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【短編小説】ブラック・ルシアン

その人のキスは、異国の香りがした…。

 その人のキスは、異国の味がした。

 黒い紙巻シガレットの名前はブラックルシアン。金色のフィルターを親指と人差し指で軽くつまみ、少しうつむいて吸う。

 紫色の煙と、甘い独特の香りが漂う。

「変わった…香りね」
「ブラックルシアンという銘柄なんだ」
「ブラック…?」
「ああ。若い頃に読んでいた小説の主人公が吸っていてね」

 優しく肩を抱かれ、彼の体温を感じながら、静かな声を聞く。

「その小説の主人公のようになりたかったの?」
「ははは。いや、そうじゃないさ。そんなのじゃない。ただの憧れだよ」
「ふうん」
「とっておきの時に吸うんだ」
「えっ」
「特別なときに、ね」
「特別って?」
「こうして君を…」

 抱き寄せられてから、また…キス。

 その人の記憶とともに、わたしの深いところに刻まれた香り…。


 この前、ある人へのプレゼントを考えていたら、ふと、この煙草を思い出した。

 プレゼントしたい相手は喫煙者だ。あとに残る物は渡しくなかったから、自分では買わないような外国製の高級シガレットならば、ちょうど良いプレゼントになる。
 
 そう考えたわたしは、ずいぶん前によく通った懐かしい専門店を久しぶりに訪れた。若い男性の店員へ欲しい銘柄を告げたところ、すでに製造を終えたという素っ気ない返事があった。電子煙草の普及がその理由らしい。

 そうですか、と返した声は小さくて、自分のものではないように遠くかすれて聞こえ、脱力してその店を後にしたわたしは、ぼうっとなった頭でインターネットに情報を求めた。

 このロシア煙草の製造が終了したのは、ずいぶん前だ。わたしは自分では吸わないから、煙草を巡る情勢の変化などぜんぜん知らなかった。わたしの思い出のブラックルシアンは、もう、どこにも売っていない。

 思ってもみなかった結果に混乱し、そんな風に取り乱した自分に愕然とした。

 あれから、そんなに経つんだ。

 もう…本当に…二度と会えないんだね

 その人から遠く離れてしまった事実を痛いほど感じた。自分が小さくなってしまった気がした。

 二度と会えないキスの味は、甘くて…苦い。



 𝑭𝒊𝒏

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