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はじめての収入でホッキョクグマに花束を買った話。

昼の空いた地下鉄の中で、わたしはスマートフォンを操作しながら座っていた。
行き先は動物園。
目的はホッキョクグマだ。

本来わたしはそこにいるべきではなかった。
ニートを脱却したばかりで恐ろしいほどに収入が無く、
かろうじて受注した仕事の納期もせまっている。

金もなく納期に追われている人間が悠長に動物園行きの地下鉄に乗っている場合ではないのは明らかだろう。

しかしわたしにはどうしてもその日、動物園に行かなくてはいけない理由があった。



「円山動物園のシロクマ死んだって」

夕方、リビングでスマートフォンを操作していた母が突然呟いた。

いつもなら
「シロクマは茶グマのアルビノのことだよ」
「正確な名称はホッキョクグマ」
と知識をひけらかすわたしだが、

その日はそうもいかなかった。


動揺しながらもなるべく冷静に母にたずねる。

「ララじゃないよね?」
「そういう名前ではなかった。3文字」
「……デナリ?」
「そう、デナリだわ」

あんた、なんで動物園のシロクマの名前知ってんの。

という母の声を無視し、
わたしは自身のスマートフォンで円山動物園のホームページを開いた。

ホッキョクグマ「デナリ」が死亡しました

新着情報にはしっかりとそう書いてあった。


コロナ禍になる前は年パスを持っていて、よく動物園に行っていた。

当時のわたしは会社員。
社会生活に限界を感じながら、動物を心のよりどころにしてなんとか毎日を過ごしていたのだ。

中でもホッキョクグマに夢中になり、
キャンディという個体のファンになった。

デナリのことはよく屋外展示場で見ていたので知っていた。
動物園の説明書きだったか自主的に検索したのか覚えていないが、
ホッキョクグマの繁殖に貢献している素晴らしいお父さんだと認識していた。

キャンディが愛知県の動物園に引っ越してからはすっかり通わなくなり、
生活スタイルも変わったためしばらく動物園には行っていなかった。

そのうちまた行きたいな、くらいに思っていた。

そんな中突然の訃報だった。



献花台を設置しますとの文言を見て、
お花を手向に行かないといけないなと思った。

わたしはペットを飼ったことがない。
今まで動物に花を供えたこともない。

でもなぜか、行くべきだと思った。

どうしてそう思ったのかは今でもよくわからない。


年金や保険料の支払いで、口座には3桁の預金しかなかった。

わたしは意を決して事業用の口座アプリを開いた。
クラウドソーシングサイトで必死にかき集めた1800円。

全額、デナリの見送りに使おうと決めた。
迷いはなかった。
入園料は払えるし、お花も最悪1本は買えるだろう。

幸いICカードには交通費が入っていたので、
訃報を聞いた次の日すぐに動物園に向かった。



動物園の最寄り駅に着いてから花屋に寄った。

花屋に1人で来たのは初めてで、何もわからない。
しかしお供えに相応しくない花を手向けるわけにはいかない。
初対面の人や店員と話すのは苦手だが、聞かなければならない。

なんとか
「動物にお供えを…気持ちなので1000円以内で…」
と声を絞り出した。

多分わたしは、人に邪険に扱われるのが恐ろしいのだと思う。
だから極力人とは話したくないのだが、杞憂だった。

花屋さんはとてもいい人で、
丁寧に花のことを教えてくれた。

「人間にトゲのついたお花はよくないですが、
動物だと皆さん好きなお花を選んでいかれますよ」

そう言われて安心した。
わたしは600円ほどの小さな花束を選んだ。

花屋さんはリボンをつけている間、話しかけてくれた。

「ペットにお供えですか?」

「あ、いや…動物園に」

「なんの動物が亡くなったんですか?」

「えと…ホッキョクグマですね」

「よく観に行かれてたんですか?」

「そうですね…はは」


そのときわたしは初めて泣きそうになった。
デナリが亡くなったという事実を人と話して現実味が増したこと。
花屋さんの優しさに触れたこと。

理由はどっちもだった。
わたしは誤魔化して笑ったが、花屋さんは笑わなかった。


キッチンフラワーほどの大きさの花束は白い紙とお供え用の白いリボンが付けられて、
店頭にあったときより素敵になっていた。

素敵です、ありがとうございます。
デナリとても喜ぶと思います。

そう言えたらどんなに良かったかと思う。
そのときはいろんな気持ちがあふれ出しそうで何も言えなかった。

かろうじて
「ありがとうございます」
とだけ言って店を出た。

久しぶりに人と話して、たとえそれが接客の一環だとしても嬉しかった。


小さな花束を持って動物園の門をくぐった。
平日だったのもあり、目立つ色の体育帽子がたくさん見えた。
幼稚園と小学校の団体だろう。
小さな子供たちがレジャーシートの上でお弁当を食べていた。

自分にもこんな時期があったな、と懐かしくなった。

献花台は門をくぐってすぐの建物にある。
久しぶりに動物園に来たが、
まわりではしゃぐ子どもたちとわたしの気持ちはかけ離れていた。



花屋で泣きそうになったのだから、献花代を見たら泣いてしまうだろうと思った。

しかし実際に献花台を前にして、
私の気持ちはスッと楽になった。

高級なフルーツや大きな花束がたくさん置いてあり、
デナリに向けた温かなお手紙やメッセージカードもあった。

わたしはこれを見て、
「ああ、これだけ愛されていれば大丈夫だな」
と安心した気持ちになった。

遺影が隠れるほどのたくさんのお供物を見て、
久しぶりに人の温かさに触れた気がした。

きっとデナリはそこにあった大きなスイカやリンゴ、
花束、メッセージカード、そしてたくさんの愛を持って
虹の橋を渡っていくだろう。

そう思うと心が軽くなった。


献花してからすぐに帰るつもりだったが、
園内を見ていくことにした。

2、3年ぶりの動物園は新しい建物があったり新しい動物が来ていた。
ガチョウのジェットも元気そうだった。長生きである。

もちろん、ホッキョクグマ館も見ていくことにした。

そこではリラが悠々と歩いており、

ララは美味しそうに大きな野菜をかじっていた。

元々キャンディがいた展示場にはホクトがいるみたいだった。
猛暑で室内にいてお目にかかれなかったので、次回に期待だ。


デナリはいなくなってしまったが、
他のホッキョクグマやデナリの血を受け継いだ子どもたちがいる。

見るたびにデナリを思い出せるだろう。

こうしている間にも各地にいるデナリの子どもや
推しのキャンディに会いたくなった。

そのためにも悲しまず、人生にも絶望せず仕事を頑張らなくてはならない。


その日は、様々な人や動物の愛に触れた日だった。

帰り道の暮れかけの花壇で、今年はじめてアゲハ蝶を見た。





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