【星蒔き乙女と灰色天使①】運命の輪は廻り始める
あらすじ(このあらすじには結末までのネタバレを含みます)
この物語はハッピーエンド、私とミギが出会って、幸せなキスをして終わりを迎える。ただ、それだけのお話だ。
ある日、私の恋人である「ミギ」が消えた。なんの痕跡も残さずに、私以外の記憶からも。まるで、そんな人間初めからどこにもいなかったかのように。
彼女との思い出を辿るうち、やがて私は天使と名乗る少女と記憶を喰べるというカフェの店主に出会う。
「彼女との思い出を捨てこれからを生きていくか、記憶を残して喪失に苦しむ日々を過ごすか」
突きつけられた二択に私はどんな答えを出すのだろうか。
【一日目】記憶をめぐる旅のはじまり
彼女がいなくなってから、もう2カ月が経った。このまま無気力で毎日を過ごすことにも飽きたから、思い出を綴りながら、日記をつけていこうと思う。
極端にものが減った部屋で、ドラッグで再逮捕されたアーティストの歌を聞きながら、本当にそうだよなぁ、なんて思う。
無駄なものに囲まれて暮らす暮らしが、なんて幸せなものだったか。彼女のものが消えた部屋の中で、そこら中に転がっていたはずのぬいぐるみの影を探しながら、この文章を書いている。
○
彼女と出会ったのは、今の職場に入る前、まだ私がアルバイトだった頃のことだ。一つか二つ年上の――本当の年齢だけは、付き合い始めてからも教えてくれなかった、カッコいい先輩、それが彼女の第一印象。
まあ、同棲を始めてから、そのイメージは三日と持たず、崩れたけど。
明るい茶色に染めた、ストレートの髪、細く引き締まった――よく言えばスレンダー、悪く言えば凹凸の薄い体。しっとりと濡れた声は少し低く、目が悪い癖に頑なに眼鏡はしたがらない。そんな人だった。
チェーンの書店で働く彼女は、本部の指示にいちいち腹をたて、店長に噛みつき、私達バイトには優しかった。いや、今思えば社会人としては、自分本位で我儘なだけだったのかもしれないけど。
そんな彼女に憧れ、晴れてそこの社員として採用されたころ、彼女は会社を退職して、小さなパン屋さんで働き始めていて。書店には目的を失いつつ、新しい仕事に忙殺される私だけが取り残されて、いつしか彼女の存在すら忘れ始めていた。
○
そんなある日、知らないアドレスからメールが届いた。タイトルはなし、本文には一言、「今度飲みにいかない?」と。
普段なら迷惑メールとして消去してしまうようなそのメッセージに、なぜか私は強く惹かれて――仕事のストレスで自棄になっていたせいかもしれない、「じゃあ、次の日曜日に」と返事を返した。本当に行くつもりもなかったし、日曜日にしたのも、次の日が休みだったから。月曜日なら本の入荷もないし、慌てて呼びだされることもないだろう。
それからまた普段の毎日が続いて、週の終わりが近づくにつれ、そんなメールを返したことも忘れていた。職場は人件費の削減問題に荒れていて、バイトを何人か切らなくてはならない、と不穏な空気が流れていた。
何事もなく日曜日の仕事が終わって、あと少し売場を片づけてから行こうかな、とパソコンの前から腰を浮かせたところで、バイトの子に声をかけられる。私を呼んでいる人がいると。
面倒なお客か、はたまた出版社の営業か。どちらにせよ、就業時間が終わったころに来てくれるというのは、非常にありがたくない。明日にしてくれないかな、まあ、明日は私、いないけど、なんてそんなことを考えながら、伝言にお礼を言って、ゆっくりと立ち上がる、仕方ない、今日の最後の仕事はこれにしよう。
特典の積まれたブックトラッカーや、まだ出し切れていない本が詰まった箱の山を抜け、バックヤードから店内に出ていく。夕方のピークもそろそろ終わりが近づき、店内には人がまばら。これからの時間は家族連れが減って、立ち読みのお客で店内がにぎわう夜の時間だ。
待ち人はレジカウンターそばとのことで、速足で向かう。セルフレジの機械音と、会計をしている人の声が近づいてくる。
どの人だろう、と伝えられた特徴を思い出す。そういえばどこか先輩に似ているなあ、なんて思いながら、辺りを見渡すと一人と目があって、彼女は少し目を細めて懐かしそうに笑った。
「久しぶり、アキ」
○
今更ながら、私のことを記す。日記だから、誰かに読んでもらうわけでもないのだけれど、昔小説を書いていたせいか、どうもその癖が抜けない。
私の名前は秋音、命名の由来は、秋に生まれたから。友達に「真冬」という子がいるけれど、まあ、その子よりマシな気もする、だって名前そのままじゃないし。
ともかく、そういうわけで、先輩――名前は……ミギ、本当はミキなのだけれど、なぜか彼女はそう呼ばれることを嫌がって、ミギと呼ばせていた、私のことを「アキ」と呼んだ。私のことをそう呼ぶのは、彼女だけで、それがなんだかトクベツっぽくて、少しだけうれしかった。
今思えば、なんで「ミギ」なんて呼びづらい名前にしたのか、全くわからないのだけれど、当時はお互い本名のままに名前を呼ばないことが、なんだかクールに思えていて、そんな関係が心地よかった。
○
話が脱線していく、今日書きたかったことに、これではいつまでも辿りつけない。
昔から小説を書いているときもそうだった。結末さえ決めずに、やみくもに書き出して、頓挫したものもいくつもあったっけ。
その一つ一つを、彼女――ミギは楽しそうに読んでくれていて、誰にも見せたことにない、ライフワークのような小説も、彼女だけには読んでもらった。駄文とも、垂れ流しともいえないそれらを、彼女が本当に全部読んでくれたのかはわからないけど、この二人の話が好きだった、ともらった感想は嬉しくて、そんな二人になりたいと、あの頃は思っていた。
確か、天使の出てくるお話だったと思う。虹色の羽根をもった、灰色の目をした天使の話。
思えば、その頃には彼女のことを好きになっていて、そういえばその時毎回渡していた小説の束は、今どこにあるのだろう、と思う。できれば、まだ彼女の手の下にあって欲しいような気もするし、処分されてすべて闇に葬られていて欲しいとも思う。
あまりにも若い、甘くもない、酸っぱいだけの思い出だ。
○
一日目がこのままでは終わらないので、書きたかったことだけを先に書こうと思う。
パン屋で働いていたせいか、鼻を近づけると、彼女の髪からは香ばしい小麦の香りがした。そのせいか、焼き立てのパンの香りを嗅ぐと、彼女のことを思い出す。
彼女と一緒にいた時は、美味しいものが食べたい時、なぜか焼き立てのパンが思い浮かんだ。それはきっと、そういうことなのではないか、と気づいた時、たまらず赤面したものだけど、きっと私にとって彼女は――ミギは、「美味しいもの」、つまり幸せのカタチだったのだと思う。
彼女を失って、いま、休みのたびに「おいしいもの」を探して、料理をし、店を探し、幸せを探している。失った形を埋めるため、ただ、探している。
いつまで続くかはわからないし、もしかしたら三日と持たず止めてしまうかもしれない。でも、書きたいと思う限り、この日記は続けようと思う。
おいしいものを食べた日――それは焼き立てのパンかもしれないし、お店の料理かもしれないし、彼女が残していったレシピの料理かもしれない、そんな日は筆をとろう。
彼女の思い出を残して、失ったカタチを埋めるために。
ここで一日目のペンをおきます。
☆
第二話に続きます。(毎日更新予定です)
これはフィクションです
少しだけでもあなたの時間を楽しいものにできたのであれば、幸いです。 ぜひ、応援お願いいたします。