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カチンコと、学びのシステム

助監督の制度って、もしかしたらとても自立的な学びを促すためのシステムに応用できるんじゃないか? と、ふと思った。

「ヨーイ、スタートッ!」の掛け声と一緒に、カチンコがカチンと鳴る。映画やCMのメイキング映像なんかで、よく見るあの風景だ。小さな黒板のようなものに、シマシマ模様の拍子木的な木の棒がちょうつがいでくっついていて、閉じるとカチンと音がなる、アレだ。

映画もCMも、映像作品というのは、例えばいろいろな方向から撮影したカットを組み合わせて作る。右を向いてる人が何か話しているアップの後に、左を向いてる人のアップをつなげば、2人の会話のシーンができあがる。何かを見つめて驚いた表情に寄っていくカットの次に、ガチャガチャと回るドアノブのカットがつながれば、サスペンスが高まる。

こういうカットをひとつづつ撮影していくのが、撮影の現場だ。現場では必ずしもお話の順番に撮影を進めるわけではなく、段取りの様々な都合で、一番最初にラストシーンを撮ったりすることもある。撮影した素材はあとでカットごとにバラバラに切り分けて、お話の順番に並べ直してつなぎ合わせるということになる。

そのときに、とったカットがどのシーンのどの順番なのかを示すために、撮影台本や絵コンテに書かれたシーンやカットに通し番号がつけられていて、その番号をカットを撮影するごとに「カチンコ」と呼ばれる道具に「シーン14・カット2・テイク4」とか、単に「14-2-4」とか書き込んで芝居の初めにカメラで撮っておくのだ。

当時大学にはほとんど行かず、映画やテレビの現場でアルバイトをしていたぼくは、3つ目か4つ目の現場で、数ヶ月続く映画制作のチームに加わることになった。サードと呼ばれる下っ端の助監督で、このカチンコを入れるのが、ぼくの仕事だった。そこは、それほど大きな映画会社の伝統的な制作スタイルではなく、どちらかといえばインディペンデントで小さな規模の制作チームだったが、それでも助監督にはチーフ、セカンド、サードというヒエラルキーがあって、同じ演出部のなかでも仕事の担当内容が違っていた。映画会社が制作するような予算も規模も大きな現場だと、フォース助監督くらいまでいたりするのだけど、ぼくらのチームは少人数で助監督は3人体制だった。

サードの仕事は、カチンコと、画面に映る小道具などの準備。
セカンドは、役者の衣装とか、持ち道具と言って、役者が直接芝居の中で手に持ったりする小道具の担当。
チーフは、脇役の演技指導や、現場での撮影の順番を臨機応変に決めたり、日毎の撮影内容を決めたりする担当。
そして監督は、主役の演出からカメラマンへの指示から、全てを決める責任者。例えば、そのシーンをどこにカメラを置いて、望遠レンズで撮るのか、広角なのかズームなのか、何を中心に撮るのかなどをカメラマンと相談しながら決めていく。カメラに映るものすべて、つまり役者の演技から、背景に何を映すのかまでを決めるのが監督の仕事だ。

細かい違いは現場ごとにあるが、ぼくの参加した現場はだいたいこんな感じだった。

今はデジタルでだいぶ様変わりしたと思うけれど、当時の映画の現場には実に日本的な徒弟制度が残っていた。映画監督になりたければ下っ端からはじめて、サード、セカンド、チーフと階段をのぼるように昇格して、何年かの下積みを経てやっと監督になる、というキャリアパスになっていた。

当時からアメリカなどの制作現場はもっと効率化が図られていて、たとえばカチンコを打つ係は演出部ではなくカメラ助手であったりとか、色々仕組みが違っていて、テレビなんかの現場だと少しアメリカナイズされている部分もあったのだが、映画の現場は、まだまだ旧態然とした職人の修行の世界だった。現場に通いだした最初の頃は、なんかオシャレな感じで撮影している割に、ずいぶんそこだけ古臭いなと思ったのを覚えている。

カメラがセットされ、役者さんたちが位置につく。監督が朝イチのミーティングでスタッフに説明していた絵コンテによれば、これから撮るシーンは女優さんの横顔のドアップだ。ぼくは女優さんのそばに寄り、カメラのレンズと女優さんの顔を結んだ直線上、女優さんのほっぺたのすぐ手前にそっとカチンコを差し出し、こう叫ぶ。「シーン14・カット2・テイク4!」カチンコにチョークで書かれた番号をマイクに聞こえるように読み上げると、監督が「ヨーイ、スタート!」と続ける。ぼくは、小さな音でカチンと拍子木を閉じると、すばやく静かにカチンコを下げ、後ずさる。芝居が始まる。ぼくは、微動だにせずうずくまり、横目でそれを眺めながら、黒板部分に書かれたチョークの数字を、音を出さないようにそっと布で拭い、テイク「4」と書かれた数字を、「5」に書き直しておく。監督が、「カット!」と叫びカメラが止まる。監督が女優の隣に来て、小さな声で指示を出している。アップで表情が捉えられているので、たぶん目線をちょっと下げてみて、とかそんな微妙な指示だった。監督がカメラ横に戻っていき、再びスタンバイ。「テイク5!」と声を出し、またそっとカチンコを差し込んだ。

画角、という言い方がある。アップなのか、ロング(引き)の絵なのか、画面にどれくらいの広さまで映るのか、を示す用語だ。これはカメラのレンズの種類とも関係していて、例えば被写体とカメラとの距離が同じでも、レンズの種類を変えれば、被写体はアップにも、ロングにも撮影することができる。望遠レンズにすれば映る範囲は狭くなり、アップが撮れるし、ワイドレンズにすれば映る範囲が広く、引きの絵が撮れる。この範囲はレンズが捉える絵の角度、と表せるので「画角」と言う。

撮影後のフィルムを編集室で見ているときに、カチンコに書かれた数字がはっきりと見えることが必要なので、サード助監督はこの画角を常に意識して、カチンコを差し込む位置を自分で決めなければならない。さっきのシーンなら望遠レンズでアップを撮影していたので、女優さんの顔のすぐ前に出したが、別のシーンでレンズがワイドに変わったときは、もっとカメラに近い場所の空中に差し出すのが正解だ。

この画角を瞬時に読むというスキルがサードには求められるのだけれど、最初は全く読めず、見当違いなところにカチンコを出してはカメラマンに怒鳴られる、という失敗を繰り返すことになる。ときどき、別の作業があって、サードの自分がカチンコを打てないような場合に、セカンドの先輩が変わりにやってくれる時があるのだが、その位置決めの正確なこと! まず一発でベストな場所にスッと入れる。

さて、このスキル、何の役に立つのか? それは、監督になったときに役立つのだ。監督になれば、カメラに映るものすべてを演出し、決定していかなければならない。多くのスタッフに指示を正確に与え、自分の頭の中にある理想の画を、限られた時間の中で最短距離で作らないといけない。そのときに、どのレンズを使えば、どのくらいの画角で、どんなものが画面の中に入ってくるのかを頭の中で瞬時にシミュレーションできていることが理想だ。それが、この助監督時代につちかうスキルによって養われていくという仕組みなのだ。

そう。この職人世界のヒエラルキーこそが、スキルを養うための仕組みそのものだったのだ。

セカンド助監督からチーフへ昇格するまでにクリアしなければいけない、衣装や持ち道具のことも、実は監督になったときに必要になる、衣装の知識や着こなしなどを理解できるというスキルを養う仕組みになっている。チーフもそうだ。撮り順を決めるというのは、役者さんが一番いい芝居をするために、どういう順番で並べるのが一番気持ちを作りやすいか? を常に考える、つまり役者さんの立場に立って考える練習ということだ。

日本の職人世界によくあるこういった一見理不尽なしきたりや昇格の仕組みは、こうやって考えてみると、自分で気づき、学んでいくための環境をうまく作っているとも言えるなと思う。ただ、職人の世界は「親方の背中を見て盗め」的な、「言わずに察しろ」的な文化があるもんだから、うまく言語化されていない作法が多すぎるのだと思う。
茶室のにじり口、とか、空手の「型」とかもそういうところがあるかもしれない。

アメリカのスタートアップたちが参考にしたというトヨタの工場の「カンバン」とか「カイゼン」だって、もともとはうまく言語化されていなかったものを、客観的に言語化して体系化したのでこれだけ普及したのではないか?

日本には優れた工芸や技術、職人の伝統がたくさんある。この伝統的な職人文化に隠された、暗黙の育成システムを紐解いていけば、主体的で体験的な学びを、国を超えて共有していくことができるんじゃないだろうか? と最近考えている。

Photo by Jakob Owens on Unsplash

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