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自分で価値を決めていない

 実は、僕達は自分達で価値を決められていないんだ。
 なぜなら、払った後でその対価を得るシステムになっているから。金銭の授受のタイミングは前後することはあっても、基本的に値段を先に知る。だから、手に入れる前にその価値(価格)は決定されている。

 あらかじめ設定された価値に見合うか見合わないかの視点で、物事を捉えるように、気づかぬままなってしまっている。
「この値段なら満足」と食べ物の絶対的な味とは関係ないところで判断する。コストパフォーマンスという言葉が、それを体現している。

 だから、大道芸人からパフォーマンスを終えた後で投げ銭を求められると、なんとも言えない感情を覚えるのだ。体験をした後で、価値をつけるからだ。
「あなたのその楽しい体験に、どれほどの価値を払いますか?」と問われるのだから、自分で価値をつけることに慣れていない人にとっては面食らうのも無理もない。

 たまにとても高額なセミナーや講座があって、それがなぜ効果を発するのかと言えば、払ったぶんは回収しなきゃという精神が働くからだ。でも、それは根本的な部分で受身であることに変わりはない。

 そして、無料であると途端に軽んじられるのも理由としては同じだ。中身を見ようとせずに、測れるものだけで判断しようとする。

 もちろん全ての人がそうではなくて、欲しいと思ったら値段を見ずに買う人もいる。それは一見すると無謀なように思えるけれど、自分の中にしっかりと価値の基準があるのだろう。

 慣れていない人間にとってはとてもしんどいことだけれど、毎日の物事、人、時間に対してしっかりと価値を決めてみる訓練が必要かもしれない。
 1つ1つの価値が自分の中で決まっているならば、大事な場面でも選択に困らないだろう。

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