世の若い世代を中心に爆発的な支持を得た。

そんな最中にジャイアント馬場が言っていた言葉を思い出す。

「プロレスとはシュートを超えたもの」

当時は意味がわからなかった。爆発的な人気に対する単なる妬みにも捉えられたかもしれない。

この言葉の意味が分かるようになった。

馬場さんの言う処、シュートとはいわゆるガチンコを意味していただろう。

確かにあの時代において、予定調和のない闘いは新鮮だったし、プロレスにまつわる色々な概念を覆す団体だった気がする。

ただ、UWFの場合、正しいことを正しいと言う理論に似て、それはそれでとても魅力的なのだが、正しい以外に奥行きはなかったと振り返ることができる。

UWFを批判するつもりはない。

あの闘いは一つのスタイルだし、充分に心を捉えるだけの価値はあった。

でも、永続できるコンテンツにはならなかった。

ジャイアント馬場の心中を聞いた訳ではないが、UWFのコンテンツとしての限界を分かった上での台詞だったのではないだろうか。

プロレスで闘うのは、リングの上の相手だけではない。観客という難敵とも闘うことになる。

闘いを闘いとして成立させて、客に喜んで貰うのは並大抵でない筈で、コンテンツを提供する側にも実は永続性が必要だというのが馬場さんが持っていた答えなのだろうと思う。

永続的に自分たちが提供できるコンテンツが何かを分かって、あの台詞を述べた馬場さんは偉大だったと改めて思う。