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できてますか?感情コントロール


 感情のコントロールが大切だとはよく言われるし、私自身もよく口にしている言葉かも知れない。
 だかそれは容易いものではなく、いや、むしろそれさえできるのならこの世の中は思うがままではないかと言えるほどの、重要であり、難しいものではないかと思った。



 小5の次男を連れて海へ行った。
海水浴ではない。
バクテンの練習だ。

 浅瀬に脚立を沈めてそれを足場にしてバクテンの練習をしようと思ったのだ。

 体操教室に通うとか、フワフワのマットを用意するとかできれば良いのだが色々と試行錯誤した結果、空中で回転する感覚をつかむにはこれが最適ではないかと考えたのだ。

 スキーやスノーボードのワンメイクジャンプなどではよくウォータージャンプをしているではないか。
 あんなに大袈裟な設備がなくても、バクテンの練習くらいなら脚立1つで十分だろうと勇んで出かけた。

 今日もジリジリと焼けるような日射しの、しかし浜辺のその日射しは、街なかのものとはまるで違う、さらに容赦の無いものに感じられた。

 一応、脚立だけではなく膨らませるシャチや、ビート板のでかいやつみたいなも持って、ちっちゃな簡易テントも荷物置きように持参した。

 ひとまず海水浴的な水遊びを少ししてから、その場の風景には不似合いな脚立(といっても膝くらいの高さのちっちゃなものだ)を持って遠浅の海をジャブジャブと入っていく。
 幸い人もまばらで、見咎められるような事も無く、まぁ自由な感じだ。

 「先ずはまっすぐ飛び降りるところから」
と、次男に練習させているうちに自分もやりたくなってきた。

 ちょっとやらせろと、脚立に上がった。
脚立の脚が砂に潜ってしまい案外と安定感が無い。
 前に跳んで前転、ジャブン。 よし。

 次は後ろへ水面と平行に跳んでジャブン。
 
 背中が痛い。 かなり。 鼻も痛い。
 
 水面がそんなに優しく無いことを改めて知った。

 さあいよいよ後ろへ回転してジャブンだな・・・

 イメージする。

 膝を落として手を振り上げる。

 
 怖い

 ダメだ ・・・跳べない。

 何度準備を整えてやろうとしても、どうしても踏み切れない。

 さっきの背中の痛みが忘れられないのか。

 脚立の安定の無さが不安なのか。

 それともこの水深では頭から突っ込んだらさすがにヤバイという意識があるのか。

 表面的な意識をどんなに探してもその真の理由は顕かにはならない。

 とにかく、怖くて踏み切れない。
 それだけは確かだ。

 客観的な根拠があるわけではない。それどころか、自分の中では少々失敗しても大したことにはならないと思っている筈なのだが。

 「怖い」という感情がどうしても踏み切らせない。

 なんなんだこの「怖い」という感情は。

 若い頃から何度も戦って打ち破ってきた相手ではないのか。
 今さらこんなところ、この自由の海で、こうして再び私の前に立ちはだかろうとは。

 そうか、これが「感情をコントロール」することの難しさか。

 客観的に見た現状ではそれほどの危険な状態にはならないだろうと思われるのに、自分でもそう思っているのに、どこから涌いたのかよく分からないこの「怖い」という感情によって、強力なブレーキをかけられてしまう。
そして、外れない。
このほんの小さな「怖い」という感情に、こんな束縛を受けるのか。




 日頃、自分ではできているような気になっている「感情コントロール」。
 こんなにも強力で、そして私は全く無力であることを思い知らされた。


【できていますか? 感情コントロール。
         私は全くできません】

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