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『ワイズカンパニー』(野中郁次郎・竹内弘高著)を読む  ワイズ(賢慮)はグリード(強欲)を超えられるか?

本書は一言でいえば、愛情に溢れた本だ。
若い人たちを限りなき知的探求の旅へと誘う。

自分たち(共著者)は世界の経営学にナレッジマネジメントという新しい分野を切り拓いた。後に続く人には、知識の創造と実践を通して社会の共通善を追求してほしい。後進への言わば口伝の書である。

大変失礼ながら例えるならば、両教授は世界の研究者の間では、プロ野球メジャーリーグにおけるイチローのような存在だろうか。経営学のグラウンドで金字塔を打ち立て周囲の誰からも尊敬される求道者として。

幸いにも以前、実際に野中、竹内それぞれの教授のセミナーに参加する機会があった。

いずれの講演も熱気を帯びていてユーモアがあり、質疑応答もフランクで話に引き込まれた。

著名な先生でも雲の上の存在というより、野中教授は禅の老師のような印象だった。フロネシス(賢慮)という警策でリーダーの姿勢を正すかのような。竹内教授はハンサムでおしゃれ、赤いパンツ(ズボン)を履いて表参道を歩いていても似合いそう。気さくに声をかけてくれそうな紳士だ。パパラッチから見た印象である。

セミナーの後、四半世紀前に出版されたベストセラー『知識創造企業』(1996年)を買い求めた。それまで暗黙知と形式知の違いぐらいは知っていたものの、もっと早く読んでおくべきだったと反省した。そして、昨年の秋、待ちわびた新著『ワイズカンパニー』を手にすることができた。

読み終えて、本書の意図は先の若い人への期待に加え、何があるのだろうかと考えてみた。

前著の出版後、世の中には大きな出来事が発生し、中にはリーマンショックやウオール街を占拠せよ、という運動があった。本書では、自社の利益のみを追求する経営者の姿勢を暗に批判している。倫理観の欠如した企業が破綻した際に社会へもたらす影響は甚大で、株主や経営者の「強欲」に対するアンチが本書の根底にあるのではないかと推察している。

また、この間、テクノロジーの革新が予想以上のスピードで進み、GAFAと称されるビッグテックは世界を席巻するようになった。日本企業はこうした変化にどう立ち向かうのか、これから新しく世界をリードするような企業は現れてくるのか、そうした問いかけが本書の伏線になっているのではないかとも思っている。

さて、少し内容に分け入ってみよう。

ギリシャの哲学者アリストテレスは知識をエピステーメー(科学的な知識)、テクネ―(技術的な知識)、フロネシス(実践知)と3つに分類したようだ。エピステーメーはなぜを知る、テクネーはいかにを知る、フロネシスは何をなすべきかを知る知識だと説明されている。

フロネシスは知恵、徳という言葉にも言い換えられており、フロネシスとは「賢明な判断を下すことや、価値観とモラルに従って、実情に即した行動を取ることを可能にする知識である」と定義されている。

本書では、このフロネシスの概念を発展させ、予測が難しい変化の時代にあって、フロネシス(賢慮、実践知)こそが持続的イノベーションを可能にし、企業や個人の存続を支える鍵であると説明されている。

そして、これからはフロネシスを備えたワイズカンパニー、ワイズリーダーが必要とされる時代だと予見されている。

(ちなみにセミナーではフロネシスというギリシャ語は覚えにくいのでフロ=風呂?だと覚えやすいかもとダジャレを聞いた記憶がある)

ところで、SECI(セキ)モデルはご存じだろうか?

知識創造の認識のプロセスを左上から時計回りに、共同化(Socialization)→表出化(Externalization)→連結化(Combination)→内面化(Internalization)の4象限で図示される『知識創造企業』で発表された独自の理論である。各英単語の頭文字を取って名付けられている。

知識を暗黙知と形式知に分け、暗黙知から形式知へ、形式知から形式知へ、形式知から高次の暗黙知へとつながるサイクルも4象限の各プロセスに重ねて描かれる。

ちなみに暗黙知と形式知の概念は重要なので、定義を引用しておきたい。

「暗黙知は明確に言葉にしたり、人に伝えたりするのが難しい。個人の行動や身体的な経験のほか、主観的な直観や直感、理想に深く根差した知識である。一方、形式知は、容易に文章化し、計量化し、一般化できる。言葉や、数字や、データや、絵や、公式や、マニュアルとして表現することも、定式化された言語で伝達することも可能な、客観的、合理的な知識である。」

形式知は暗黙知という氷山の一角を占めるにすぎないという説明も補足しておく。

このSECIモデルは広義に解釈して問題解決や事業計画に使うフレームワークにもなると考えると理解しやすいかもしれない。

ビジネスパーソンにとっては、問題の共有(S)→課題の抽出やコンセプトの創出(E)→アクションの横展開(C)→個人への落とし込み(I)というプロセスは馴染みがあると思う。

問題解決もSECIモデルの応用で可能かも知れない。私も小さな会社の経営の中でこのフレームワークの有効性を実践において検証することができた。(成功例か失敗例としてかは想像にお任せする)

個人的には、このSECIモデルの図はホテルなどのスタッフが携帯し毎日の自分の行動を顧みるために使うクレドのようなものかと思っている。
ビジネス現場のマネージャーにはSECIモデルの図のコピーを必携すべきだと今は反省を交えて言いたいところである。

そして、近著ではこのSECIモデルがSECIスパイラルにバージョンアップされている。

中核となる概念は知識から知恵、フロネシス(賢慮)へと置き換えられ、知識の創造から知識の実践へと重点がシフトする。

知識は実践を通してフロネシス(実践知)に昇華し、フロネシスがエンジンとなり、様々な場の相互作用を通して、スパイラル的にイノベーションを引き起こすと説明されている。

(残念ながら、大変分かりやすい図が掲載されているものの、著作権の関係上、実物は本書の中で確認ください)

そして、フロネシスを用いた持続的イノベーションの事例として、ホンダのビジネスジェット開発の話が紹介されている。逆転の発想でエンジンを飛行機の主翼の上に持ってくるというブレークスルーの話である。

まず初めに創業者本田宗一郎の飛行機を作るという大きなビジョンがあった。そして、それを実現すべく開発者たちが何十年もかけて諦めることなく挑戦した。現場、現物、現実の三現主義を貫き、リーダーが現場を巻き込みながら、大きい目標に向かって開発を持続することができたと説明されている。

高いミッションやビジョンをリーダーが指し示す。マネージャーはあらゆる場を活用して「いま、ここ」の現場にメンバーの全精神を集中させる。そして、次世代のためにという大きな開発の意義を共有することで、モチベーションを維持することができたと語られている。

(余談だが本書の中で、数々の伝説が語り継がれている本田宗一郎の人物の大きさを示すエピソードが一つ紹介されている。宗一郎は大事な外国の顧客を料亭で接待をしていた。食事後、気分が悪くなった顧客が吐瀉物と一緒に吐き出した入れ歯を仲居が誤って汲み取り便所に捨ててしまったらしい。それを聞いた宗一郎は、自ら肥溜めに飛び込んで、大切な顧客の入れ歯を探し出し、それを洗って自分の歯にはめて見せ臭いがついていないかを確認したという。この話は初めて知った。食事中の方には失礼!)

以上の、新しいSECIスパイラルによるイノベーションの話題に加えて、本書の重要なパートを占めるのが組織のリーダーへ知識の実践を促すメッセージである。

リーダーは何が善かを考え、物事の本質をつかむこと、そして、それを伝えるレトリックを磨き、機転を利かすこと、周囲を巻き込み、人を鼓舞しながらイノベーションを率いていかなければならない。ワイズリーダーに必要な6つの実践を豊富な事例とストーリー、箴言の数々で語られている。詳しくは本書に譲りたい。

繰り返しになるが、本書はマネジメントにおいて知識から知恵、そして、徳の役割が大切になるということをフロネシスというキーワードで展開している。

日本の企業は概して高い倫理観を持って運営を行ってきた。 
他方、アメリカの金融業やビッグテックといわれる業界では、日本とはかなり違う「強欲」の伝統を引き継いでいるのではないかと思われる。

果たして、企業の国際的な競争において、ワイズ(賢慮)はグリード(強欲)を乗り超えられるのだろうか。そして、ワイズインダストリーは日本で生まれて来るのだろうか?

個人的には、本田宗一郎のような高次の暗黙知の塊りのような人たちが現れてくる中で可能性が出てくるのではないかと思っている。日本ではワイズとワイルドの両方が必要ではないだろうか。

本書の最後に、次はワイズキャピタリズムについて議論したいという予告がある。資本主義に日本的な共同体主義の手法を取り入れるという考えだ。今後、このテーマに関する議論も楽しみにしたい。

さて、浅薄な理解で本書の感想を記してしまった。今後も『ワイズカンパニー』の深遠で豊かな内容に向き合い自分なりに繰り返し禅問答を続けていきたいと思う。理解が及ばず本の中から警策が飛び出してくることもあるかもしれない。これからも教えを請いたいと思っている。

(追記)本の表紙写真の転載は出版社に事前の承諾を得ています。


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